2011年07月05日

突然

最近また小説書きたいなあ〜と思うようになった。
でもめんどうくさいのもあって、書けない。
書きたい気持ちがあるのに書けない。
頭のなかの妄想が勝手に言葉になってくれればいいのに。
思っていることを文章としてアウトプットするのって難しいっすね。


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2011年04月28日

asura追加しました。

仕事で別のパソコン使ってたら、
そこにasura23話が入ってたので、
23、24、25と続きをアップしておきました。
よろしければご覧ください。
みつかってよかった。
他にもみつからないファイルが何個かあって、
わたしは一体どこにやってしまったのやら・・・

3/12にコメントくださったけいったんさん、
ご心配してくださってありがとうございました。
ずっと気付かなくてごめんなさい!

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2011年03月24日

A-BOUT!

先日あまりにも時間をもてあましてたので、
去年もらってきたマガジンを読んでたら、
バカ不良マンガ「A-BOUT!」にハマってしまった!!
次の日にはTSUTAYAで6巻まで大人買い。

絵柄はスラムダンクぽくてノリがBØYな感じ。
クロマティの匂いもすこし。

なにより登場人物が魅力的。
今までヤンキーマンガに興味なかったのに、これはおもしろい!
タイトル通り、なんだか全体的にアバウトな雰囲気が好き。

腐女子的には、最凶コンビの柾木・砂原に心奪われ。
金色の狂犬なのに名前が柾木千春って!
そしてベジタリアン!
砂原はバトルロワイアルの桐山くんを彷彿させる
オールバックにつり目・・・

昔仲がよかったのに、離れて、そしてまたくっつく。
そんな設定に興奮。

でもA-BOUT!の絵柄って難しい・・・
描いても描いても似ない。
特に砂原くん。。。

またここでモエを発散しにきます。

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2011年01月16日

HANA*HANAアップしました。

恥ずかしすぎて読み返せない・・・

ので誤字脱字変な表現あると思いますが、許してください。


2002年に書いてるよ・・・9年前!
時間の経過って恐ろしい!!

他に再アップの要望あればどうぞ〜


posted by moi at 14:57| Comment(2) | TrackBack(0) | おしらせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

HANA*HANA1



■■■ HANA*HANA ■■■

……っていうかさ。
「ア…ンッ。駄目…だってば…テツ。立花が」
「シッ!声出さなきゃ、わかんねえよ。それにもう寝てるって」
部屋の主人が隣で寝てる横で、エッチし始めるのって、どうよ?
コソコソと小声で交わされる恋人同士の睦言を背中で聞きながら、俺はあきれてこっそりとため息をつく。

「でも…やっぱヤバいってば」
「なんで」
なんで、じゃねえだろ、バカテツ。
心の中で、長年の腐れ縁である幼馴染みを罵倒する。
お前には常識ってもんがねえのか。
友達んちまで遊びに来てまで、サカッてんじゃねえよ、TPOを考えろっつうんだ。
「カイリ寝付きいいし、そうそうなことでは起きねえって。なんなら蹴り飛ばしてみてやろうか?」
前もやってやったけど、マジ起きなかった…って知らねえよ?
テツの野郎、俺が寝ている間にそんな暴挙をしでかしてやがったのか……!
まあ、それで本気で気付かないで、ぐーすか寝てる俺もどうかと思うけど。
テツが言う通り、俺はマジで寝付きがいい。
一旦眠りに入ると並み大抵のことでは目を覚まさない。
この間あった大きな地震の時でさえ、全く気付かずに朝のニュースで知った程だ。
しかし、いくら寝つきがいいからって、それは寝てからの話であって…。
今日の俺はなんとなく目が冴えてて、横になってからも、眠ってなかったんだよな〜。
それなのに、すっかり俺は眠り込んでると思い込んだテツが、とんでもない行動にでた、と。
にしても、いくら俺の寝つきが良いからって人んちでセックスしようとすること事態間違ってるぞ。

「だって…声でちゃうっ」
……夏目よ。
瞬間俺は頭痛を覚えたね。
アホだアホだ、と常々思ってはいたが、まさかそのアホさが恋人にまで感染してたとは。
そう言う問題じゃねえだろ〜夏目!!

それからしばらく沈黙があったが、その恋人の可愛い言葉にすっかり骨をぬかれちまったらしい。
一層、甘い声が背後から聞こえはじめた。
本格的に始まった行為に、げんなりとしながら、俺はそれに耳をふさぐことにした。


俺の名前は立花浬(カイリ、と読む)。
19歳の大学生だ。
そして非常識にも、寝ている俺の隣で恋人にせまりはじめたバカアホ男の名前は、田村哲明。
通称バカテツという。
近所に住んでいるせいで、生まれた時からの幼馴染みってやつだ。
腐れ縁で、保育園からはじまり、幼稚園、小学校、中学校、高校、そして大学まで一緒だ。
挙げ句に俺と同じ学部、学科に通っている。
一体どこまで、この腐れ縁が続くのかと思うよ。
まさか就職先まで続いちまったら、俺はゾッとするね。
このバカテツという男は、ハナタレ小僧だった頃から知ってる俺の目からみても、顔もスタイルもなかなかイケてるのだが、そのせいで、周りにチヤホヤされ続けてきたせいか少々傍若無人なところがあるのが玉に瑕だ。
例えば、寝ている幼馴染みの横で、強引にセックスしはじめたりとかね…。(嫌味)
そんなテツのどこに惚れたのやら、(いや、もしかしたら無理矢理か?)綺麗な顔をしているくせに少しぬけているテツの恋人の名前は、夏目友貴。
今俺の背後で色っぽい喘ぎ声を発していたりする…。
こちらも同じ大学、同じ学部で、入学して知り合った。
そうだよ、いつのまにかこの二人がくっついちゃってさ〜。
それで、俺はいつもあてられ役ってわけだ。
なにが悲しくて、恋人同士の睦見合いを身じろぎもせずに聞いてなきゃならないんだろ。
寝返りでもうってやろうか、とも思ったが、一応それはとどめておくことにした。


結局、背後で繰り広げられた桃色ワールドのせいで近年稀に見るくらい眠れなかった。
寝不足の頭のまま、起き出して洗面所で歯を磨いていると、申し訳なさそうな顔をしてやってきた夏目の顔が鏡に映った。
「おっす」
「……あ、おはよ」
何事もなかったように挨拶をすると、少し寝癖のついた髪に手をやりながら夏目も返してくる。
まさか本番まではいかないだろう、という俺の常識的な予想をはるかに裏切って、やってくれちゃいました。
しかも、御丁寧に2回戦目まで。
さすがにバツが悪いのだろう。
夏目はまともに俺の顔が見れないようだった。
これで俺が実は起きてたなんて知ったら、一体どうなるんだろうな〜。
ちょっとそれも見てみたい気がするけど、思うだけにしといてやる。
うさぎみたいな恥ずかしがり屋の夏目にそんなこと分かったら、恥ずかしさのあまり悶死しちゃうかもしれないからな。
俺ってば、優しい。

「テツのやつ、まだ寝てやがんのか」
「うん…」
そりゃ明け方近くまでがんばりゃーなあ。
ったく、しょうがねえやつ。
「もうアイツはほっといて先にガッコ行こーぜ。夏目も一限あるだろ」
「うん…」
おとなしく頷く夏目にタオルを投げる。
それをキャッチして、俺と交代で洗面所に立つと、顔を洗いはじめた。
……とりあえず、パンでも焼くか。
かろうじて残っていた食パン2枚をオーブントースターのなかに放りこんでスイッチを押す。
もちろんバカテツの分なんかありゃしない。
それから、顔を洗って出てきた夏目と、焼けたトーストとオレンジジュースを胃の中に入れて部屋を出た。
その間、一度もバカテツは目を覚まさなかった。
結構、大きな音も立ててたはずなのに。
コイツはもしかしたら、俺以上に寝つきがいいのかもしれない…。

学校で夏目と別れて(2限目は同じ授業をとってるから、またすぐに会うけど)教室の後ろの席で俺は漏れるあくびを噛み殺しながら、授業をきいていた。
すると、もう遅刻にもならない時間帯にこっそり入り込んできた生徒が1人。
俺の隣の席にすべりこんでくる。
その顔をみて、俺は苦々しく言い放つ。
「てめえ…人んちでサカってんじゃねえよ」
「あ、起きてた?」
悪びれもせずにしゃあしゃあとしているテツに肘鉄をくらわせる。
しかしイテテと言っただけで、全然堪えてないようだった。
「だってさ〜夏目がいい声だすんだもん〜。止まらなくなっちまってさ〜」
うう〜語尾を延ばしてしゃべるな!
甘ったるさに寒気が走る!!
「だからって本番までいくことねえだろ!ジョ−シキ考えろ!」
「でもさ〜お前も聞いた?夏目のアノ声。男としちゃたまんねえよな〜。ホントは俺以外のやつに聞かせんのはいやだったけど、お前は特別な〜」
俺のドスのきいた声にも、なんの効果もありゃしない。
俺はそんな特別はいらない……。
「……もう、いい…」
俺はあきれかえって、肩を落した。
結局甘々な恋人たちには外野が何を言ったって無駄なのだ。
恋は盲目とはよく言ったもんだよ、ホント。
まだバカテツは何か言ってるようだったが、俺はそれを無視した。
もうこの二人についてはなにもいうまい…。
そう堅く心に誓った俺だった。




■■■ HANA*HANA2 ■■■

「夏目。ほっぺたについてる」
「えっ、どこどこ」
「違う、反対側」
左側についている米粒を取ると、そのままそれを唇に運んでやる。
夏目は頬を染めながら、自分の頬についていたそれを舐め取った。

………もう、いいかげんにしてくれ。
目の前で繰り広げられる新婚さんも真っ青なラブラブな世界に、げんなりと視線をそらす。
なんでこう毎日毎日毎日、あきもせずイチャイチャイチャイチャできるかなあ〜。
明日こそ、一緒にメシを食べるのはやめようと思ってるのに、なんでかハッと気がつくと三人仲良く食堂にいるんだよな〜。
おかしい、なんでだ…。
「もう、人が見てたらどうすんの…」
「いいじゃん、見せつけてやれば」
テツの返答に、夏目が可愛らしく、もう、と胸をこづく。
どうやらこいつらの中で、俺は”人”には入っていないらしかった。
「お、なんだなんだ、食欲ねえのか、カイリ」
一向に減らない俺のA定食を見て、テツがそう言った。
誰のせいだ!誰の!
毎日毎日毎日こりもせずに俺の前でいちゃつきやがって!!
あきれて、食べれるもんも、食べれなくなるッちゅーの!!
…と思ったが、大人な俺はあえて言わない。
変わりにボツリと「別に…」と答えた。
「ホントだ。だいじょぶ?立花?」
夏目まで心配そうな顔で俺の顔を覗き込んでくる。
クリクリした小動物みたいな目をした夏目に俺は弱い。
だから、夏目に大してはあんまりむかつかないんだよな〜。
テツとは違ってちゃんと常識ってもんを持ち合わせてるし。
それが時々バカテツの勢いに流されちゃうときもあるけど…例えば昨日(あれ?今日になるのか?)の夜みたいにさ。
「平気だって。今から食べるし」
「急がねーと、昼休み終わるぜ」
……おせーのは誰が原因だと思ってンだよ!
急かすテツに毒づいて、箸を持ち直した。
食べはじめた俺に安心したのか、夏目はニコニコと笑顔で俺の食べる様子を眺めている。
「立花って、お箸の使い方上手いよね。いいなあ…」
今日のA定食はサバの味噌煮だった。
どうやらサバを食べる俺の箸使いを見て、夏目はそんなことを思ったらしかった。
「前から思ってたけど、魚の食べ方とかすごい上手なんだもん。俺、お箸の持ち方とか変で、綺麗に食べれないんだよねえ」
よく見ると、同じA定を頼んだ夏目のサバはお世辞にも綺麗だとは言い難い食べ方だった。
それに確かに夏目の箸の持ち方はちょっとおかしい。
鉛筆とかを持つみたいに箸を持ってる。
「夏目は手がちっちゃいからなあ」
そんなフォローを入れたのはもちろんバカテツだ。
19にもなって、そんなことはあんまり関係ないと思うが…。
「こいつんちの母ちゃんが、そういう箸の持ち方とか、礼儀にめちゃめちゃ厳しい人でさ。小さいころこいつんちに遊びに行ったら、俺いっつもアレコレ注意受けてたんだぜ」
そう、俺の母さんはテツの言う通り礼儀作法にめちゃくちゃ厳しい人だ。
朧げだが、箸の持ち方の猛特訓を受けて泣きながらメシを食べていたことを覚えてる。
テツは俺んちにくるたんびに、色々言われるもんだから、そのうち俺の家には来なくなって、遊ぶのはもっぱら自由なテツの家になっていた。
別にうちの母親も悪い人ではないんだけど、やっぱり口煩いとこが、テツには合わないみたいだった。
「テツアキと立花の家ってそんなに近いんだ?」
「三軒先ってとこかな」
「へえ〜。じゃあ、なんで立花は一人暮らししてるの?テツアキは自宅から通えてるのに」
それは何も知らない夏目にとって素朴な疑問だったことだろう。
しかし俺とテツは同時に黙ってしまった。
気まずい沈黙が漂う。
もちろん聡い夏目がそれに気付かないわけがなくて…。
途端に泣きそうな顔をして「ごめん…」と俯いてしまった。
もちろん、慌てたのはテツだ。
恋人を泣かせるのは、例え自分だろうと許せないのだろう。
あわあわと夏目を慰めにかかる。
「気にすんなって!ただちょっと色々あったんだよ。カイリには」
「ごめん…俺すごい無神経なこと言った…」
「全然無神経なんかじゃねえよ。なあ、カイリ?!」
同意を求められて俺はテツの勢いに押されて何度も頷いた。
「そうだぜ、夏目。別に大したことじゃないんだって」
ホント言うと結構大したことあるんだけど、泣きそうになってる夏目の手前、俺はそう言うしかなかった。
じゃなきゃ、あとからテツに恨まれる。
「……ホントに…?」
潤んだ瞳が俺を見る。
あ〜だから、もう、そんな目すんなって。
どうやら、夏目の可愛さに毒されてるのはバカテツだけじゃないようだ。
「黙ってたわけでもないし…言ってもいいんだけど…いいのか?テツ」
一応テツにも関係あることだから、俺はテツに確認を取った。
テツは頷いてから、夏目に前置きする、
「いっとくけど、俺は夏目一筋だからな!」
「う、うん…」
突然のことに、夏目は動揺しながらも首を振った。
っつーか公共の場でそんなことよくデカい声で言えるもんだ……。

「実は、俺高校の頃に男と付合っててさ…」
「ええ?!」
っと夏目には珍しく大きな声で反応が返ってきたので俺は驚いた。
「テツ、夏目に言ってなかったのかよ?」
俺がテツと同じゲイだってこと、夏目は知ってるとばかり思っていたのに。
「だってよ、そんなこと言っちまったら、夏目に俺とお前の関係疑われるじゃんか」
しょーがねえだろ、とあくまでも不遜な態度。
まあ、いいけど。
確かに俺もゲイだって夏目が知ってたら、俺とテツの関係を不安がられてもしょうがないもんな。
大学まで一緒で、ただでさえ仲良すぎるって思われてるみたいだし。
「そんで、やっぱ隠れて付合ってたんだけど…。たまたまホテルに入るところを近所の人に見られてたらしくってさ。それから、もう噂話がドワ〜っと広がって。俺が男とホテルに入って行った、立花さんちの次男はホモだ、挙げ句の果てにはその相手がテツだったってことになっちゃってさ」
その後はもう大変だった。
噂を知ってる高校のやつらは奇異の目で俺達をみるし、近所を歩けば好奇の目で針のむしろだ。
どんなに否定したって、噂は一人歩きしてゆく。しかも尾ひれをつけて。
いいかげん家族も参って、噂が静まるまで、ってことで俺は離れて一人暮らしをするようになった。
それから今に至っても、俺は一人暮らしのまま。
自宅には一度もかえっていない。
テツは図太い神経の持ち主なので、そのまま自宅に居続けたけど。
これがきっかけで、俺は付合ってた男と別れることになったし、もう散々な出来事だった。
おかげで、俺は立花家から抹消されちまったしな。
噂のおさまった今だからこそ、平気でしゃべれるけどさ。
あん時はホントに参った。
テツがいなかったら、どうなっていたのかわからない。
テツは、勝手に巻き込んじまったのに、恨み言も言わずにずっとそばにいてくれた。
正直言って、テツには本当に感謝してる。今さら恥ずかしくて、面と向かって本人には言えないけど。


一通り告白が終わると、夏目は本当に泣き出す数秒前だった。
やばいなあ〜別に泣かすつもりじゃなかし、そんな泣くような話でもないんだけど。
俺は頭をかく。
泣き出した夏目の横でテツが懸命になってなぐさめている。

箸の使い方が上手いって話から、なんでこんな話になっちゃったのやら。
挙げ句に夏目泣かせちゃったし。

俺は目の前の二人を見る。
……ホントはうらやましいのかもな。
人目も気にせずに、ふたりが仲良くしてるの。
あの時付合ってた男は噂が広がった途端、さっさと切り捨てられたし。
付合ってる時も、本当に人目を忍んで会ってた。
あの頃はそれがまるでドラマみたいで興奮したけど、今ではそんな恋愛を思い出すと悲しくなる。
あれ以来まともに恋愛も、特定の相手も作らずに寂しくなったら一晩だけの相手をさがして過ごしてる。
俺も、テツと夏目みたいな恋愛ができたらいいと思う。
人前でも堂々とできるような。

「カイリ。俺達保健室に行ってくるわ」
しんみりとした気分で二人を眺めていた俺は、テツの声にハッと我に返る。
「……え?」
「ここの片付けと次の代返頼むな」
俺の返事も待たずに、テツは泣く夏目を抱きかかえるようにしてさっさと行ってしまう。
なんか異常に足取りが軽いような…。
その後ろ姿に、これから保健室でいかがわしいことをしてきます、と書いてあるような気がして。
俺のこめかみが怒りでピクリとうごめく。
……前言撤回!!
俺がそう思ったのは言う間でもない。




■■■ HANA*HANA3 ■■■

あんまりにも俺がイライラしているので、見兼ねたテツが男を紹介してやると言った。
やっぱりこないだ授業をさぼって俺に断わりもなく合鍵で俺の部屋に入って、夏目とニャンニャンムニャムニャしてたのに激怒したのがきいたのだろうか。
だって俺に代返させといて、だぜ?
これで怒らないわけがないでしょ。
それも手伝って、最近の俺の不機嫌さに小動物の夏目も近寄ってこない。
テツの影にかくれてウサギみたいにピルピルと俺の様子を窺っている有り様だ。
いつも夏目には寛容にできる俺だが、今回は夏目に優しくしてやる余裕もなかった。
テツにそんなことを言われてハタと気がつくと、他人と身体を合わせたのが、半年以上も前だったことが判明した。
ある意味、血気盛ん(?)な19才の男児が半年以上も禁欲していたことになる。
どうやら自分でも気がつかないうちに悶々としたものが溜まっていたみたいだった。
まあ、あれだけ毎日毎日毎日、目に毒な程目の前でいちゃつかれたら、ストレスもたまろーってもんだけど。
たまには息抜きもいいか〜と思い、俺は安易にテツの誘いを受けることにした。

「別にいいけど、後腐れないような奴にしてくれよ」
「へえへえ、カイリの趣味はわかってますって」

いろんなところに出入りしているテツは知り合いが多い。
そのテの場所なんかを歩くと絶対に2、3人が気軽に声をかけてくる。
夏目と付き合うまでは、相当遊んでたし。
何度かお互い相手と歩いてるところを鉢合わせしたこともあるくらいだ。
(俺は大抵無視するんだけど、テツは『よう』なんて笑いながら声をかけてくる。その神経がわからない)
でも俺もテツも、一晩だけの付き合いで本気で付き合ったことはなかった。
この時も俺はテツは『一晩だけの相手』を紹介してくれるのだと思っていた。
のだが。

俺は待ち合わせ先に現れた人物を見て、あんぐりと口を開けた。
「浅井雄大くん。俺等より一つ年下の19歳。っつてもカイリは誕生日まだだから同い年か」
その横でのんびりと紹介なんぞをしてくれるテツ。
紹介された浅井、と言う男は俺にむかってペコリと几帳面に頭を下げた。
かなりの良い男だった。
正統派好青年とでもいうのだろうか。
髪もサラサラで、背も高く(170ちょっとある俺よりも高い。もしかしたらテツより高いかも)、二重の甘いマスク。
服装だってキチンとしてる上に、センスのよさがうかがえるし。
女受けのよさそうな清潔感漂う…どう見ても、ゲイには見えない清清しさ…。
JU●ONボーイも真っ青だ。

「そんで、こっちが俺の幼馴染みで腐れ縁の立花浬。カイリって字はサンズイに里って書くの。珍しいだろ」
テツが空中に文字を書いて説明をしている。
俺の名前なんかせつめーしてる場合じゃねえっつうの!
それなのに、浅井という男はへえ、なんて感心したりしてて。
「そんじゃ、一応紹介も終わったし、後は二人でドーゾ」
俺は夏目とデート、なんて言いながらさっさと立ち去ろうとするので。
「ちょっと待て」
俺は慌てて、テツの腕を掴んで引き止めた。
「…あんなノンケ、どこでひっかけてきたんだよ!」
テツと顔を近付けると、俺は浅井に聞こえないように耳元でヒソヒソと文句を言った。
大体コッチの奴ってのは、匂いで分かる。
あ、同類だ、ってね。
でも、浅井からはその匂いがしない。
確かにカッコイイとは思うし、付合ってみたいタイプだけど。
でも。
俺はノンケと付合うつもりはもうなかった。
前にそれで結構辛い思いをしたことがあるから…同じゲイの奴としか付合わないようにしている。
しかも一晩限りの、ドロドロしないサッパリとした関係。
俺が求めているのはそれだった。
「ヨ−ちゃんの店」
「ヨウくんの?!」
俺はそれを聞いて更におどろいた。
俺とテツの共通の知り合いのヨウくんはその手の集う所でバーを経営している。
だからもちろん客もゲイばっかで、素人さんがくることは稀だ。
(外見は普通のバーだから、時たま知らずに紛れ込んでくることもあるけれど。)
でも、そんなヨウくんの店に来るってことは…。
「だけど、どう見たってアイツ…」
「ノンケだよな〜」
俺の言葉をテツが続けた。
「だったら、なんで!」
俺は声を荒げた。(でもあくまでも小声だ)
前から俺がノンケを嫌がってることを知ってるくせに。
大事な夏目を怖がらせてる嫌がらせかよ?!
「綺麗なツラしてヨーちゃんの店で静か〜に1人で飲んでるからさ。気になって声かけてみたんだよな。なんかワケありっぽいだろ?そしたら、男と付合ってみたいっていうから」
俺はカクッと肩から力が抜けた。
それって俺って浅井の実験台ってことじゃねえか!
言葉にしなくても、テツには俺の言いたいことが伝わっていたらしい。
「いいじゃん、ものはためしってことで付合ってみろよ。案外いいかもよ。久しぶりのノンケとの恋愛も」
そりゃお前は夏目と上手くいってるからそんな風に言えるんだろうけど。
全部が全部お前等みたいに上手く行くわけじゃない。
昔の俺みたいな結果だってあるんだ。
「いつまでもムカシ引きずってたってどうしようもねえだろ」
テツの思いのほか真剣な声に俺は、驚いてテツの顔を見た。
その言葉は俺の胸にズシリと響いた。
テツは気付いてた。
俺がズルズル昔のことを引きずり続けていることを。
恋愛に対して、臆病になっていることを。
「ノンケ本気にさせて、今度はお前から捨てるくらいのことやってみせろ」
それはあんまりな言い方だったけれど、テツらしいものだった。
「バカやろう…夏目にチクるぞ。その台詞」
なんて言ったらいいのかわからず、俺はわざとそんな軽口をたたいてしまう。
「そんなことしたら、マジ殺す」
テツは俺の腹を軽く叩いて、じゃあな、と行ってしまった。
一度振り返って手を振ったのは、俺の背後にいる浅井に対してのようだった。

「話、終わりました?」
取り残された俺は背後からのその声に、そろそろと後ろを振り返った。
ニコリともせずに俺を見下ろすその姿に、俺はハハハと苦笑いを返す。
「ゴメン……お待たせしました」
どうしてよいのかわからず、俺は引きつった笑顔を相手に向けていた。




■■■ HANA*HANA4 ■■■

「改めて、俺、浅井雄大っていいます。どうぞよろしくお願いします」
テーブルに頭がつくほど、深々と頭を下げられて、俺もつられて頭を下げてしまった。
「えっと、俺は立花カイリって言います。こちらこそ、よろしく」
まるで見合いだな、と思いながら俺も自己紹介。
あれからとりあえず、駅前で立ち話もなんだし、と近くのカフェに入ることになった。
しかも向い合せの席で。
ヨウくんの店とかでカウンターに座り慣れているからか、こうして向き合って座ると妙に違和感がある。
なんとなく居心地悪いと言うか…だって、前向くと絶対に目が合うんだもん〜。
逃れられないっていうかさ〜。
できたらそれを理由にこの場から立ち去りたいとさえ、今の俺は思っていた。

でも、さすがにそんな子供じみた真似はできなくて。一応俺のほうが年上らしいし。
とりあえず、あたりさわりのない話をふってみたりする。
「19ってことは大学一回?」
「そうです。横浜の…」
「げ、国立じゃん」
浅井の口から告げられた大学名に、俺は驚く。
つーことは頭もかなり良いってことで。
おいおい、神様ってのは不公平だな〜。天は二物以上を与えてるじゃんか。
顔よし、頭よし、スタイル良し。絶対性格だっていいんだろう。
だって、会ったばっかりなのに、表面から醸しだされてんだよ〜良い人オーラが!
さすが、バカテツ!憎らしいくらい俺の趣味をわかってやがるぜ…。俺の弱いところをしっかりついてる。
隠れてため息をついたところで。
「立花さんたちの学校はどこなんですか?」
なんて聞かれて、俺は慌てて答える。
「J大…」
言いながら俺は情けなくなっちまったね。
かたや、有名国立大学在中。んで、かたや俺は2流どころか3流私立大学在中なんだもん。
俺はまたもや、ため息をつきそうになってしまった。
「テツさんも?」
「そうだよ。アイツとは保育園から始まって、大学までず〜うっと続いてる腐れ縁ってやつなんだ」
「テツさんと立花さんは、その…恋人同士?」
その質問にはこけそうになる。
「自分の恋人を他の男に紹介する人間は、そうそういないと思うけど…?」
「そっか…そうですよね」
コイツって、もしかして天然なんだろうか。
確かにさっきも俺とテツはめちゃくちゃくっついて会話してたし、いちゃついてるように見えたのかもしんないけど。
でも、俺がテツなんかと恋人なんて誤解されるなんて…夏目には悪いけど、寒気がする。
「テツにはちゃんと他に恋人がいるよ。同じガッコのクラスメート」
「やっぱり男の人…なんですよね」
もちろん、と俺は頷いた。
そういえば、テツが言ってたな。
浅井は男と付合ってみたいんだ、とか。
「浅井君はなんで、ヨウくんの店に行ったの?どう見ても、君ってそっちの人じゃないと思うんだけど」
俺はズバリと切り出した。
このままノラリクラリと世間話をしてたってしょうがない。
浅井は、俺と本当に付合いたいと思っているのか。
俺とどんな付き合いを望んでいるのか。
テツに流されてここまできた感じがするし、浅井の意志を確かめなきゃいけない。
「俺…実はこのあいだ男に告白されたんです。今まで女の子から告白されたこともあったし、付合ったこともあったんですけど、あんまりドキドキしなくて。 でもその時は今までにないくらい…ドキドキしたんです」
それは初めて同性に告白されたからでは…?と思ったが、俺は黙って聞いていた。
「それで…俺はもしかしたら、ゲイなのかと思って…確認するつもりで、あの辺に行ってみたんです」
ヨウくんのお店に入ったのは、一番入りやすそうだったからだ、という。
確かに……。
あのへんのお店を知ってる俺は深く頷いてしまった。
あんまりにも普通過ぎて気付かずに入ってくる客が結構いるもんな〜。
「そしたらテツさんに声かけられて…色々相談に乗ってくれたんです。良い人ですよね、テツさんって」
いや、そこで同意を求められても…。
それは一番聞いちゃいけない人間に聞いてるぞ…浅井。
そうは言っても今までの俺達の歴史(?)を知らない浅井にそんなこと言っても無駄なので、曖昧に笑っておいた。
「じゃあ試しに男と付合ってみれば、って。紹介してやるからって言ってくれて。それで今日立花さんを紹介されたんです」
なるほどね…。

「今の時点ではどう?俺となら付き合えそう?」
「そうですね…立花さんすごく綺麗だし…」
どうやら第一段階は俺はクリアしたらしい。
(しかし綺麗だって?そんなこと初めて言われたぞ?なんか慣れない単語に身体がムズムズするな。)

お互いの利害をまとめるとこうだな。
浅井は男と付合って自分の性癖を確かめたい。
俺は後腐れない相手を探してる。
そこで俺は閃いた。


俺は早速その提案を浅井に持ちかける。
「じゃあこうしよう。1ヶ月だけ俺と試しに付合ってみる。その間に浅井君は自分の性癖について見極める。オトコ同士でもいけるって分かったらそれからちゃんと自分好みの相手をみつければいいし、やっぱり自分はノンケだと思えば、途中でも俺との付き合いをスッパリ止めるってことで、どう?」
期限付きなら後腐れないし、1ヶ月もあれば、浅井だって自分の性癖に気付くはずだ。
まあ、1ヶ月たたなくても浅井は自分はノンケだって気付くだろうけど。
だってどう考えたって、浅井は男に転ぶようなタイプには見えないんだ。
「いいんですか…立花さんはそれで」
「う〜ん。どっちかっていうとこういう方がさっぱりしてていいかな。先がわかってる分、お互い割り切って付き合えるだろ。過去に結構な泥沼体験してるからさ、俺」
俺は重くなんないように、軽い口調で言った。
こないだ、普通に話したつもりが、夏目泣かしちゃったしな。
夏目が人一倍泣き虫だってこともあるんだろうけど。
言いながら、やっぱり俺って昔を引きずってるな、って再認識。
だってあれは結構堪えたから。
二年たったってやっぱり簡単には忘れられそうにはない。
心配(ここは謎だ…)してくれるテツには悪いけど、まだ俺にはちゃんとした恋愛なんてできそうにもなかった。
「どうする?」
浅井に選択を求める。
同意するか、しないかは浅井が決めることだ。
浅井はしばらく考え込む風にしてから、顔を上げて、まっすぐ俺の顔を見た。
真剣な表情も、やっぱり良い男だ。
普通ならメロメロだな。
それから意を決したように、言った。
「1ヶ月よろしくお願いします」
また深々と頭を下げる。
あまりの礼儀正しさに、俺は苦笑しながら。
「こちらこそ」
とペコリと頭を下げ返した。


こうして俺に浅井雄大という年下の1ヶ月だけの恋人ができたのだった。




■■■ HANA*HANA5 ■■■

浅井と1ヶ月という期間付きで恋人同士になって、今日でちょうど1週間がたった。
その間に3回会って、話して、食事して、遊んだ。
平日だったので、お互い次の日学校があるからと夜遅くまで遊びはしなかったけれど。
だから、もちろん。
セックスはしていない。
当然、キスだって。
ん〜。別に不満ってことはないんだけどさ…。
こういうおつき合いもありかな、って思うけど。
1ヶ月しかないんだし。
そろそろ次のステップに進んでもいいんじゃないかと思うわけだ。
男と付き合えるか?って問題の中には同性とセックスできるかってこともふくまれてるわけだからさ。




「立花さん!」
笑顔で浅井が駆け寄って来る。
その様がCMとかにでもなりそうなくらい爽やかで、なんだかこっちまで乙女のようにときめいてしまった。
思わずそのときめきを隠すように胸を押さえる。
「待ちました?」
いや、ってゆーかまだ待ち合わせ時間の五分前だし。
俺は笑って答える。
「全然。別に走ってこなくてもよかったのに」
「でも、立花さんが待ってるのが見えたからさ。俺、待つのは平気なんだけど、待たせるのっていやなんだ」
……なんで浅井ってば、こんなに好青年なんだ。
浅井の言葉に俺は思わずグラグラきてしまう。
俺が女だったら、もう理想的な男だな。
頭も良くて、顔も良くて、そのうえ性格もいいだなんて、できすぎだぞ。
どこか一つくらい欠点があったっていいものなのに、全然見当たらない。
「浅井さん、朝メシ食べて来ました?」
しかも、この心使い!!くーっ、憎いね!
俺は正直に食べてない、と答える。
休みだからと思って食パン買い忘れてたんだよな〜。だから朝食抜きできた。
「じゃあ、マック寄ってから行きましょうか」
上映時間までまだ結構あるし、と言って歩き出す。
今日は新作の映画を見に行く予定だ。
浅井も俺も映画が好きで、話してみると映画の好みが似ていることが発覚した。
じゃあ、週末に公開される映画を見に行こうってことになって、今日に至るというわけだ。
気がきく浅井は次の日には予約チケットまで取ってくれた。
おかげで並ばなくてもいいからゆっくりできるんだけど。
浅井って本当にモテるんだなって、こうして会う度に実感する。
浅井の性格を知る度にってこともあるんだけど。
やっぱりその外見。
並んで歩きながら、すれ違う女の子達はやっぱり浅井のことを見ていて。
振り返ってまで見てる子とかもいたりするし。
この間、ヨウくんの店にテツたちと行った時も、店にいたやつらの視線を浅井1人がかっさらっていた。
だから浅井って本当に異性の目からも同性の目から見ても良い男なんだなあ…なんてしみじみ思ってしまう。
こんなにイイ男と1ヶ月だけでも付き合えることに感謝しないといけないんだろうな。

朝マックを二人して向かい合って食べて、そろそろ時間になるからと映画館に向かうことにする。
食べてる間も、後ろの席に座ってた女の子達が浅井のほうにチラチラと視線を向けていたのに俺は気付いてしまった。
あんな熱い視線ぶつけられて平然としてる浅井ってば、冷たいのか鈍いのか。
ま、後者が99%正解だろうな。

映画館は土曜日ってこともあってかなりの人だった。
指定席とってもらって良かったって本当に浅井に感謝だ。
もしかしたら立ち見になったかもしれないしな。
指定席シートの予約をすると、普通の入場時間よりもはやめに入らせてもらえるので、好きな席を選ぶことができるようになっている。
まだ入場時間まで間が合ったので、飲み物でも買うか、と話していたところで。
「あ!浅井君だ」
ふいに女の子三人組が声を上げたので、俺も浅井も突然のことに驚いて立ち止まってしまった。
きゃあきゃあ言いながら、女の子達が駆け寄ってくる。
「すごい偶然〜」
「この映画みるの?」
「私達もなんだよ〜」
「え?そうなんだ」
浅井は笑顔で女の子達と会話をし始める。
……大学の友達だろうか。
共通の知り合いでもないので、俺は黙って、浅井と女の子達のやりとりを見つめていた。
五分くらい経っただろうか。
……つーか、しゃべりすぎだろ。
所在なくなってきた俺は、何気に腕の時計に目をやった。
……もうすぐ入場できるんだけど、今言いづらいよなあ。
聞こえないようにため息をついたつもりだったけど、浅井には聞こえてしまったらしい。
一瞬だけ俺を見てから、まだ話し続けそうな女の子達の会話に言葉をはさんだ。
「ごめん、一緒にきてる人がいるからさ」
女の子達はこの時になってようやく俺の存在に意識が向いたようで、俺の方をみた。
無視するのも大人気ないので、浅井の背後で小さく頭を下げる。
向こうも三人して、ひかえめな礼をしてくれたが。
すぐさま視線は浅井のほうに戻された。
「浅井くん、終わったら、お茶でもしようよ」
「どうせ同じ映画みるんだから、席も一緒に座らない?」
「そうだよ。そうしようよ」
「悪いけど、指定席とったんだ」
「うわ、さすが浅井くんだ。することが違う〜」
彼女達は指定席ではないようだった。
ここで私達も、なんて言われたらどうしようかと思った。
ちゃんと断わってくれる浅井に俺はホッと胸をなで下ろす。
「いくら穴場の映画館だからって早く並ばないと立ち見になっちゃうと思うけど」
浅井の言葉に、彼女達はやっと慌てはじめた。
「ホントだ。早く並ばなくちゃ!」
「じゃあ、浅井くん、また映画終わったらね」
「絶対お茶しようね」
口々に言って去って行く女の子達を見送ってから、浅井が俺を見やった。
「立花さん…ごめん。同じサークルのこ達なんだ」
それから申し訳無さそうに言う。
「へえ…」
確か映画研究かなんかのサークルとかって言ってたっけ。
俺はそれ以上なにも言わずに、俺達もそろそろ行こうか、と促した。




映画の内容はほとんど頭に入ってこなかった。
ずうっと楽しく女の子と話す浅井の姿だとか、浅井を見つめる女の子の視線だとか。
そんなことばっかりが頭の中をグルグル回ってて。
時折、右隣に座る浅井の整った横顔が真剣な表情でスクリーンを見つめているのをうかがったりしていた。

また映画が終われば、あの女の子達が待ってましたとばかりに浅井を取り囲むだろう。
それでせっかくの俺と浅井のデートは台なしになってしまうに違いない。
それだけは、勘弁してほしい。
せっかくの浅井との時間を邪魔されたくはなかった。
……悪い癖が出てるな、って思う。
それで前は失敗したっていうのに、俺の悪い癖は相変わらず健在だ。
特定の相手をつくらないのも、これが結構原因にはなってると思う。
こんな風に、相手を束縛してしまいたくなる。
悪い癖。


モヤモヤした気持ちのまま、あれこれ考えているうちに、映画が終わりエンドクレジットが流れはじめる。
いつもなら、それも最後まで見て完全に映画が終わってから席をたつんだけど、今日はそんなことに構ってる場合じゃなかった。
「浅井」
まだスクリーンを見続けている浅井の名を呼ぶ。
反応がないので、服のそでをグイグイ引っ張ってやる。
「どうしたの?」
浅井がようやく気付いて俺の方を向く。
その腕を引っ張り、浅井の身体を引き寄せると、俺はよく聞こえるように耳打ちする。
「出よう」
「え?」
聞き返す浅井に応えず、俺はさっさと席を立った。
慌てて浅井が追い掛けてくる。
二人揃って外に出るとパンフレットも買わずに映画館を出た。
「立花さん?」
前を行く俺の背に声をかけられる。
俺はようやく立ち止まって、浅井が追い付くのを待った。
「どうしたんだよ、突然」
まさか、女の子達に邪魔されるのが嫌だったから、なんてみじめったらしいことは言えなくて。
俺は、別に、とそっけなく答えた。
それから、映画館に居た間に考えたことを切り出す。
「俺んち、行こう」
「立花さんち?」
突然のこ提案に、浅井が意外そうな声を出した。
なんだかもうこれ以上、俺以外の人間が浅井を見ているのを見たくはなかった。
悪い癖が出てると思うのに、止められない。
でも。
浅井と俺だけの空間に行きたくてしょうがなくて。
結局、住み慣れた自分の部屋しか思い付かなかった。




■■■ HANA*HANA6 ■■■

「うわ、なにこのビデオの量」
俺の部屋に足を踏み入れた人間が必ず口にする言葉を、お約束通りに発する浅井。
壁側にあるラックには所狭しとギッシリビデオテープが並んでいる。
俺が今まで録画し続けてたまったビデオだ。
「なんか見たいのあったら見てもいいぞ」
言いながら、冷蔵庫から取り出したビールを差し出す。
浅井は礼を言って受け取ると、再び視線をビデオテープの山に戻した。
たいてい部屋にいるときはビデオを流して、流し見していることが多い。
しばらくラックに向かい物色していた浅井が無邪気な顔をして振り返る。
こんな表情をするところを見ると、あ、浅井ってやっぱり俺より年下なんだって思う。
「これ、見てもいいかな?」
いいよ、とうなづいてみせると浅井は楽しそうにビデオデッキにビデオをさしこんだ。
俺が一大決心してるなんて、気付きもせず。

一代決心。
今日、今、ここで。
俺は浅井とセックスする。

あのあと、俺の不自然な行動や態度に文句を言うでもなく、素直に浅井は俺の誘いを受けた。
浅井を今だけでも、俺のものにしたくて。
そのために浅井の身体だけでも手に入れたい。
でも、このままじゃ期限の1ヶ月たっても絶対先には進まないと思った俺はついに強行手段をとることにした。

ソファベッドに二人並んで腰掛けて、浅井は嬉々とした表情でビデオに見入ってる。
映画館でも思ったけれど、浅井は映画を見出すと集中してしまい他のことに気がまわらなくなるみたいだ。
きっと俺みたいに映画の流し見なんてできないタイプ。
一度見始めたら最後まできっちりと真剣に見続けてしまうんだろう。浅井の性格が窺える。
その無邪気な横顔を見てると、少し罪悪感のようなものを覚えたけれど。
俺は、意を決して、リモコンの電源ボタンを押した。
プツッと音をたてて、テレビの画面が暗くなる。
あ、と浅井が声をあげた。
「立花さん?」
きっと俺がなにかの拍子で電源ボタンを押してしまったと思ったのだろう。
何か言おうとして振り向いた浅井は、思いのほか真剣な表情の俺に驚いたようだった。

「浅井」
浅井の瞳を捕らえ、その名を呼ぶ。
「しよう」
ここで、何を?と言おうものならはり飛ばすところだけど、浅井はそのまま固まってしまったように動かない。
近付き、俺はゆっくりと浅井の唇に自分の唇を合わせた。
触れあわせただけで離れる。
至近距離で捕らえた浅井の瞳を見つめながら、俺は聞いた。
「……気持ち、悪いか…?」
俺の問いに、浅井はようやく首を振った。
よし。
「んじゃ…もう一回…」
言いながら、俺の唇は再び浅井の唇に触れていた。
今度は触れるだけじゃなく、深く重ねあわせる。
そっと舌を忍び込ませると、ビクリと身体が震えるくらい浅井は驚いたようだったが、そのうち俺の舌に反応を返すようになった。
俺がからみ合わせると、浅井も同じ動きをみせる。
ちゅっ、ちゅっとお互いの唇の間から水音が漏れはじめるほど、俺達はしばらく初めてのキスに酔いしれていた。
俺が唇を離そうと、浅井の口腔から逃げようとすると、それを止めるように浅井の舌が追い掛けて来たので、俺は舌の先で待ってろ、というように浅井のそれを押し返した。
ふふっと俺が笑い声を漏らすと、そんな無意識の自分の行動が恥ずかしかったのか、浅井が照れくさそうに頬を染めた。
「…男とキスすんのって、どんな感じ…?やっぱり女の子とするのとは違う…?」
「なんか…すごいリアルな感じがする…」
俺の問いに、うわずった声で浅井が答える。
「拒否反応は…?」
首を振る浅井。
「そっか。じゃあ、次に進んでもいいな」
俺は心底ホッとして。
にっこり笑うと、まだぼんやりしたままの浅井の股間に手をのばす。
「とりあえず、お前のここをその気にさせないとな」
「わっ」
驚く浅井に構わず、浅井の股間に触れると……。
「何だ…充分やる気じゃん」
浅井のそこは見事に堅くなって存在を主張していた。
「…さっきので興奮した?」
俺が聞くと浅井は顔を赤くしながらも素直に頷いてみせた。
浅井が反応してくれたことに俺はホッとする。
全然反応されなかったら、やっぱショックだし。
さっきのキスに浅井が感じてくれた証拠だから。

「見て、い…?」
浅井の返事を待たずに、俺は浅井のジーンズのフロントを開けにかかった。
開放された浅井のそこを見て、思わず俺はゴクリと息を飲んでしまう。

なんか…こんなとこまで立派なんて出来過ぎだ…浅井。

浅井のそこは、キスだけでちゃんと立ち上がっていて。
しかも、大きさもあるし、かたちもいい。
同じ男としてうらやましいものを浅井は持っていた。
思わず凝視してしまう。
「そんな、あんまりジッと見ないでよ」
恥ずかしそうな声が頭上からした。
「……浅井のここ、きれいな色してるな。使い込んでるくせに」
挑発するみたいに、浅井のものをぎゅっと掴む。
「つ、使い込んでなんかないよ」
「じゃあ最後にセックスしたのいつだ」
「……半年前くらい」
「ウソつけ」
「ホントだって。高校卒業するまで付合ってた彼女と別れた時以来だよ」
「ふう〜ん」
俺は疑いの眼で浅井を見た。もちろんわざと。
あせる浅井の姿がおもしろくて。
もっとからかってやりたくなってしまう。
でも、それは次の機会にしないとな。
気を取り直して、浅井のそこに視線を戻す。

「目つぶっててもいいぞ…」
俺は唇を浅井のそれに近付けた。
「立花さん…っ」
あせったような浅井の声がしたけど、もちろん無視だ。
フェラなんて目をつぶってれば男がしてるか女がしてるかなんて分からないし、変わらない。
俺は浅井の顔を見ないまま、奉仕を続けた。
なにせ半年ぶりなので初めのうちはコツさえも忘れていたけど、そのうちに思い出してくる。
歯が当たらないように。
少しでも浅井に不快感を抱かせないように。
俺は今までにないくらい熱心に舌を這わせた。
口内の浅井がもっと大きさを増してきて、呼吸につまりそうになる。
苦しいけど、でも。
もっと、浅井に気持ち良くなってほしくて。

「やば…っ、ちょっと立花さん…俺もう…」
イキそうになってる浅井が、股間にうずまった俺の頭に手をかけ、離そうとする。
でも、それでも抵抗して俺は浅井をくわえ、奉仕し続けた。
俺の口の中に出せばいいよ。
出せない声の変わりに、敏感な先の部分に歯を当てて、浅井の最後を促す。
浅井の、俺の頭を掴む手にも力がこもった。

「……っ!!」

声にならない、掠れた声を発して、浅井がイッた。
俺の口腔に浅井のものが一気に放たれる。
それは喉を直撃して、少しむせたけれど。
俺はそれをなんとか飲み干した。
何度口にしても、慣れない味。
でも、なぜか浅井のそれは抵抗なく飲み込むことができた。
どうしてだろう?

「気持ちよかったか?」
俺は手の甲で唾液や精液で濡れた口元をぬぐいながら、浅井を見上げた。
まるで意地悪されたみたいに拗ねた顔して俺を見下ろす浅井。
でもすぐに視線を外し、天井を見上げた
まだ息がおさまらないらしく、肩が上下している。
「こんなのされたこと、ないよ」
「え?フェラされたことないのか?」
俺はびっくりして大きな声をあげてしまった。
頷く、浅井。
イカされて恥ずかしいのか、俺の顔を見ようとはしない。
なんか意外つーか。
「付合ってたのは同じ年のこばっかりで、リードするのは俺の方だったし…」
お互い経験が少なくて、そこまでいかなかったってことか。
浅井の年齢考えるとそれが普通なのかもしれない。(っても、俺と1こしか違わないんだけど)
これで経験豊富な年上の女とかと付合ってたら、浅井の反応もかわってきてたんだろうな〜と思うと、今まで浅井にフェラしてやらなかった女の子たちに感謝したい気分になった。

「俺にリードされんのは、嫌?」
俺も浅井も男だし、浅井は俺に主導権をとられるのに抵抗があるかと思い、俺は聞いた。
今まで女の子をリードする側だったのなら尚更だと思うし。
浅井の足下にうずくまったまま、浅井を見上げ返事を待つ。

「……俺」
「うん」
「男の人相手は初めてだから、正直どうすればいいかわからない」
率直な言葉が浅井の口から漏れた。
浅井はとても素直で正直だ。
それは俺の行為を受け入れてくれるってことで。
俺が浅井にとって初めての男になるんだ、って実感が俺を嬉しくさせる。

膝立ちになって、浅井の肩にそっと腕をまわす。
「立花さん?」
まるでセックスさえも初めてのように浅井の身体は固くなっていた。
俺はなんだか微笑ましく思えてしまって、自然に笑みが浮かんでしまう。
「…女にするみたいにすればいいから…」
俺はこわばる浅井の身体を引き寄せながら、そう言って。
ベッドに横になっていった…。





■■■ HANA*HANA7 ■■■

「…立花さん。これから、どうすれば、い…?」
さんざん身体に愛撫を施されて。
ボウッとなった頭に、浅井の声がぼんやりと届く。
なんか…浅井ってば、めちゃくちゃ上手くないか…?
久しぶりで身体が敏感になってるのかもしれないけど、浅井の指が触れてくだけで、俺は過敏に反応してしまって、息も絶え絶えな感じだ。
…なんだよ、さっきまでめちゃくちゃ緊張してるっぽかったのに…。
浅井の豹変降りがちょっとくやしい。

「立花さん…?」
「ちょっと待ってろ…」
言いおいてから俺は身体を起こす。
女みたいに入れるところが濡れるわけではないから、男同士のセックスには準備が必要だ。
俺は立ち上がり風呂場まで行くと、備え付けの戸棚からローションのボトルを取り出した。
これは俺が買ったものではなく、バカテツが置いていったものだ。
テツも夏目も自宅に住んでいるので、逢い引きするのに頼まれてちょくちょくこの部屋を提供してやっていた。(俺ってば、心が広い)
その時に使用しているらしい。
これを見つけた時は、「こんなもん置いて帰るな!」と、かなり頭にきたが今はそれに感謝だな。
見ると中身はもう半分以下に減っていて、その使用頻度には呆れるばかりだけど。

それを手に浅井のいるベッドに戻ると、俺はキャップを開け、自分の手にローションのトロトロした液体をたらした。
浅井の視線が気になったけど、男初体験の浅井にこんなことやらせるわけにはいかない。
そこを使うのは、二年ぶりだから、少し怖かったけれど。
俺は意を決して、そこに触れた。
ところがふいにその手を浅井に掴まれた。
「なに…」
この体勢でストップかけられるの、ちょっと恥ずかしいんだけど…。
「俺にやらせて…」
「え?」
一瞬耳をうたがってしまった。
だって普通なら抵抗あるはずだ。
その…普通なら出すところに指をいれるわけだから。
俺も自分のでさえ抵抗があるっていうのに。
まさか男相手の経験のない浅井が、やらせて、なんて言い出すなんて思わなくて。
「これで濡らせばいい…?」
さっき俺が使ったローションを手に取る。
「そうだけど…。浅井はしなくていいよ。俺が自分でするから」
慌てて俺は浅井の手からローションのボトルを取りかえそうと手を伸ばす。
が、さっと身をかわされてしまった。
「俺だって立花さんにしてあげたいんだ」
どうやら浅井はさっき俺に口でイカされたことを根に持っているようだった。
そういって、頑として譲ろうとしない。
「……わかった」
俺は根負けして、浅井の手を許した。
そっと触れてくる、浅井の指先。
入り口をつつかれて、思わず力が入ってしまう。
「……立花さん、入らないから…」
浅井にもそれがわかったらしい。
「ごめん…」
俺は深く息を吐き出した。
とにかく力を抜かないと…。
そのタイミングを見計らって、浅井の指がグッと体内に押し込まれた。
「ん……っ」
その衝撃に思わず声が漏れてしまう。
「立花さん、大丈夫…?」
心配そうな浅井の声に俺は頷いてみせた。
「指…ニ本入ったら…もう抜いてもいいからな…」
「ニ本も…?」
こんなところに入るのか?と浅井は驚いた様子で、俺のそこを見る。
……恥ずかしいから、見るなって!!
そう言おうとしたけど、お互いさまだろって言い返されそうな気がして、俺は唇をかみしめた。
さっき浅井のアソコをじっくり観察しちゃったもんな…。
「ゆっくり、中で動かして…」
「わかった…」
ローションの助けをかりて、浅井の指が動き始める。
浅井の指が動かされる度に、クチャクチャと濡れた音がするし、俺と浅井の呼吸だけが部屋に響いていて、かなり恥ずかしい。
なんとか道筋をつけたと感じた浅井が囁く。
「立花さん、指増やすよ…」
「あっ…」
俺が答える間もなく、すごい圧迫感を伴って浅井の中指が入り込んで来た。
「ホントに入った…」
驚嘆の声で、浅井がつぶやく。 指よりも太いものをこれから入れるんだから、指の二本くらい入らないといけないんだけど。
浅井は妙に感動しているらしかった。

浅井は俺に過剰なくらい気を使いながら、愛撫を続けた。
俺が声を漏らす度に、「痛い?」なんて窺ってくるのに、俺は余裕のない状態でなんとか首を振って答える。
痛みは感じないけど、やっぱり異物感ってのはなかなかぬぐえないもんだから。
浅井の動きにどうしても反応を隠せない。
その内、少しずつ中がほぐれてきたらしく、浅井の指の動きもスムーズになって来て。
俺の中の異物感も少しずつ薄れてきはじめる。
その時。
ふいに、浅井が触れた箇所に、俺はビクリと身体を震わせた。
浅井もそんな俺の反応に気がついたようで。
「立花さん、これ何…?」
またコリッと浅井の指先がそこを刺激してくる。
やば…っ、そこ前立腺…!!
「ああ…ッ!!」
その刺激の強さに、俺ははしたなくも声をあげてしまう。
「…そこ、やめろ…やばいっ」
俺の切羽詰まった声に、浅井はピンときたらしい。
「ここが、立花さんのいいところ…?」
違う!!男なら誰だって…!!
と言いたかったのに、浅井の指のせいで、それもままならなくなってしまう。
その上、俺の前もしっかりと反応してるし。
やばい…!やばい!!
このままじゃ、俺…っ。
「だめだ…あ、さい…っ」
俺が止めるのも聞かず、浅井の指先がぐっと、その部分をえぐるように強く刺激したのに耐えきれず…。
俺は放っしまっていた……。
「………っ!」
放ったものが、ちょうど浅井の腹あたりに直撃してしまう。
俺はその光景をうまくできない呼吸で激しく胸を上下させながら、呆然と見ていた。

うわ〜〜〜っ!!
一気に羞恥が込み上げてくる。

「もう…っ!駄目だってゆってんのに…!!」
俺は起き上がって慌てて床に転がってるティッシュの箱に手を伸ばす。
もちろん浅井にかかってしまった自分の精液を拭うためだ。
「立花さんだって…俺がやめろって言ってんのにやめてくんなかっただろ」
仕返し、だとでもいうように浅井の口調。
「……ばかやろ」
俺は反論する気にもならなくて。
ティッシュを何枚か引き抜くと浅井の腹を拭いはじめた。
くそ…まさか後ろいじられていかされるなんて思わなかったぜ…。
まあ久しぶりだから、しょうがないけど。
「ん…?」
拭きながら、浅井の股間が自然に目に入って来て。
それはさっきみたいに、見事に大きさを取り戻してた。
「……もう復活したんだ?」
からかい口調で言ってやると、浅井は顔を赤くした。
主導権を握り返した俺は、浅井の再び十分すぎる程に堅くなったソレを片手に包む。
「……っ」
微かに浅井から声が漏れた。
「浅井のコレ…俺んなかに入れて…」
耳元に唇を寄せ、俺はわざと囁いてやった。


すげ…めちゃくちゃ熱い…。
体内に取り込んだ浅井の熱をダイレクトに感じる。
つながった部分がまるで燃えているような錯覚さえ覚える。
「……立花、さん、大丈夫…?」
心配そうに俺の瞳を覗き込んできた。
なんとか頷いて。
顔の両側につかれた浅井の腕をぎゅっと握った。
「平気だから…動いて良いぞ」
俺の言葉に。
ゆっくりと浅井が動き出す。
やっぱり久しぶりなせいか、少し痛みははしるけれど。
耐えられないほどではない。
初めての時にくらべれば、全然マシだ。

「浅井…気持ちい…?」
俺は緩やかに突き上げられながら、浅井を見上げる。
荒い息をつきながら、浅井が頷く。
「うん…すごい…気持ちいいよ…立花さんの中…」
「…よかった…」
浅井の答えに、俺はめちゃくちゃ安心した。
よかった。
浅井が気持ちイイと思ってくれて。
やっぱり気持ち悪いと思われるより、気持ち良くなってくれた方が嬉しいから。
「立花さんは…?」
ふいに動きを止めて、まっすぐな瞳で俺の目をのぞきこんでくる。
不安そうな表情。
もしかしたら、浅井も俺と同じ気持ちなのかも知れない。
なんてったって、男とする初めてのセックスなのだ。
女とするみたいにって言っても、緊張しているに違いない。
キスするのだって驚いてたくらいだもんな…。
しかもフェラチオ初体験だったし。
俺は小さく笑って、まるでホントの恋人にするみたいに、浅井の首に腕をまわした。
浅井の熱い息が耳にかかる程の距離。
密着した身体から、直に伝わる浅井の体温。
それがなんだか嬉しくてたまらなかった。
「うん……俺も」
俺は心から満ち足りた思いで頷く。
こんな風に優しい気持ちで誰かと抱き合うのは、初めてのことだった。




■■■ HANA*HANA8 ■■■

……やっぱ綺麗な顔してるなあ…。
俺はぼんやりと目の前にある浅井の顔を見た。
いつもより早く目が覚めてしまった俺は、こうやってずうっと浅井の寝顔を眺めている。
こんな風に抱き合ったあとに相手の顔を見つめるなんてことは随分久しぶりだ。
今まで身体だけの関係だった奴等とは終わればさっさと身体を離していたし、こうして一晩中一緒にいることなんてなかった。
だから…目覚めて隣に浅井がいることがなんだか奇跡のように思えて。
信じられなくて、確かめるように何度もこうして浅井の寝顔を眺めているのかも知れない。

ピクリと浅井の瞼が震えたかと思うと、「ん…」と小さく浅井が声を漏らした。
それからうっすらと目が開く。
まだ定まらない視線がさまよって、ようやく俺を捕らえた。

「……おっす」
なんだか照れくさくって俺はぶっきらぼうに言った。
はじめ、浅井は今の状況が掴めていないようだったが、その内思い出したようで。
小さく俺の名前を呼んだあと、
「おはよう」
と挨拶を返してくれた。
「…今、何時?」
「えっと…8時半かな…」
俺は上体を起こすと、ベッドのそばに置いてある時計を手に取った。
「朝飯食べるか?なんか作るけど…」
「あ、うん。でも…」
そこで言葉を切ると、浅井は俺の腰に手をまわして来た。
「わ……っ!」
突然のことに慌てた俺は、思わず声を上げてしまった。
「…もうしばらく、こうしてて」
そのまま浅井の腕の中に抱き込まれ、耳元で囁かれた。
「……うん」
寝起きの掠れた声で、耳元で甘く囁かれて、抵抗なんてできるわけがない。
俺はおとなしく、浅井の腕の中におさまっていた。
まるで、ホントの恋人みたいだと、思ってしまった。

久しぶりの恋人同士という甘い雰囲気に俺は随分と飢えていたことを実感した。
浅井が俺を呼ぶ声が嬉しい。
優しく触れられるのが気持ちいい。
キスしたり、他愛のないことで俺の心がじんわりと暖かくなる。
これって……かなりやばい徴候だ。
浅井は1ヶ月だけの恋人なのに。
俺はその気持ちを振り切るように、かぶりを振った。

あれから。
俺は久しぶりのセックスに。
浅井は男との初めてのセックスに。
夢中になって。
俺は間違いなく浅井とのセックスに溺れていた。
まるでタガが外れたみたいに、お互いを求めあって。
一日中セックスして抱き合っていた。
もう何回したかなんて数えられないくらい。
最後のへんは、もう意識が朦朧としてて覚えてないけど。
俺に触れる浅井の手は最後まで優しかったことだけは、覚えている。
そして、いつのまにか二人とも疲れ切って眠ってしまったらしい…。
起きたら月曜の朝だったってわけだ。
丸々一日をセックスで潰すなんて、初めてのことだ。
こんなことになるって、予想していたわけじゃないけど。

よかった…日曜日もバイト休みにしてもらってて…。

もうしばらく、と浅井が言ってから、30分以上が経過している。
あんまりにも浅井の腕の中が心地よくて、俺はまた眠りにすいこまれそうになってしまった。
ハッ!いかん、イカン。
我に返った俺は、意を決して浅井の腕から抜け出すことにする。
「浅井、また寝ちゃうなよ」
「ん…」
微かな返事。
どうやら浅井は俺以上にウトウトしていたらしかった。
このまま二度寝できたら気持ち良いだろうな…と思ったけれど、その甘い誘惑をなんとか振り切って、ベッドから起き上がる。
そのまま立ち上がろうとして、足に力が入らなくなってることに驚いた。
「わっ」
あげた腰がストン、とベッドに逆戻りしてしまう。
その衝動で軽く腰に痛みが走った。
「……テテッ」
「立花さん?」
寝ていた浅井によりかかる形になってしまったので、突然の衝撃に驚いたらしい浅井が慌てて起き上がった。
「どうしたの?」
寝起きの無防備な顔で聞かれて。
まさか、やりすぎで足腰痛くて力が入らなくて立てません、なんて言えるわけがなくて。
「な、なんでもない…」
平気なフリで誤魔化すことにした。
「……もしかして身体…」
「大丈夫だってば」
俺はなおも追求してこようとする浅井に笑ってみせる。
浅井だけのせいじゃない。
欲しがったのは俺もだ。
だから、これは自業自得。
俺は意を決してもう一度立ち上がった。
ぐっと足にありったけの力をこめる。
少しふらついたかもしれないけど、なんとか立ち上がることができた。
「シャワー浴びてくる。また寝ちゃうなよ」
まだ心配そうに俺の後ろ姿を見つめる浅井に釘をさしてバスルームに向かう。
部屋から廊下に出た瞬間。
ガクガクと膝が震えてかなりビビった。
耐えられなくなって、その場にへたりこむ。
あーあ。
俺ってば、なんでいつも、こうイイカッコしいなんだろ…。
たちまち自己嫌悪におちいって、俺は深いため息をついた。

交代で浅井もシャワーを使い、その間に俺はなんとか朝飯の用意をした。
出てきた浅井と狭いテーブルを囲みながら、今日の予定を聞くと、浅井は昼からの授業には間に合うから、大学に行くと言う。
俺はホントは身体がだるかったんで(立てなかったぐらいだし…)、休みたかったけれど。
テツのやつに余計な勘ぐりをされても困るので、俺も午後の授業から出ることにした。

俺の作った飯(と言ってもごはんと目玉焼きとインスタントのみそ汁なんて簡単なもんだ)を食べて、俺達は学校に行くための電車に乗った。
駅につくまでの太陽が黄色く感じられて、眩しくて目が痛かった。
こんなこと、マジにあるんだと変なことに納得…。
横浜に学校のある浅井途中で乗り換えることになっている。
一つだけ開いていた席に浅井は俺を座らせると、その前に立ってつり革につかまった。
浅井は背が高いので、そうされると俺の目の前にでっかい壁ができたみたいだ。
なんだか守られてるみたいな気がして、少しくすぐったい。
俺が見上げると、どうしたの?と浅井が目で問いかけてくる。
俺はなんでもない、と首を振った。
それから、とりとめのない話をしているうちに、浅井の乗り換えの駅が近付いた。
「夜、電話するよ」
「……ん」
浅井の言葉に、俺は小さく頷いた。
ホームに電車が到着する。
「じゃあ、また」
「うん」
浅井が笑顔で手を振りながら電車を降りて行く。
俺は手を振り返し、ドアが閉まって電車が動きだしてからも。
浅井の姿が見えなくなるまで、見続けていた。


「重役出勤とは大した出世だね〜立花クン」
ダルダルの身体でようやく学校に辿り着いた俺を出迎えてくれたのは、今日は真面目に1限から出ていたらしいバカテツだった。
……そういや月曜日って一限の授業は夏目と一緒だったか。
しまった、と思ったがもう遅い。
「もしかして今まで、浅井と一緒にいたとか?」
ニヤニヤとスケベったらしい顔で聞いてくるバカテツ。
俺は思いっきりシカトしてやる。
「……」
「あ、紹介してやった俺にその態度」
構わず、ロッカーから教科書を取り出してると。
「いいよ、別に。浅井に聞くから」
「!!」
俺は勢い良く振り返った。
背後では俺の反応に楽しそーにしてるテツ。
…それだけは勘弁してくれ。
「わかった…言えばいいんだろ、言えば」
「素直でよろしい」
そうして俺は食堂へと連行されたのだった。

夏目はまだ授業中らしかった。
浅井に合わせてうちを出たので、昼休み前に学校についてしまったのが、誤算だった。
根掘り葉掘り聞かれまくって、俺はかなりうんざりしていた。

「ま、よかったじゃん。俺様は安心したよ。お前の欲求不満ぶつけられなくてすむからな〜」
なんてふざけたことを抜かしてテツが自販機で買ったコーヒーを啜る。
欲求不満っちゅーか、お前が俺の前でイチャイチャイチャ…(以下数十回)するからだろっ!!
「せいぜい長続きするのを祈っててやるよ」
シシシとまるで悪魔のようにテツが笑う。
何も知らないテツは冗談でいったんだろう。
でも。
……長続き。
そんなのするわけない。
だって、俺と浅井は。
「……浅井と付合うのは1ヶ月だけだ」
俺は抑揚のない声で言った。
「は?」
「だから…」
俺はかいつまんで浅井と俺との間で交わした恋人契約について話した。
浅井が自分がゲイなのか確かめるために、付合うことにしたこと。
拒否反応が出たら、途中でもそこで終わること。
テツは最初驚いた顔で俺の話を聞いていたけれど、そのうちその表情が険しいものへと変わっていった。
「なに、じゃあ1ヶ月たったら浅井とはバイバイってこと?」
「……バイバイっていうか…」
バイバイ。
……そうなるのかな。
そう思ったら、胸が突然痛くなった。
さっきまでじんわり暖かかったところが、急激に冷えてく感じ。
「じゃあ、友達になんの?」
友達。
俺と浅井が。
「セックスまでしといて、友達ヅラなんてカイリにできんのかよ」
「……」
「それとも、セックスフレンド?」
とテツが苦く言う。
テツの言葉に俺はテーブルの上の手をぎゅっと握った。
悔しいけど、テツの言うことはもっともだった。
こんな風に浅井と一線を越えて、平気な顔して1ヶ月後に友達付合いなんてできるだろうか。
……どう考えても。
答えは否、だ。
浅井が望めば。
俺はセックスだけの関係を続けてしまうだろう。
俺は浅井の腕の中が心地良いことを知ってしまったし。
知らなかったときには戻れない。
俺と浅井が身体を重ねた事実は俺の中からずうっと消えることはないだろう。
そうしたら、浅井の顔を見る度に、きっとそのことを思い出す。
普通に接するなんて…俺にはできない。
それに、いくら恋人契約を結んだなんて言い訳したって。
いまだってセックスフレンドとまったく違わない状況じゃないか。
だって俺達は。
俺と浅井は。
お互いを好きあってるわけじゃないから。
気持ちの伴わないセックスを楽しんでるだけ。
ただの身体だけの関係で…。

黙ってしまった俺を見ていたテツが、ため息まじりにつぶやく。
「ま、カイリがそれを望んでンなら俺は何も言わないけどな」
俺が、望んでること……?
俺は顔を上げてテツを見た。
テツの真剣な表情を目にすると、身体の強張りが止められない。
いつもふざけた表情しかしないやつだから。
こんな風に真剣な顔されると、ことが重大なのだと実感させられる。
俺は。
望んでた。
後腐れない、男との付き合い。
そして浅井と1ヶ月だけ、付合うことにした。
後腐れないと思ったから。
身体だけの関係を望んだから。
これは、俺が望んだこと。
でも。
今は?
今の俺は。
浅井との関係に、一体何を望んでいるんだろう……?

俺達はしばらく向かい合って黙ったままでいた。
が。
「……なあ」
テツがいきなり声をかけてきた。
そして何を言うかと思えば。
「浅井のエッチ上手かったか?」
さっきまでのシリアスな雰囲気は一体どこへ行ったのやら。
そんなふざけた問いに俺はあきれてものも言えないくらい、脱力した。
普通聞くか?そんなこと!!
しかもこの状況で!!(つーか学食で人の目もあるのに!)
「なあ、どうだったんだよ」
「……あのなあ。お前、それ俺が夏目に”テツはエッチが上手いか?”って聞いてるようなもんだぞ」
この例えならいくらバカテツでも通じるだろう。
そう思った俺が甘かった。
俺の言葉に、テツは不敵に笑って、自信満々に答えてみせる。
「自信持って答えてくれるに決まってるだろ。”テツアキのエッチは最高!”ってさ」
「……言ってろ」
あまりの馬鹿馬鹿しさに、呆れ返った俺は深〜いため息をついたのだった。

そのうち。
何かに気付いたテツが、俺の背後に向かって手を振る。
振り返ると、不思議そうな顔をした夏目の姿があった。
「あ、立花。おはよう。今日は1限どうしたの?」
なんて無邪気に聞かれて、俺は返答につまる。
テツと夏目がイチャイチャしてるところとか、エッチしてることとか。
俺は知ってても何も思わないのに。
かえって、俺がそういうことをしてるって夏目に知られるのはなんだか恥ずかしい。
夏目は外見だけで見ると、本当に何も知らないようなおコちゃまに見えるからだろうか。
(実際はバカテツとおコちゃまどころじゃないことやってんだけどさ……)
バカ正直に答えるわけにはいかない、と俺が返答に困ってる隙をついて、バカテツが、
「カレシと朝までイチャイチャしてて寝坊したんだとよ。不健全だね〜」
なんて余計な口をはさみやがる。
「え?!そうなの?」
テツの言葉に、夏目は純情にも微かに頬を染めた。
「〜〜〜テツゥ!!」
俺はギロリとテツを睨む。
どっちが!
お前等だって俺以上に不健全なことばっかりやりまくってるくせに!!
俺とテツ二人きりだったら、そんな風に思いっきり罵倒してやる所だけど。
ピルピル星人な夏目もいるし、しかもここは人の多い食堂だ。
俺はなんとかそれを飲み込んで、ギリギリとテツを睨み続けた。





■■■ HANA*HANA9 ■■■

「立花さん…?」
浅井の声に俺はハッと我にかえった。
「あ……」
真上から瞳をのぞきこまれて、俺は目のそらしようがない。
「のらないなら、やめる…?」
そうだ。
今の俺は浅井に抱かれている真っ最中だ。
それなのに別のことに意識を飛ばすなんて、失礼きわまりないことをしてしまって。
「ご、ごめん…」
俺は素直に謝った。
浅井が小さくため息をつく。
それから心配そうな顔して再度俺の目を覗き込む。
「……立花さん、なんか悩みごとでもあるの?」
図星をつかれて。俺はドキリとした。
「なんで」
「ここのところ、すぐボーッとしてるから」
……そうだ。
浅井の言うとおり、最近の俺はいつもこんな感じだ。
物思いにふけって、意識を飛ばしてしまうことが多くなった。
何をそんなに考えているか。
それは。
目の前にいる男のことだった。
浅井と一緒に居ても。
浅井とセックスしていても。
こんな風に浅井のことばかり考えてしまう。

でも。
いくら浅井のことで悩んでいても。
浅井に抱かれて、熱に追い上げられて、必死に浅井にしがみつくその時だけ。
すべてのことを忘れられる気がするから。
だから浅井とのセックスを望んでしまう。
答えられなくて口をつぐむ。
言えなかった。
お前のことで悩んでるなんて。

「浅井の気のせいだって…」
「でも…」
なおも言いつのろうとする浅井をさえぎって。
「いいから…」
浅井の首に腕をまわし、引き寄せる。
「しよ…」
囁くように、俺は耳元でそうねだった。

初めて浅井とセックスをして以来、浅井は俺を抱く度にどんどん上手くなって来てる。
俺の感じる所、弱い所。
もう全部知ってるんだと思う。
確実にそこを攻めて、俺にあられもない声をあげさせる。
時々、じらすように良い所をはずされたりもするし。
頭のいいやつの学習能力って怖い…。
「大丈夫…?」
「ん…」
挿入の後、必ずそう聞いてくる。
浅井は優しい。泣きそうなくらい。
大丈夫と頷いて、浅井に動いても良いと合図を出す。
はじめはゆっくりと。
徐々に強く激しく。
浅井が俺の中を出入りする度、俺の口から甘い声が漏れてしまう。
お互いの汗ですべる俺の足を肩にかかえなおして、深く穿つ。
色んな体位を試してみたけど、やっぱり顔が見れる正常位が俺は好きだった。
俺だけじゃなくて、浅井も感じてくれているのがその表情から分かるから。
男の俺の身体で、浅井が気持ち良くなってくれてる。
それが確認できるから、嬉しい。
揺さぶられて、俺は必死になって浅井の身体にしがみつく。
「……ッく!」
浅井が中でイッたのをゴムごしに感じて、俺もその刺激で射精していた。

終わった後は身体中ぐちゃぐちゃでべとべとだけど、俺と浅井はしばらく息がおさまるまでゆるく抱合ったままでいる。
「ん…っ」
ずるり、と音をたてて浅井が出ていく。
俺が微かに上げた声に、浅井は苦笑して小さなキスを俺の目尻に落す。
「んな色っぽい声出さないでよ」
またしたくなっちゃうだろ、とゾクリとクるような声で耳元で囁く。
「ばか」
俺は恥ずかしくなって、枕に顔を埋めた。

動けない俺に変わって、かいがいしく後始末を終えると、浅井がまた俺の横に滑り込んでくる。
「立花さん大丈夫?」
うつぶせの格好で汗で額にはりついている俺の髪をなでつけてくれる。
……浅井のこういうところがいけない。
恋人にするみたいな甘い仕種。
誤解してしまいそうだから、やめてほしい…。
「大丈夫だってば。気にしすぎ」
照れくさくって、あえて俺はぶっきらぼうに言う。

「立花さんとこの学祭はいつ?」
「学祭?」
もうそんな季節なんだな。
そういやウチの大学も近頃騒がしくなって来たような気がする。
廊下にはり紙とかしてあったっけ。
浅井みたいにサークルに入ってるわけじゃないから特になにすることもないしな。
去年は自分のとこの学祭にさえ行かずにバイトしてたし。
「たしか来月の頭じゃないかな」
「そっか。俺んところは明日からなんだけど、よかったらこない?案内するよ」
「浅井の…」
こないだのことを思い出すと、ちょっと鬱になるけど…。
女に囲まれて笑ってる浅井。
今そんなところを見たりしたらきっと今以上に自分の気持ちがわからなくなってしまいそうだ。
でもせっかくの浅井のお誘いを断わるのも忍びないし…。
……そうだ。
「テツも一緒にいっていいか?」
俺は思い付いた提案を持ちかけた。
「テツさん?」
なんだろ…。
テツの名前に浅井が過剰に反応した気がして、俺は首をかしげる。
「テツがくるんなら、どうせ夏目も来るだろうし。三人で行ってもいいか?」
またあんな場面を目撃することになったとしても二人がいるのなら少しは気がまぎれる、気がする。
「夏目さんも?」
「うん。それでもいいか?」
聞くと浅井は笑って頷いてくれた。
さっきの反応はやっぱり気のせいだったのか…と俺はホッとする。
本当はテツが来るとうるさいから、夏目と二人がいいんだけどさ。
夏目が嘘つけるはずもないし、あの二人はセットとして考えた方が正解だ。
「そういや、テツさんと夏目さんってどうやって付合うことになったの?」
浅井に言われて俺はハタと気がついた。
そういえば、どうやってだろう…。
「わからん…」
「わからん、って立花さん?」
「いやでもいつのまにか付合いはじめてたって感じだったし…テツからそれまで何も聞いてなかったからなあ」
確かに、テツは昔ッから自分のこと、特に恋愛ごとに関しては秘密主義だった。
幼馴染みだっていっても、そこにはちゃんと線が引かれていたように思う。
だから夏目と付合ってるってことを聞いた時は随分俺も驚いたもんだ。
意外というかいつのまに、って感じでテツの手の早さにもあきれつつ驚いたんだけどさ。
今度どういう経緯があったか夏目にでも聞いてみるか。
恥ずかしがって、聞き出すのに時間かかりそうだけどな。

ちょうど日曜日は俺もテツもバイトが休みだったので、その日に行くことにした。
浅井の大学の正門前で待ち合わせだ。
やっぱり大きい大学の学祭ともなると規模が違う。
駅前から、ものすごい人でお祭り騒ぎだ。
「お。きたきた」
浅井が人の波を縫うようにしてこちらに向かってくる。
テツがここだ、と手を振ると浅井も振り返しながら近付いてきた。
「こんにちは、テツさん、夏目さん」
「おう」
「こんにちは」
あえて浅井は俺には何もいわず視線だけをあわせてきた。
「にしても人多いなあ」
「今日は特に最終日ですから」
道理で、と俺達は浅井の言葉に納得した。
「今日は一日案内するよ」
「え。でもお前サークルとかでなんかあるんじゃないのか?」
「俺の当番は昨日だったから大丈夫。それより立花さん、ごはんは?」
俺の心配をよそに、いつものように浅井が聞いてくる。
どうも俺が一人暮らしだから食生活を心配されているらしい。
確かに、三食まともに食べることなんて滅多にないからな…。 下手したら一日一食だったりするし。
「いや、まだ」
「テツさんと夏目さんは?」
「俺らもまだだ。っていうかカイリんちに泊まってそのまま一緒に来たからな」
「……へえ、そうなんだ」
テツの言葉に浅井の表情が一瞬固くなったような気がしたのは気のせいだろうか。
「じゃあ、俺の知り合いのとこがパスタ屋やってますけどそこに行きますか?」
浅井の提案に三人とも同意して、浅井に案内されながら構内を歩いた。
「浅井はサークルでなにやってんだ?」
テツのやつ余計なことを…。
俺は心中でチッと舌打ちした。
んなところに行ったら、また女どもに囲まれる浅井を見なくちゃいけなくなるかもしれねえじゃねえか。
「視聴覚室で映画上映やってます。あとから行ってみます?」
「そうだな。どんなのやってんだ?」
「うちの先輩達が監督したやつとか、ちょっとマニアックなやつとかですね」
「へえ、おもしろそうだな。夏目」
「そうだねえ」
浅井と俺の後ろでテツと夏目が頷きあう。
……また始まったか。
昨晩も俺の部屋で俺の前でイチャイチャイチャ…。
悩んでる時にまた目の前でイチャつかれるのもムカツクもんだ。

浅井の友達がやっているというパスタ屋はそれなりに混んでいたけれど、俺達はなんとか空いた席に座り込む。
4人で会話しつつ注文したパスタを平らげた。
意外だったのは夏目が浅井に吃驚する程、打ち解けている事だった。
夏目にしては珍しく人見知りすることもなく、スムーズに話をしている。
大学で俺達と知り合って親しくなるまで結構時間がかかったのに、これは本当に意外で驚きだ。
テツはそれが気に喰わないらしく、見ると眉間に皺がよっている。
俺の視線に気付くと、ギロッと睨まれてしまった。
そんな俺を睨まれても…。
どうしろっつーんだよ。
もうこれ以上我慢できないと思ったのか、
「そろそろ行こうぜ、お前のサークルんとこ」
食後のコーヒーを飲み干し、テツが立ち上がる。
「……そうですね。今からだと1時の回が見れると思うんで」
浅井も腕時計で時間を確かめながら、立ち上がった。

あんま、行きたくないんだけどな……。
浅井たちのサークルがやってる視聴覚室までの道のりを歩きながら、俺は小さくため息をつく。
モヤモヤと頭に浮かんでくるのはあの時、浅井が女に囲まれてる光景ばかり。
自然、俺の足取りも重くなる。
すると、歩調を緩めたテツが俺と並んで歩き始めた。
俺達の数歩前を興味深そうにキョロキョロしている夏目に、浅井が何か説明をしながら歩いている。
チラリと横目でテツを見ると、機嫌の悪そうな顔。
相当御立腹らしい。
「なんだよ、カイリ。しけたツラしやがって」
「……別に」
どっちがしけたツラしてんだよ、と俺はぶっきらぼうに答えた。
「うっわ、カッワイクね〜態度」
ゴツン、と鈍い音を立てて、後頭部を小突かれる。
「せっかくの休日に俺と夏目の貴重な時間潰しといてそれかよ」
「いいじゃねえか、お前は夏目と一緒にいられりゃ文句ねえだろ」
「ダブルデートなんて俺の趣味じゃねーの」
ダブルデート…。
嫌な響きだな、と俺は顔をしかめた。

辿り着いた視聴覚室の中は暗幕がひいてあって真っ暗だった。
「あ、俺これ見た事ある」
1時から上映するという映画は、俺は一度見た事のあるものだった。
「え?そうなんだ?じゃあ、どうする?」
「いや、もう一回見てもいいけど…」
結構おもしろかったし、と俺が続けようとしたところで、テツが割り込んで来た。
「浅井も見た事あんのか?」
「え、まあ一応」
してやったり、とばかりにさっきまで不機嫌だったテツの表情が明らかに変化した。
「夏目は見た事ないよな?」
「え?うん」
素直に頷く夏目。
「じゃあ、お前等は一度見てるんだから二度もみる必要ねえだろ。俺と夏目はここで映画見てくから、お前らはふたりでどっかまわってこいよ」
シッシとまるで犬を追い払うようにやられて、俺と浅井は顔を見合わせる。
「んじゃあな。いこっか、夏目」
「え?え?テツアキ?」
混乱顔の夏目の背中を抱いて、暗くなった視聴覚室の中へ消えていく。
……まさか、またいかがわしいことするんじゃねえだろうな。
一抹の不安を覚えたが、テツが不機嫌なのもうっとおしいので、目をつぶっておくことにした。

「なんか気つかってくれたんですかね…テツさん」
「……」
いや、反対にこっちが、無理矢理気つかわされてんだと思うけど……。
つーか、あいつは気使うような人間じゃないし…。
となんだかテツを誤解している浅井に逐一説明するのもなんなので、俺は黙っておいた。
「じゃあ、どこか行ってみましょうか」
「……うん」
頷いて歩き出そうとしたその時、ちょうど誰かが浅井を呼び止めた。
「浅井くん」
呼ばれて振り返る浅井。
「秋吉…」
「ちょっといいかな?」
「あ、うん。立花さん、ちょっと待っててくれる?」
秋吉と浅井に呼ばれた男は、眼鏡をかけ、知的な雰囲気が漂っていた。
俺よりも少し背が高いくらいだろうか。
浅井よりは低いみたいで、上目遣いでノートを片手に浅井に何か話している。
それから二言三言かわして、話はまとまったらしい。
「立花さん、ごめんね」
言いながら、浅井が駆け寄ってくる。
ふと気がつくと、その浅井の後ろ姿を秋吉と呼ばれる男はじっと見つめていた。
まるで、熱にうかされたような。
そんな目をして。
俺と視線がかちあうと、恥ずかし気に視線をそらし、足早にきびすを返し室内へと入っていってしまった。

「浅井…」
俺は彼が入っていった方向を見つめたまま、浅井を呼んだ。
「なに?」
ゆっくりと振り返ると、笑顔の浅井がいる。
「……なんでもない」
言いかけて、俺は小さく首を振った。
本当は聞きたいことが沢山あったのだけれど。

浅井が初めてあった時に言っていたことを思い出す。
『初めて男に告白されてドキドキした』って。
……もしかして。
いや、絶対だ…。
アイツ、浅井に告白したってこだ…。
あんな風に真剣な目で浅井を見てて、分からない方がバカだ。
あのこは浅井が好きなんだ。
浅井はどうしたって言った?
断わったっていったか?
聞きたいけれど、聞けなかった。
だって俺は…。
浅井の本当の恋人なんか、じゃないから。
たった、1ヶ月だけの。
なのに…そんなこと聞いてどうするっていうんだ…。

「どこ行きたい?」
「浅井が好きなとこ」
聞かれて、俺は即答していた。
俺は浅井の大学での生活をほとんど知らないから。
あの秋吉って奴は知ってても、俺は知らないから。
だから少しでも知りたくて、俺はそう言った。
「え?」
聞き返す浅井に再度言い直す。
「普段浅井がよく良く行く所に連れてって」


「やっぱり、閉まってるか」
浅井がつれて来てくれたは図書室だった。
俺の大学よりもかなり大きくて、他の校舎から独立している。
俺のところなんかホント校舎の1室にあってちっちゃなもんなのに。
いい大学だとやっぱり図書室もいいもんなんだな、と思ってしまう。
誰もいない図書室前のロビーで俺達は背もたれのない椅子に座った。
「浅井はよく来るんだ?」
「時間が有れば。課題とかじゃなくてもおもしろい本が沢山あるしね」
「俺なんて図書室なんか課題以外の時なんか行かないなあ〜」
俺の言葉に浅井がクスリと笑った。
それから少し沈黙があって。
「立花さん」
思いのほか真剣な声色で名前を呼ばれた。
「……ん?」
「楽しく、ない?」
「そんなこと…ない」
「でも今日一回も立花さんが笑ったとこ見てない」
見られてる。
浅井は俺のことをちゃんと見てくれてる。
それが、恥ずかしくて、嬉しくて。
でも反面悲しくもあった。
俺を気にかけてくれる、浅井の優しさが。

優しくすんなよ。
たった1ヶ月だけの恋人なんかに優しくすんな。

俺は何も言えず、うつむいてしまう。
「立花さん…?」
すぐ近くから、浅井の心配げな声がする。
この時の俺はもしかしたら泣きそうな顔をしていたのかも知れない。

「立花さん…」
見つめあう。
浅井の手が俺の頬にそっと触れてくる。
すくように持ち上げられて。
条件反射のように俺は瞼を閉じた。
まるで恋人どうしのキスをして。
浅井にとってはただの慰めのキスでしかなかったのかもしれないけど。
目をうっすらと開けた時、浅井が俺をジッと見つめているのが、わかった。
俺はそんな浅井の視線に耐えられなくて。
そのまま浅井の肩に顔をうずめた。
浅井の腕が俺の背中にそっとまわされる。
…キスするだけで、胸が高鳴る。
2年ぶりに感じる、忘れていた胸の高鳴り。
俺は、想いを噛み締めるように目を閉じた。

俺は浅井に惹かれてる……。
浅井のことが、好きなんだ…。

それは俺の中で動かしようのない事実になっていた。




■■■ HANA*HANA10 ■■■

俺と浅井の恋人期間はあと1週間にせまっていた。

「浅井は?」
「ここで待ち合わせ。もうすぐ来ると思うけど…」
答えながら、俺は腕の時計をみた。

週末。
俺と浅井はヨウくんの店で待ち合わせをしていた。
そこに予想外にもテツが姿を見せて、夏目もくるのだという。
当たり前のようにテツが隣のスツールに腰掛けて、ヨウくんにビールを頼む。

「まだ、続いてんのか?恋人ごっこ」
テツがニヤニヤしながら俺に顔を近付けてくる。
「続いてちゃ悪ィか」
俺はからかわれているのかと思い、ギロリとテツを睨んだ。
そんな俺の反応に、おかしそうに笑う。
「違えよ。驚いてんのはごっこが続いてることにさ」
恋人ごっこ。
確かにそうだ。
俺と浅井は恋人どうしを演じてるにすぎない。
そう思うと、チクリと胸が痛む。
原因はわかってる。
俺達が本当の恋人同士ではないからだ。

「何、お前ホントに浅井とは1ヶ月でバイバイするつもりなの」
俺はテツの問いに答えられなかった。
浅井を好きだと気付いてしまった今。
俺自身どうすればいいのかわからないんだから。
言葉につまってしまった俺を見て、フッとテツが息をついた。

「浅井のこと、好きなんだろ?」
ずばりと切り出された言葉に、俺は息を飲んだ。
図星をつかれた俺の表情を見て、テツは得意気に笑った。
俺はなんでも知っているんだ、とでもいうような顔で。
「だったら、ごっこなんてやめて本気で付合えばいい」
……でも、怖い。
少しの間だけの恋人なら、我慢できると思ってた。
でも、俺にはそれさえも無理で…。
俺は浅井を一人占めしたくなってる…。
それが、怖い。
好きじゃないから、嫉妬なんかしないですむ。
そう思って、浅井と付き合いだしたのに。
俺はいつのまにか、惹かれてしまっていたから。
浅井を、本気で好きになってしまったから。

「なあ、カイリ。俺がなんでお前にアイツを紹介したかわかるか?」
俺は答えず、テツの言葉の続きを待った。
笑みを浮かべながら、テツが続ける。
「アイツ、めちゃくちゃカイリの好みだろ。だから絶対お前は浅井のことを好きになると思った」
俺が浅井を好きになったのは、テツの思惑通りだったらしい。
10年以上も一緒にいるんだ。
もしかしたら、テツは誰よりも俺のことをわかっているのかもしれない。
思えば、いつもテツは俺の気持ちが手にとるようにわかるかのようだった。
今の俺がどうして悩んでいるのかなんて、テツにはきっとお見通しに違いない。
そう思ったら、何も口にできなくなっていた。
俺が黙り込むと、真剣な声でテツが言った。

「いつまで逃げてるつもりだよ」

……逃げてる。
テツは気付いてる。
俺が過去を忘れられないんじゃなくて、忘れようとしていないことを。
あんなに辛い気持ちになるくらいなら、もう本気で恋愛なんかしたくないと思ってることを。
身体だけの、気持ちのない関係。
それが一番後腐れなくていいと思ってた。
けれど、俺は…。
浅井のことが好きになってしまっていた。
でも、今さらそんなこと言えない。
浅井だって困るだろう。
だって言い出したのは俺なんだから。
1ヶ月だけ。
そう言って。

……分かってる。
恋愛の一番醜いところから、俺は目を塞いで逃げていたいだけなんだ。




「今、何時だ」
俺の腕をつかんで勝手に時間を確認すると、テツは「そろそろだな」と席を立った。
「夏目、迎えに行ってくる」
どうやら夏目を駅まで迎えにいくらしい。
……過保護な奴だ。
「……はいよ」
俺は投げやりに手を振って、テツを見送る。 テツがちょうドアに近付いた時、そのドアが開いて浅井が顔を見せた。
テツが浅井に何か言ってる。
浅井が笑う。
俺の胸がキリリと痛んだ。

駄目だ。
俺以外の人間に笑いかけるな。

浅井がこっちに向かってくる。
醜い思いが顔に現れているような気がして、俺は慌てて目を反らした。

「立花さん」
俺を見つけると浅井は少し笑顔を浮かべて俺のところへとよって来た。
「また待たせた?立花さん早すぎるよ」
また自分よりも早く俺が待ち合わせ場所にいたのが気に入らないらしい。
「俺だって人待たせんのは嫌いなんだよ」
ガキっぽい浅井の態度にあわせて、俺もわざとそう答えて、唇を尖らせてみせた。
「こんばんわ」
カウンターの向こうのヨウくんが、そんな様子をみてひそかに笑っていたらしい。
「あ、こんばんわ」
浅井が照れくさそうに、挨拶を返す。
「浅井くんは、なんにする?」
「あ、じゃあ立花さんと同じものをお願いします」
ヨウくんに几帳面にオーダーすると、浅井は俺の左隣に腰掛けた。

さっき楽しそうにテツとなにしゃべってた?
聞きそうになって、俺は酒と一緒になんとかそれを飲み込んだ。
そんなこと聞くなんて、まるで嫉妬深い女みたいで、情けなかったからだ。

「もうすぐ1ヶ月だな」
かわりに俺はわざとボソリと言った。
浅井は驚いた顔をして俺を見た。
「……なんだよ」
「ああ…そっか。そうだよね…」
そんなこと忘れていた、とでもいうような浅井の口調に俺の方が驚かされる。
こんなに俺が思い詰めてるっていうのに、まさか忘れてたんじゃあるまいな。
「そっか…もう1ヶ月たつんだ。早いなあ」
「しみじみしてんじゃねえよ。それより、どうすんだ」
「どうするって」
「オトコと恋愛できそうかって聞いてんの。それが当初の目的だろ」
俺とエッチまでできたんだから、大丈夫とは思うけど。
浅井は思い掛けない提案を持ち出してくる。
「契約……1ヶ月だけ延ばしちゃダメかな」
「バカ、何いってんだ。お前はオトコと付合うことも、エッチもできたじゃねえか」
そう言いながらも、浅井が続けたいと思ってくれていることが嬉しかった。
でも、俺にはこれ以上自分を隠し続ける自信なんてなかったし。
好きだって気持ちを隠す自信もなかった。
だから、終わらせようとしている。
「もう俺はお役御免ってわけだ」
どこかしら不安げな表情の浅井の背中を叩いて、俺は喝を入れてやる。
「お前ならオトコもオンナも選り取りみどりだから、向こうから相手が寄ってくるだろうし。相手には困んねえよ」
浅井が誰かと付合うことなんて、想像したくもなかったけれど。
「立花さんは…?」
「え?」
「立花さんは、どうするんだよ?」
「俺?バカ、人の心配なんてしてんなよ」
きっと俺は恋愛なんかできない。
相手の事を縛り付けてしまうから。
浅井。
お前はまだ知らないんだよ。
本当の俺の事。
1ヶ月だけの恋人。
それが今の俺にブレーキをかけているだけだ。
でも、浅井を、お前を好きだと気付いた今。
もうこれ以上、恋人でもない関係で、嫉妬を見せないでいられる自信は俺にはないよ。
お前には俺のいいとこだけ覚えててほしい。
そう思うのはただの自己満足かな…。

「立花くんと浅井くんは付合ってたんじゃなかったの?」
ふいに目の前で声がして、俺は顔をあげた。
カウンターの向こうで、グラスをふきながらヨウくんが興味深そうに俺と浅井を見ている。
「……ホントの恋人、ではないよ」
俺は浅井の顔を見ないで、ヨウくんに言った。
浅井は何も言わなかった。
そう、本当のことだもんな。
浅井が終わりにしたいっていえば、あと1週間もまたなくても、すぐに関係を終わらせることだってできる。
そんな、たやすくて、薄っぺらな関係なんだ。
「じゃあ、浅井くんはフリーってこと?」
「え…」
「そうだよ」
浅井が何か言うのをさえぎって、俺は頷いた。
「じゃあ、俺なんか、どうかな?」
「え?」
俺と浅井はそろって声をあげ、ニコニコ笑うヨウくんの顔を凝視した。
今までヨウくんの恋愛の話とか聞いたことはなかったので、ヨウくんの口からそんな言葉が漏れたのはかなり意外だった。
そうだよな、ヨウくんだって、ゲイなんだもん。
浅井のことをイイ男って思うだろうし、付合いたいって思ったって、全然不思議じゃない。
「そんなびっくりした顔するなよ、ふたりとも」
冗談だよ、とヨウくんは楽し気に笑う。
「でも、浅井君が募集すれば今でもあっちこっちから立候補がすぐに上がると思うよ」
周囲を見なくても、感じていた。
さっきから店中から感じていた視線はすべて浅井に向けられたものだ。
例え浅井はゲイでなくても人を引き付ける十分な魅力を持っている。
……俺だって、引き付けられたその中の1人だ。
この店の中でも浅井をねらっている人間が数多くいたっておかしくなんてない。
でも、本当に。
浅井が誰かと付合いはじめたら…。

耐えられない。
俺はきっと。

「え、なになに。このこ恋人募集中なの?」
俺達と並んでカウンターに座っていた男が興味深そうに聞いて来た。
俺は浅井の隣にいる、その男を見る。
よく店で見かける顔だった。
「みたいですよ」
ヨウくんが笑顔で答える。
「じゃあ、僕が立候補しちゃおうかな〜」
なんて言いながら、その男は浅井の肩にしなだれかかった。
それを目にした瞬間。
カッとなった俺は思わず口走っていた。

「だめだ!!」

俺のその声は、店中に響いたと思う。
浅井も、ヨウくんも、浅井の隣に腰掛けて来た男も。
店中の人間が、突然声をはりあげた俺を見ていたと、思う。
「あ……」
一瞬にして、俺の頭にカーッと血が上る。

………俺、今っ!!
反射的に叫んでしまった言葉が、頭の中にこだまする。
だめだ、って何がだよ…!!
何言ってんだ?!俺!
自分の突然の行動に自分でもわけがわからなくなって、頭の中は混乱していた。
完全にパニック状態だ。

「……たちばな、さん?」
浅井のとまどいがちな声。

……どうしよう。
恥ずかしくて、顔があげられない。
あげて、浅井の顔を見るのが怖い。
俺は浅井の顔をまともみ見ることができなくて、その場を脱兎のごとく駆け出していた。

「た、立花さん!!!?」

浅井の声を背に受けながら、一目散に俺は店の出口を目指す。

「おっと」
扉を開けた瞬間、テツの声が聞こえた気がしたけど、俺は振り返らなかった。

店を飛び出した俺は、込み上げる羞恥を振払うようにただがむしゃらに走った。
後ろを振り返る余裕なんてもちろん、ない。

浅井はどう思っただろう。

「だめだ」

なんて。

そんなこと言う権利俺にはないのに。
浅井は俺のものじゃないのに。
浅井は本当の恋人なんかじゃないのに。
浅井は俺の事なんか好きじゃないのに。

あんな。
嫉妬丸出しの大声。
穴があったら入りたい。
入って、二度とでてこれないくらいに、もぐりこんでしまいたい。

そんな俺を穴から引きずり出したのは、浅井の声だった。

「立花さん……っ!!」
浅井の声がおっかけてきて、俺は驚いて思わず後ろを振り返った。

……あさい…っ!!

それは空耳なんかじゃなかった。
走っている浅井の姿。
呆然と立ち止まってしまった俺のそばまでくると、浅井は俺の腕を引き止めるように掴んだ。

「……つかまえれた。よかった…」
俺と同じく全力疾走したらしく、息が乱れている。

……なんで。

「ばかやろ……なんで追っかけてくるんだよ……!!」
俺は浅井の手をふりほどこうと、身をよじらせた。
今は浅井と面と向かって、話なんかできない。
すると、俺の抵抗を封じるかのように、つかまれた腕を引き寄せられて、もう片方の腕も掴まれて。
俺の両手の自由がきかなくなってしまう。

「立花さんが心配だからに決まってるだろ」
つかまれている手首に力がこもる。
「俺のことなんか、ほっとけよ!どうせ俺とお前は1ヶ月だけの関係なんだから!!」
本当は浅井が少しでも心配してくれているのが、嬉しいくせに。
素直じゃない俺は、可愛くないことを言って、浅井の腕から逃れようともがいた。

「じゃあ、1ヶ月だけじゃなくて、これからもずっと……俺の恋人になってよ」
囁くように、浅井が言った。
「何言って…」
「立花さんが嫌がるかも知れないと思って、言わなかったけど…」
浅井は息を整えるように、一呼吸おいてから。

「俺は立花さんが、好きだよ」

欲しかった言葉。
どうして、浅井は知っているんだろう。

「嘘…言うな」
「嘘じゃないよ」
「だって、お前…」
続けようとする俺の言葉をさえぎって。
「立花さんだけだ。初めて会った時から、ずっと…惹かれてた」
浅井は俺の身体ごと引き寄せた。
抱き締められてる、浅井に。
俺は一瞬驚きに身体を固くしたけれど。
あまりにも浅井の腕の中が気持ち良くて、すぐに力を抜いた。
これは夢じゃないんだろうか…。
浅井が俺を好きってゆってくれている。
俺は涙が出て来そうになって、浅井の肩口に顔を埋める。
嬉しくて。
感情が壊れてしまいそうだった。

「…俺も立花さんに聞きたいんだけど」
浅井の声がすぐ近くで聞こえる。
「さっき、どうしてあんなこと言ったの…?」
思い出されて、またもや俺の頭に血が上って耳まで赤くなる。
「俺のいい様に解釈しちゃうよ…?立花さんも俺と同じ気持ちなんだって」
「……しろよっ」

それであってるから。

めちゃくちゃ嫉妬してた。
1ヶ月だけの恋人ごっこだとわかってても。
声を掛けて来た、浅井の同級生の女達。
浅井に告白してきた、秋吉という男。
ヨウくんの店にで、浅井に色目をつかってきた男達。
浅井と楽し気に話していたテツや夏目にさえも。
しちゃいけないと思ってても。
どうしようもなくて。
だって、浅井のことが好きだから。
思えば、初めて浅井を束縛したいと思ったあの時から、俺は浅井のことが好きだったんだ。

「俺、嫉妬深いんだからな」
「うん」
「お前みたいにモテるやつと本当は付合いたくなんかないんだから」
俺の強がりさえも、浅井は受け止めてくれる。
「うん。でも俺は立花さんと付合いたい」
無理させて悪いけど、と浅井が付け加えた。
「浮気なんかしたら、許さないんだからな」
「しないよ。立花さんだけだ」
抱き締めた俺の耳元で囁く。

ひやかすような口笛が通り過ぎる連中から聞こえたので、俺と浅井は慌てて身体を離した。
なんか…ごい照れくさいんだけど…。
浅井を見ると、浅井も照れくさそうな顔をしていて、俺達は顔を見合わせて、小さく笑った。

「帰ろう」
浅井が俺に向かって手を差し出す。
俺は少しためらったけれど。
その差し出された手に手を伸ばした。
しっかりと浅井の手のひらに包まれる。
手のひらから伝わる、浅井の体温。

浅井とは。
キスしたり、抱合ったり、セックスしたりしているのに。
こうして手をつなぐというだけで、俺はその行為のどれよりも、ドキドキしていた。
人目も気にせずに、手をつないでくれる浅井。
それがどれだけ俺を幸せにしてくれてるか。

もう恋愛なんてしないと思ってた。
苦しくて、せつなくて。
こんな思いをするくらいなら、1人で居た方がいいと。
そう臆病になっていた俺は、こりずにまた恋に落ちた。
また苦しい思いをするのかもしれない。
でも。
こうして浅井が手をつないでいてくれたら、今度こそ乗り越えられる気がする。
「……あさい」
「……ん?」
名前を呼ぶと、すぐに反応をかえしてくれる。
好きだよ。
あえて口には出さなかったけど。
俺の気持ちが少しでも浅井に伝わるように、と。
俺は浅井の手を握り返した。

こうして。
手をつないで店に戻った俺達は、テツたちに散々からかわれることになったのだった。



第1部おわり


































posted by moi at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | HANA*HANA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

HANA*HANA2



■■■ HANA*HANA11 ■■■

「これって浅井くんだよねえ?」
そう言って、夏目がもってきたファッション雑誌をみて俺はぶったまげた。
いや、夏目が意外にもファッション雑誌を見てるということに驚いたわけではなく。
そこには誌面の半分のスペースにデカデカと浅井の姿が映っていたのだから。

……なんだ、これ。

俺、立花浬(カイリとよむ)は私立大学に通う大学2回生だ。
そして1ヶ月前にはれて恋人同士になった男の名前は浅井雄大。
学年的には一つ年下の19歳だ。
その恋人が有名ファッション誌(一般人を扱うコーナーとは言え)に取り上げられてるんだから、驚いて当たり前だろう。

っていうか、いつのまに…。

「すごいねえ〜、浅井君。雑誌に載っちゃうなんて」
俺の幼馴染みの恋人でもある夏目はそう素直に喜んでいるけど。
俺は無言のまま、その雑誌をくいいるように見ていた。

そう言えば、この服装…見覚えがある。
先週くらいの日曜日にデートした時、同じ格好をしてた。
靴も鞄もコートもあの時とまったく一緒だ。
時間的に考えて俺との待ち合わせ場所に来るまでに写真を撮られたんだろうけど。

アイツ…一言も写真撮られたなんて言わなかったぞ…!!

「立花…?」
黙り込んでしまった俺の異様な雰囲気に、夏目はようやく気付いたらしい。
「帰る…」
そうぼそりと呟いて、席を立った俺を、触らぬ神に祟りなしと踏んだのか、引き止めることもしなかった。
「おい、どこ行くんだ?」
教室を出る瞬間、聞き覚えのある声が聞こえた気がしたけど、俺はそれを無視して怒りをこめた足取りで廊下をズカズカと歩き出したのだった。


「……」
「……」
テーブルをはさんで向かい合って、俺と浅井は正座していた。
テーブルの上には、件の雑誌がのっかっている。
金曜で明日から休みだから、とお泊まり予定でたずねてきた浅井に、俺はむっすりと黙ったまま、この雑誌を突き付けたのだった。
その時の浅井が。
しまった、という顔をしたのを俺は見逃さなかった。
「……中、見たんだよね?もちろん…」
ようやく口をひらいて、おそるおそるたずねる浅井を俺は、うらめしげにねめあげた。
それが返事の変わりだ。
「あえて言うことでもないかな、と思ったんだけど…」
その言葉に俺はギロリと鋭く浅井を睨んだ。
あえて、ってなんだよ。
浅井にとってこんなことは日常茶飯事だとでもいうんだろうか。
こういう時、浅井のことがわからなくなる。
自分が並みの男なんかより数倍イイ男だって自覚しているようで、でも時折なんでだろうと首をかしげたりする。どうして、自分がモテるのかわからないというように。
一体浅井は自分の容姿をどんな風に自覚してるんだろ。
ホントに不思議なやつ…。
なんかこれ以上、浅井に何を言っても無駄な気がして、俺は身体の力を抜いた。
「こんなにもデカく載るなんで思わなかったんだって」
「もー、いい…」
「立花さん!」
ため息をついて、俺は後ろのソファベッドにのそりとのり上がり、うつぶせにねそべった。
俺はとにかく、浅井が俺になにもゆってくれなかったことがショックだったのだ。
確かに、雑誌に載ったことは気に喰わないけど、浅井の口から聞いてたら、ちょっとふくれたくらいですんでたと思う。
でも、今回、浅井は俺に何も言わずに黙ってたんだ。
もし、今日夏目が教えてくれなかったら、普段読まない雑誌だし、俺はずっと知らないままでいたに違いない。
浅井が何も言わない限り。

また悪い癖が出てるのかも知れないけど、でも浅井のことはなんでも知っていたい。
だって、好きなんだもんよ…。
相手の事を少しでも知っていたいと思うのは決しておかしなことじゃないはずだ。

「立花さん…」
浅井がそばに近付いて来たのが、わかった。
それから俺の髪を撫ではじめる。
俺は抵抗することもしなかったけど、なんの反応も返さなかった。
浅井が小さく息をついたのが分かった。
年上のくせにしょうがねえやつとでも思われてるんだろうか、と俺は少し不安を覚える。
でも持ち前の意固地さで、俺は顔をあげることができない。
ところが、今度は。
「機嫌直してよ、立花さん」
耳元で囁く浅井の声。
ばかばか、そんな耳元で!
みじろぐ俺に構わず、浅井は俺の上にのっかってきた。

根負けした俺が、チラリと見てしまったのが、ダメだった。
途端に嬉しそうな顔をした浅井が、
「立花さん…」
と俺の名前を呼んで、かがみこんで口付けをせまって来る。

……ああ〜駄目だ。
流されてるって、わかってるんだけど。
どうしようもない。
だって、俺の好きな男がこんな至近距離に顔を寄せて、俺にキスしようとしてるんだぜ?
…素直に眼をつぶって、受け入れるしかないでしょ…。

触れあったと思ったら、すぐに浅井の舌が侵入して来た。
からめとられて、吸われて。
不自然な体勢での口付けのせいで(だと思いたい…)口のはしから流れ出た唾液が俺のあごを伝う。
いつのまにか浅井の手によって俺はあおむけの体勢になっていた。
真正面から抱合ってキスを続ける。
今じゃすっかり、俺は翻弄される側に回っていた。

浅井は俺の事を経験豊富そうに思ってるかもしれないけど、本気で付合った相手は今まで浅井以外に1人だけだし、別れてから寂しさを紛らわすために数人の男の寝たこともあったけど、最期まで至ったことはない。
俺が拒んだってこともあるけど、結局一晩だけの相手を捜していたもの同士、お互いを慰めあうだけで終わった。
男同士で付き合えるかどうか試そうと恋人契約を持ちかけて、無理矢理身体の関係持った俺は浅井の目に男慣れしてるように映っているんだろうけど。
でも本当は。
セックスどころじゃなく、こんな風にキスだけでメロメロになってる。
……くやしいから言ってやらないけどさ。

口付けにうっとりしている間に、俺はすっかりベッドに組み敷かれていた。
顔を近付けて来た浅井の頬を俺はぎゅっと軽くつねってやる。
「立花さん?」
驚いたらしい、浅井。
「今回は誤魔化されてやる…でも、今度からはこういうのはナシな。あとからこんな風に知るのは、俺、いやだ…」
「うん、ごめん…」
浅井は真剣な面持ちで頷いて、謝罪とでもいうように、頬をつねっている俺の手を浅井は自分の手で包み込むと、俺が力を抜くのを見計らってから、その手を口元にもってきて、小さく口付けた。
ホント、俺ってば、ダメだなあ。
これだけで、もう許していいと思ってしまうんだから。
浅井の口付けが再度おりてくる。
キスを受け入れながら、浅井の手はしっかりと俺の服を脱がしはじめていた。



「フ…ッうん、……ンッ」
浅井が動く度に、声が漏れてしまうのが止められない。
自分でも分かっていない、弱い場所を強く抉られて。
「あッン……っ!」
一際高い声が、俺の口からはしたなくもあがってしまう。
「ここ…いいんだ?」
俺の反応に、浅井がフと笑った。
初めて身体を重ねた時のとまどいが嘘のような浅井の態度に、俺はくやしいやらはずかしいやらで唇をかみしめた。
あんなにぎこちなかった浅井の動きも、今ではすべて調査済みだとでもいうように、的確に俺の良いとこと、弱いところをついてくる。
くやしい。
俺はお返しとばかりに、力が抜けてる下肢になんとか力を込めて、俺の中にいる浅井をグッと締め付けてみた。
「……っく」
浅井の口から、噛み殺したような声が漏れて。
俺は心の中でガッツポーズをとりつつ、舌を出した。
しかし。

……うわ。

「ん…っ」
俺の身体もつられて、ビクリと震えてしまう。
締め付けたら締め付けたで、余計中にいる浅井の大きさがリアルに伝わってくるから、これってば俺も感じちゃって、あんまり効果ないかも…。

その様子を見ていた浅井が笑った。
見られてた…。
俺はバツが悪い思いで、顔をしかめていたが、その内おかしくなってきて、笑った。
まだ身体が繋がってる状態で何やってるんだろ、とは思ったけれど、止まらなかった。
触れあってるお互いの身体から、振動が伝わってくる。
それにさえも、俺の身体は敏感に反応して、
「あ…っ」
と声が出てしまった。
浅井は笑った顔のまま、そんな俺にキスをしかけながら、動き始める。
浅井のキスと突き上げに翻弄されて、俺の口からは喘ぎ声しか漏れなくなった。

思えば、抱かれてる時に、こんな風に笑ったことなんてなかった。
じゃれあうようなセックス。
幸せだと思う。

「あさい…っ、おれ、も…」
「……うん」
浅井が俺のこめかみに軽くキスする。
いたわるようなキス。
足を肩に抱え上げられて、ぐぐっと一層浅井が俺の奥へとはいりこんできた。
そのまま、強く激しく貫かれ、限界を訴えていた俺の前も浅井の腹筋にこすられて。
「あ−−−ッ!!」
俺はたまらず、達していた。
「……っ!」
間をおいて、浅井も息をつめて吐精したのを感じる。
力の抜けた浅井の体が俺の上に倒れこんできた。
達して、荒い息をつく浅井の呼吸をすぐ耳元で感じる。
自分の呼吸と浅井のそれがまるでエコーのように響いて届く。
浅井の胸が上下するのだって、重なりあった身体から直に伝わってくる。
心臓の鼓動さえも。
俺は、汗で湿った浅井の背中をさするように撫でた。

愛しい、という感情ってこういうのをいうんだろうか。
浅井が好きだ。
浅井に出会えて、よかった。
俺は心の底から、そう実感していた。





■■■ HANA*HANA12 ■■■

シャワーを浴びて情事の跡を洗い流し、さっぱりした俺は、タオルで濡れた頭を拭きながらバスルームを出た。
途中で冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して部屋に戻ると、起き上がった浅井がベッドに腰掛けていた。
まだ裸のままで、俺はちょっと目のやり場に困りつつも、ペットボトルに口をつけながら、浅井の隣に腰掛ける。
「髪伸びたね」
ふいに俺の濡れた髪を見て、浅井が言った。
「そういや、夏から切ってないや。うざったくなってきたし、そろそろ切りに行ってこようかな」
頬にかかる濡れた髪をつまみながら、俺はそう答えた。
うん、確かに長くなった。
浅井に出会った頃は、こんな風に頬には髪がかからなかったし。
「立花さん、パーマかけたら?似合うと思うよ」
「パーマ?やだよ、ただでさえくせ毛で手間かかってんのに」
浅井の思い掛けない提案に俺は顔をしかめる。
「そうかなあ。俺は立花さんの髪質うらやましいけど」
「何言ってんだ、そんなサラサラ、ストレートな髪してて」
浅井の髪は日本人形みたく黒くてまっすぐだ。
今どき珍しいとは思うんだけど、不思議と浅井にはよく似合っている。
「まっすぐすぎて、どうしようもできないんだって。パーマもかかりにくいし、髪たてにくいし」
ストレートにはストレートなりの悩みがあるのだ、と浅井は言う。
ふと浅井の手が伸びて来て、俺の髪の毛を一房手にした。
「いいよね、立花さんの髪。柔らかくてフワフワしてて。俺は好きだな」
浅井がすごい幸せそうな顔して俺を見るから、
「髪だけかよ…」
わざとぶっきらぼうにゆって、俺はそっぽを向いてしまった。
例え、髪だけでも好きだと言われて嬉しいくせに、ついついそんな憎まれ口をきいてしまう。
素直じゃないなあ…俺。
「もちろん…髪だけじゃないよ。顔も身体も性格も全部ひっくるめて、立花さんのことが好きだよ」
引き寄せられた耳元で囁かれる甘い言葉に、俺の顔は間違いなく真っ赤になったに違いない。
自分からふっかけといて、と思うけど。
でも、まだ慣れないんだ。
こうして好きな相手から好きだと言われることに。
相手が自分を思ってくれることを確かめたいのに、いざそうされると恥ずかしくてたまらない。
浅井の顔さえ直視できなくて、いつも浅井がどんな顔で俺を好きだと言ってくれているのか、いまだ見られないでいる。
「……かわいいなあ、立花さんって」
しみじみ、って感じで浅井がつぶやいた。
男にかわいいなんて、褒め言葉にならないんですけど…。
そう思いつつも、浅井にそう言われて嬉しがってる自分がいるのも事実で。
「ばっかじゃねえの…」
おれはボソリとゆって、浅井の肩に顔を埋めた。
年下の浅井にこんなことゆわれて喜んでる俺って…。
耳をくすぐっていた浅井の唇が、頬や首筋に移動していく。
俺が黙ってされるがままになってるのをいいことに、不埒な指が、俺のTシャツの中にもぐりこんできた。
「風呂はいったばっかなんだけど…」
明らかに俺の情欲を煽る指の動きをとがめるように俺は言った。
まだくすぶっていた俺の身体はそれだけで、簡単に再度火がついてしまう。
「俺まだだから、後からもう1回一緒に入ろう…?」
あの狭い風呂でかよ…と思ったけれど。
甘く囁かれて、俺にNOなんて言えるわけがなく。
俺達はそのまま第2ラウンドへと突入していったのだった…。


俺と浅井は次の週末、ヨウくんの店を訪れていた。
最近はバカテツと夏目と4人で来ることが多くなっていたので、浅井と二人きりで訪れるのは久しぶりだった。
あの一件(HANA*HANA10参照)以来、ヨウくんの店に行きづらくなりそうだったから無理矢理4人で来てたってこともあるんだけどさ。
だって、恥ずかしいじゃんか…。
あんな大声だして、浅井は俺のもんだって感じで店中に宣言したようなもんで。
しかもあのあと浅井と店に戻ったら、ニヤニヤみんなに笑われて挙げ句に知らないやつにまでおめでとうとか言われてさ〜。
顔から火が出る思いだったんだよな〜。
今、思い出しても、恥ずかしいくらいだ…。はあ。

俺達がいつものようにカウンターに腰を落ち着けると、いらっしゃい、と笑顔でヨウくんが出迎えてくれた。
「見たよ、浅井くん」
そう言ったヨウくんが手にしているのは例の雑誌だ。
来た早々これか…。
せっかく忘れようとしてたのに!
俺は苦虫を噛み潰したような顔をして、その雑誌を見た。
ヨウくんに悪気はないってことは分かってるんだけどさ…。
「ヨウくん、なんで知ってるの?」
「お客さんにね、教えてもらったんだ。これ、店によく来る子じゃない?ってね」
……ちっ!誰だよ、余計なことヨウくんに吹き込みやがって!
俺は心中で舌打ちした。
「すごいね、こんなに大きく載るなんて。スカウトとかされなかった?モデルしませんか?ってさ」
「あ、名刺はもらいましたけど」
その言葉に俺はパッと浅井の顔を見上げた。
浅井の顔は、あっと口を開けたところで止まっている。

……それも聞いてないし。

なんだかもう怒る気もなくなって、俺は出されたアーモンドを黙々と口にした。
きっと浅井自身はたいしたことじゃないと思って言わないでいるだけなんだろうけど。
周囲にとって、というか俺にとっては、たいしたことあることなのに。
浅井はそれを理解していないから、困る。
あいかわらず浅井は他人事のようにその雑誌に載っている自分の姿を見ている。
もしかしたら、こんな風に雑誌に撮られるのも初めてじゃなかったりして…。
そう思い付いて、慌てて浅井を尋問しようとしたが、思い直してやめておいた。
……だって、そんなことがわかったって俺が凹むだけじゃんか…。

浅井が、こうして不特定多数の人間の目に止まるのが、耐えられない。
浅井には俺だけを見ていて欲しいし、浅井を見るのは俺だけにしときたい。
他の人間に浅井を見せたくない。
すごく、自分勝手で傲慢で醜い考えだと思うけれど、止めようがないんだ。
俺は浅井が好きでしょうがないんだから。

ちゃんと恋人として付合うと決めた時から、俺は浅井に告白していた。
嫉妬深いから、と。
その時はわかったと納得してくれたけど。
最近、思うんだ。
本当は内心うっとおしいと思ってるんじゃないかって。
口には出さないだけで、迷惑がっているかもしれない。
だから余計に不安になる。
俺は男だから、同じ男である浅井をどうやってつなぎ止めればいいのか分からない。
それなのに、女みたいに嫉妬したって、ただうっとおしいだけだ。
だからこんな想いを俺が抱えてるなんて、口が裂けても浅井には言えなかった。
抱合っても、好きだと言われても、ぬぐいきれない不安がずっと俺に付きまとってる。

「立花さん、怒ってる…?」
「別に…」
答えて、俺はビールをあおった。
浅井は俺にどう言葉をかけていいのかわからないようで、視線だけを俺に向けてくる。
俺だって、何をどう言ったらいいのかわからない。
今口を開いたら、女々しくて浅井を攻めるような言葉ばかりが飛び出して来そうだったからだ。
やっぱり2人でくるんじゃなかったかも…。
ここにテツがいたら、何気に話題を変えてくれただろうし、夏目が俺に話かけて雰囲気も和んだかもしれない。
頼みの綱のヨウくんもいつのまにか他の客の応対に回っているし、俺と浅井は気まずいままだ。
初めてあのバカップルのありがたさを身に沁みて感じた俺だった。





■■■ HANA*HANA13 ■■■

「浅井くん、悩みごと?」
「え?」

ハッと我に返って慌てて前を向いた。
そこには興味深そうに俺の顔を見ている、佐伯さんの姿があった。
「ため息、これで6回め」
「……数えてたんですか」
ふふふ、と楽し気に佐伯さんが笑う。
まさか自分の何気ない行動を見られてたとは。
しかも今はバイトの最中だし、バツが悪い。
「お姉さんが相談に乗ってあげようか」
楽し気に身を乗り出してくる佐伯さんに苦笑いを返すしかなかった。


週2くらいのペースで俺、浅井雄大はここ北見法律事務所にアルバイトに来ている。
もともと弁護士になりたくて法学部に入った俺は、なるべく法律関係のところでアルバイトをしたいと思っていたので、父親がもちかけてきた話−−知り合いの法律事務所でバイトを募集している−−に一もニもなく飛びついた。
ほんの小遣い程度の稼ぎにしかならないし、仕事も書類の整理や事務仕事ばかりだけれど、雰囲気だけでも知っておきたい俺にとっては願ったりかなったりなバイト先だ。
社員数はバイトの俺をのぞいて5人とかなり少ないが、少数精鋭とでもいおうか、優秀なひとばかりだったりする。
ちなみに俺の前で、お悩み相談室を開こうとしている佐伯さんは事務と経理を担当している勤続5年のベテラン社員だ。
年齢は怖くて(……)聞けないでいる。
ちょうど今事務所は北見所長も弁護士2人(桜井さんと村瀬さんという。桜井さんはうちの父親の知り合いで俺を紹介してくれた人だ)も出払っていて、いるのは俺と佐伯さんともうひとりの事務員の中島さんの3人だけだ。
鬼の居ぬ間にとでもいおうか、こういう時を狙って佐伯さんは俺にちょっかいをかけてくる。
クールな中島さんは、ポーカーフェイスでパソコンの画面に向かっているかと思えばインターネットなんかしちゃってるし。

「それ4時までに郵便局に持って行かなきゃいけないんじゃ…」
「あと1時間もあればできちゃうもんね。自転車で行けば郵便局なんて3分もかかんないし」
佐伯さんの気を反らそうと言ってはみたものの、見事に空振りに終わってしまう。
どうあってもお悩み相談室は開かれてしまうらしい。
「ナイスタイミングで3時だし、お茶にしよう、お茶」
浅井君の悩みを聞きながら、と言い残して佐伯さんは給湯室に消えて行く。
またもやため息をつきそうになって、俺はなんとかそれを飲み込んだ。

俺のため息の原因。
それは…ベタ惚れ中の恋人が最近不機嫌だから、だったりする。

俺が今付合っている恋人は立花浬と言って、一つ年上の大学2回生で、しかも男で同性だったりする。
初めて会った時から、綺麗な顔した人だと思っていたし、名前の響きも綺麗だと思っていた。
思えば、この時から俺は十分に立花さんに惹かれていたんだと思う。
自分の性癖を確かめたかった、と俺が打ち明けると綺麗な顔をした人は『1ヶ月だけ付合ってみないか』ともちかけてきた。
男と付合うのは初めての事だったし、(告白されたことはあったけど)もちろんキスするのもセックスするのも初めての行為だった。
今まで付合って来た女の子達とは全然違う固い身体は間違いなく同じ男のものだったけれど。
でも、1ヶ月もたたないうちに、俺の腕の中で、それは驚く程なじんだ。
セックスだってこんなに相性がいいと自覚するくらいの相手はいなかった。
急速に立花さんに惹かれて行った俺は、1ヶ月という期限を忘れてしまう程、立花さんにのめりこんでいった。
たったいっこ年上なだけで、俺に妙に気を使ったり、年上ぶったりするところが可愛いと思ったし。
思わず触りたくなるふわふわの猫っ毛や、男の癖に妙に色っぽい首筋だとか。
俺の目にうつり、俺の身体に触れる立花さんのすべてが、俺にとってたまらなく、もどかしくて。
全部自分のものにしたいと思ってしまった。
『好きだ』と言って、自分のものにしてしまいたい。
でも、初めて会った時この人は言ったのだ。

『後腐れのない相手をさがしている』と。

もしこの気持ちを打ち明けてしまったら、この人は俺から離れて行ってしまうんじゃないだろうか。
そう思うと、怖くて。
立花さんを失うのが怖くて。
俺はどうしても、その一言が言えないでいた。

ところが。
俺が初めて足を踏み入れたゲイバー(ヨウさんの店でこの時はすでに常連になりつつあった)で、俺に言い寄ってきた男に向かって、この可愛くて綺麗な人は、

『だめだ!』

と大きな声で俺の変わりに拒否してくれた。
俺はこの時、確信したんだ。

この人は。
いや、この人も。
俺と同じ気持ちでいてくれてるんだ、って。

好きだとは言葉にしてくれなかったけれど、それだけで充分だった。
素直じゃなくて不器用な人だけれど、そんなところさえも愛しいと思ったのだ。


「そういえば、これ!」
コーヒーと一緒に差し出された雑誌に、俺は眉をしかめた。
「こういうことは言ってくれなきゃダメじゃない、浅井君」
「なんで知ってるんですか…」
「彼氏の部屋で見つけちゃったんだな〜ヒマつぶしに読んでたら、浅井君が載っててびっくりしたわよ!」
そういえば、佐伯さんの彼氏って年下とかってゆってたっけ…。
この雑誌見ててもおかしくないよな…。
最近人気のある俳優が表紙を飾っている雑誌を、俺は惨澹たる思いで見つめた。

……恋人が不機嫌な理由。
その原因はこれ。
俺の写真が載ったこの雑誌だ。

「もしかしたら、次期ジュ○ンボーイも夢じゃないかもね〜」
佐伯さんが、本人抜きで、ろくでもない想像をしはじめる。
勝手にゆっててください、と俺はまた何度目かのため息をついてしまった。




■■■ HANA*HANA14 ■■■

学校でもアルバイト先でも、散々雑誌のことに触れられて、俺は正直辟易していた。
……やっぱり、断わればよかった。
今さら後悔しても後の祭りだ。
でもあの時はしょうがなかったんだ。
俺は時間前に立花さんとの待ち合わせ場所に辿り着きたくて急いでいたし。
声を書けてきた出版者の人は、見るからにしつこそうで、俺がOkしなければ、どこまでもついてきそうな勢いだったからだ。
そんな人をくっつけたまま、立花さんに会おうものなら、あの人が不機嫌になるのは眼に見えていた。
だから、手短に終わるんだったら、ってことで引き受けたのに。
まさか、こんなことになるとは……。

久しぶりに顔を出したサークルでも、さっそく女の子達に捕まって、あれこれと尋問されてしまった。
それからほうほうの体で逃げ出して、俺は早々に家に帰ろうとしていたのだが。


電車に乗ろうとしていたところで、俺の携帯電話が鳴った。
知らない番号。
……一体、誰だ?
訝しみながら、もしかして立花さんがバイト先からでもかけてきたのかもしれない、と思い俺は電話に出てみた。
『浅井くん?僕、秋吉だけど』
「秋吉?」
しかし、電話の相手は俺の予想を裏切って、サークル仲間で同じ学部の秋吉だった。
出席番号も近いので、必修科目で同じ授業をとったりすることもあって、入学当時から親しくしている。
この秋吉に、俺は告白されたことがある。
立花さんと付合うようになる数カ月前のことだ。
はっきり言って、驚いた。
今まで俺は同性である男を、恋愛対象としてみたことがなかったからだ。
必死な顔つきで俺に「好きなんだ」と告白する秋吉を見て、俺はとてもドキドキしていた。
今まで女の子に告白されたことがあるけれど、こんな風に”ドキドキ”したのは初めてのことだった。
でも、だからと言って、今までただの友達として見ていた秋吉を、恋愛対象として見ることはできなくて、俺は素直に謝った。
俺が『ごめん』と言うと、秋吉は途端にはにかんだような、少し泣き出しそうな顔をした。
それから、『僕の方こそ、突然こんなこと言って、ごめんね』と俺に謝ってきた。
これからも普通に接してくれると嬉しい、という秋吉に俺はもちろんと頷き、次の日からも秋吉にはいつも通りに接した。
やっぱり始めはぎこちない感じがぬぐえなかったけれど、この頃は以前のようにお互い振る舞えるようになってきたところだ。

『今学校の公衆電話なんだ。携帯電話うちに忘れたから』
ああ、そうか。
だから番号もしらないやつだったんだな。
「突然どうしたんだ?なにかあった?」
秋吉とは今日の1限に会ったきりだ。
その時は、こんな風に電話をかけてくるようなことはなにもなかったはずなんだけど。
『さっきまで安藤くんたちといたんだけど、今度の発表の準備、明日集まって泊まりがけでしないかってことになったんだ』
選択している同じ授業の中で、グループに別れての発表が近々ある。
でも、平日でも遅くまで授業だとか、バイトがあったりとかで、集まりが悪くてなかなか進んでいなかったのだ。
それを、どうやら土日を利用して、やるってことになったらしい。

週末は、いつもなら立花さんのとこに泊まりにいくんだけど…。
あのヨウさんの店で、気まずく別れてから、ほとんど連絡をとっていなかったりする。
だって機嫌が悪い立花さんって、顔が綺麗なぶん、めちゃくちゃ怖いんだ。
俺が『怒ってる?』って聞いたら、『別に』なんて言ってたけど、明らかに顔は怒ってた。
俺が何言ったとしても、つれない返事が帰ってくるに違いなくて。
あれから何度か電話をしたけど、やっぱり電話の向こうの声は限り無く不機嫌だった。
今は俺が立花さんに何をしても無駄なような気がしてる。
だから今回は大人しく立花さんの怒りが治まるのを待つしかない、と思っていた。

『浅井くんは予定あいてる?』
「誰んちでやるんだ?」
『僕のところになった』
そういえば秋吉って地方だから、一人暮らししてるんだったっけ。
もしかしたら、俺の知らないところでみんなのたまり場になっているのかもしれない。
「わかった、じゃあ行くよ」
秋吉の最寄り駅の名前と、簡単な家までの道順を聞いて、俺は電話をきった。
例え分からなくなっても、携帯で電話して聞けばいい。
俺はしまおうとした携帯を見つめて、しばらく逡巡していたが、思い直してカバンに放りこんだ。
立花さんに電話して、週末行けないことを伝えようと思ったのだ。

でも、立花さんも機嫌が直れば、コンタクトをとってきてくれるだろうし。
それまではやっぱり、そっとしておいたほうがいいかもしれない。
……会えないのは、イヤだけどさ。

ふう、と癖になってしまったため息をついたところで。
また電話が鳴った。
秋吉がなにか言い忘れたことがあったのかと思い、俺はすぐに電話に出た。
「秋吉?」
ところが。
『……○○出版と申しますが、浅井雄大さんの携帯電話でしょうか』
聞こえて来たのは、今度こそしらない女の人の声だった。
「は?」
突然の電話に、俺は間の抜けた声を出してしまっていた。




■■■ HANA*HANA15 ■■■

……また来てない。

俺は携帯電話のディスプレイ画面を苦々し気に覗き込んだあと、盛大に舌打ちした。

バカバカ、浅井のバカ。

そして心の中で精一杯罵倒する。
浅井からなんの連絡もなくなって1週間がたった。
ヨウくんの店で、気まずくなって別れて以来、1度も会っていない。
週に何度も会ってたのに、ぱったりとだ。
電話は数回あったけど、俺がそっけない受け答えしかしなかったせいか、浅井は電話の向こうで小さくため息をついてた。
それっきり。
それっきりだ。電話どころかメールの一つもありゃしない。
そりゃ俺だって、いつまでも腹立ててガキくさい態度とってる場合じゃないことはわかってる。
だから、今度浅井から連絡があったら、いつも通りにしようって思ってたんだ。
それなのに。

なんで、連絡してこないんだよ!あの、バカッ!

携帯電話を床に投げ付けたいくらいの衝動にかられたが、それをなんとか堪えて、ギュッと力一杯携帯電話を握りしめた。

明日から休みだし、絶対、そろそろ浅井から電話とかメールしてくると思ったのに。
今日一日携帯が気になって気になって、授業の内容なんてひとつもおぼえていないくらいなのに。
待ってるのに。
なんで連絡くれないんだ?

怒りがどんどん不安にかわってくる。
あんまり俺がガキくさいことでいつまでもヘソを曲げてるから、あきれてきってしまったのだろうか。
それとも、逆切れされて、浅井の方が怒って連絡してこないのだろうか。
もうこんな俺とは付き会えない、と思って、自然消滅を狙ってるんだろうか。
とか。
次々に色んな考えが頭の中を駆け巡り始める。
浅井は、俺のことなんて、どうでもよくなってしまったんじゃないか…。

不安を拭うのは簡単だ。
今すぐに携帯電話で浅井のメモリーを呼び出して、俺から電話をすればいい。
ただそれだけで。
聞きたくてたまらない浅井の声を聞くことができるし、浅井の気持ちを確かめることができる。
でも、それをためらう素直じゃない自分がいる。
もっと大人にならなきゃいけないことは、わかってる。
でも……。

「浅井の、バカ…」
そんな風にしか言えない自分が、一番バカだ。



立花くんが土日の昼のシフトに入ってくれるの珍しいね、なんて店長に珍しがられながら、予定もなくてヒマな俺は黙々と働いていた。
ここのところ(というか浅井と付き合いだしてから)土日は浅井が泊まりがけで遊びに来るから、平日の夜と日曜の夜しかバイトに行ってなかったからだろう。
今日はたまたま他のアルバイトが急な休みということで、俺がピンチヒッターで出勤することになったのだ。
客が引いて来たのを見計らって、カウンターをもう一人のアルバイトにまかせて俺は返却されたビデオを棚に戻すことにした。
大学入学と同時に始めたから、約1年半(くらいかな?)。
もともと映画が好きだったってこともあるけど、今ではすっかりビデオの位置を網羅して、俺は手際よくビデオを元に戻して行く。
最近ではDVDもレンタルし始めていて、パッケージが薄くて幅をとらないから、俺もDVDが欲しいなあって思う。
部屋にある膨大なビデオが全部DVDに変わったら、どれだけ場所をとらなくてすむか。
ただでさえバカテツに狭いだ、なんだと文句言われ続けてる部屋も少しはすっきりするに違いない。
そういえば、浅井もこの間言ってたっけ。
『DVDにすればいいのに』
って。
でも今のバイトに生活がかかってる俺にDVD買う余裕なんてないし、『欲しいけど…でも今は無理かな』なんて風に答えた記憶がある。

いつもなら金曜に俺がバイト終わったら、待ち合わせて一緒に俺の部屋まで帰るのに…。
今日は一人でウチに帰らなきゃいけない…。

今までは普通のことだったのに。
浅井と付き合いだしてからは、一緒に帰るのが当たり前になりつつあったから、独りで帰るのがとても寂しく感じてしまう。
俺にとって浅井はもうなくてはならない存在になっているんだってことを実感する。

浅井……。

浅井に会いたい。
浅井の声が聞きたい。


「すいませーん」
ビデオの棚の前でしゃがみこんで、そのまま物思いにふけっていた俺は、急に客から声をかけられ、ハッと我に返った。
「バクダットカフェって映画のビデオさがしてるんですけど」
「あーえっと、それは…」
慌てて立ち上がり、客を案内しながら俺は決心していた。

……やっぱり。
俺から電話しよう。



「お疲れさまでしたー」
挨拶をしてスタッフルームから出ると、夜風がビュウっと俺に向かって吹いてきた。
11月末ともなれば、寒さも本格的になってくる。
俺は寒さに首をすくめて、歩き出した。
ジャケットのポケットの中で、握りしめていた携帯電話を、ゆっくり取り出す。

あんまり外で電話するの好きじゃないんだけど…。(それだとまったく携帯電話の意味がないって言われるけどさ)
でも思いたったが吉日っていうもんな。

……よし!
しばらく逡巡したあと、俺は浅井の携帯番号を呼び出すと、えい、と通話ボタンを押した。

一回、二回と呼び出し音が鳴る。
……。
開口一番なんて言ったらいいんだろう。
柄にもなく緊張してしまって、俺は軽く唇を舐めて湿らせる。

ところが三回、四回…とコール音が何度鳴っても、電話がとられることはなかった。
……もしかして。
避けられてんのかな…。
俺はそんな考えを首を振って、振払う。
……浅井、早く出ろよ。
出ろってば!!
俺がそう念じたのが聞いたのか。
プツリと音が途切れた。

「あ、浅井?」
浅井が出ると思って疑わなかった俺は、浅井の名前を呼んでいた。
ああ、どうしよう。
頭の中、真っ白で何言うつもりだったのか、すっかり忘れてちまった。
「俺、立花だけど…」
ついついそんな風に名乗ってしまう。
浅井の携帯にも、俺の番号とか登録されてるから絶対表示されてるはずなのに。

『あの…』
ところが、向こうから聞こえて来たのは、待ち望んでいた浅井の声ではなかった。
浅井の声よりも、もっと落ち着いた……。
一体、誰だ……?
『すいません、ちょっと浅井くん携帯に出れない状態なんで、僕が変わりにでました』
「出れないって、浅井どうかしたのか?!」
聞き捨てならない台詞に俺は、誰かもわからない相手に問いかけていた。
『いえ…、浅井くん今お風呂に入ってるんで』
……。
俺の気のせいかもしれないけど、挑戦的な言い方をされたような気がする。

「風呂って、なんで…」
『浅井くん、僕の部屋に泊まりに来てるんです』

ガン、ときた。
浅井が俺の部屋じゃないとこに、泊まりに行ってることに。
あまりのショックに俺は言葉を返すこともできなかった。

なんで。
なんで。
なんでだよ、浅井。

『あなたは、もしかしてこの間の学祭のときに浅井くんと一緒にいた人ですか?』
「……そうだけど」
男の問いに、俺はなんとか答えた。
頭の中は、浅井に対しての、なんで?どうして?でいっぱいだったけど。
ああやっぱり、と男は一人で納得している。

『浅井くんとあなたの関係は…恋人なんですか?』

その質問に、俺はなぜか相手が誰なのか気付いてしまった。

……コイツ、あの時。
浅井に話し掛けてきた、あの男だ。
浅井を熱い眼で見ていた。
浅井に好きだって言った、秋吉ってやつだ。
そんなやつのとこに、なんで浅井が泊まりに行ってるんだよ?!

「だったら、なんだよ…」
『浅井くんが雑誌に載ったのは、御存じなんですか?』
「……知ってるよ」
俺は投げやりに答えた。
『恋人が雑誌に載るなんて、鼻が高いンじゃありませんか?浅井くん男の眼からみてもかっこいいですもんね』
何が言いたいんだよ、こいつは。
浅井の携帯に勝手に出た上に、べらべらと。
俺のこと挑発するみたいなしゃべりかたしやがって。
俺は苛ついて、電話をすぐにでも切りたくなってきた。
「浅井に変わらないんなら、切る」
『浅井くんに電話があったって伝えておきますね。あ、そういえば例の雑誌の出版社から電話があったらしいですよ。浅井くん、本格的にモデルになるかもしれないですね』
「!」
俺はその言葉にカッとなって、怒りにまかせて、電話を切っていた。

「……なんなんだよ…ッ、一体!」
なんで、俺も知らないことを、アイツが知ってるんだよ!!
出版社から電話?
本格的にモデル?
そんなの知らないってんだ!
恋人なのに、なにも知らないのか。
そんな風に勝ち誇ったような言い方をされた。
ああ、そうだよ!
俺は浅井の恋人だっていったって、浅井の全部を知ってるわけじゃない!
だって…。
だって、浅井は何も言わないから。
じゃあ、あいつ。
秋吉には言ってるってことか…?
秋吉には教えるのに、俺には何も…?
わからなくなってきた。
浅井は何も教えてくれない。
でも、秋吉には教える。
それって、俺よりも秋吉の方が特別だってこと……?

辿り着いた答えに。
俺はぎゅっと唇を噛みしめた。




■■■ HANA*HANA16 ■■■

「ただいま〜っと」

上機嫌で部屋に入る安藤に続いて部屋に入ると、出た時と同じで、いるのは秋吉だけだった。

「あれ、まだ麻生のやつ来てないのかよ?」
「さっき電話があって、今行くからって」
秋吉が振り向いて答える。
「おせえよ〜も〜」
ぶうたれながら、安藤はどっかりと座り込むと、早速買ってきたコンビニの袋をガサガサ言わせはじめる。
帰り道に肉まんだかピザまんを平らげていたはずなのに。
「安藤、お前一体何しにきたんだよ…」
あきれ顔で俺が言うと、安藤はへへへと笑って誤魔化す。
秋吉のうちに来る前に、待ち合わせた駅前で晩飯にラーメン食べたっていうのに、それから2時間もたたないうちに小腹がすいたと言って、持参の菓子を食べはじめた。
それでしばらく大人しくしていたかと思えば、今度は本格的に腹がすいてきたから、夜食を買いに行こうだなんて言い出し始めて。
しょうがなく俺がお共することにして、部屋の主でもある秋吉は、バイトが入ったせいでいつくるか分からないもう1人のグループ仲間の麻生を待つってことなった。
菓子やらジュースやらコンビニ弁当やら。
あぜんとするほど買い込む安藤は決して太ってなんかはいなくって、それどころか標準体重以下に違いない。
こんなに食べて、一体食べたものはどこにいってるんだろう、と安藤の喰いっぷりを目撃するたびに思う。
きっとやせの大食いって、安藤みたいなやつのことをいうんだろうな。

ああ、……立花さんもちゃんと食べてんのかな。

そんなことを考えていたら、ふと気になり出した。
俺が泊まりに行ったら、外で食べたり、ふたりで料理したりするけど。
あの人のことだから、何も食べずに新作ビデオとか見てそうだ…。
それとも。
もしかしたらテツさんと……?

ムッとなったところで、こっちを見ていたらしい秋吉と目があった。
俺が気付いて、何?と目で問いかけると、何気にそらされてしまった。
「……?」
なんだ?
俺、変な顔でもしてたかな?

腹が満たされて落ち着いたらしい安藤と、ようやく真剣に準備に取りかかりはじめたところで、玄関のチャイムが鳴った。
「麻生かな?」
ピクリと敏感に反応したのは安藤だ。
安藤ってやつは好奇心旺盛というか、じゃじゃ馬というか…。
反応がせわしなくて、忙しいやつだなあと思ってしまう。

「たぶんね。見てくるよ」
立ち上がり、この部屋の主である秋吉は玄関へと向かった。
いらっしゃい、という秋吉の声と、お邪魔しまっす、と礼儀正しい麻生の声が聞こえてくる。
戻ってきた秋吉の後ろから姿をみせたのは、やはり麻生だった。
「も〜あそー、おっせえ!」
唇をとがらして、ブ−ブ−言う安藤に、
「ワリィワリィ」
と謝る仕種をしてから、
「差し入れもってきてやったから、許せ」
麻生が、ドンとテーブルの上に置いたのは、缶ビールだった。
「お〜!気がきくじゃん、麻生〜」
うってかわって、安藤がまんべんの笑みを浮かべる。
どうやら、発表準備は急きょ酒盛りに変わるらしい。
早速ビールのプルタブを開けはじめている安藤・麻生コンビを横に、俺と秋吉はやれやれとため息をついた。

「そういえば、聞いてくれよ〜麻生」
安藤が隣に座る麻生に、思い出したように言いはじめる。
「浅井がさ、モデルになるんだってさ」
安藤の言葉に驚いた顔で麻生が俺をみた。
俺は慌てて手を振る。
「違うよ。電話がかかってきただけだって」
麻生が来るまでに、出版社から電話があったことを俺は秋吉と安藤に相談していた。
でもモデルになる、なんて言ってはいない。
「予定してた素人モデルの枠があいたから、やってみないかって。それだけだよ」
俺は二人に話した同じ内容を麻生にも説明した。
ったく、安藤のやつ、オーバーに話しすぎだ。

俺がまだ返事はしていないけど、というと麻生は不思議そうな顔をした。
「なんで?別にいいじゃん。オッケーすれば。スカウトなんて、そうそうないぜ。もったいない」
麻生の言葉に、そうそうと頷く安藤。
「俺だったら即オッケーすんのに」
「安心しろ、お前に声かけるやつなんて、いるわけねえから」
「うわ、ひでえ!」
言いながら、アルコールがまわるのが早いらしい安藤は赤い顔をしてゲラゲラ笑っている。
まるで漫才みたいな二人のやりとりには苦笑をかくせない。
二人とも同じ高校で仲が良かったらしく、よくこんな風にふたりでかけあい漫才みたいなことを言い合ってることがあったりする。

「僕も、そう思うけどな…」
ポツリとつぶやくように、秋吉が言った。
「せっかく電話までかけてきてくれたんだよね。麻生くんの言う通り、こんなチャンスなんて滅多にないと思うし…浅井くんには似合うと思うけどな…」
秋吉はさっきと違って、ジッと俺を見ていた。

バイト代も出してくれるっていってたし…。
ちょうど買いたいものがあって、今のバイト代だけじゃ苦しいところだったし…。
やってみて損はないかもしれないけど。
でもな…。
立花さんの怒った顔が浮かぶ。

「……まあ、も少し、ゆっくり考えてみるよ」
答えながら、俺は手にした缶ビールをぐい、とあおった。




■■■ HANA*HANA17 ■■■

「カイリ、鳴ってる」
食堂でボーッとからあげをつっついてる俺に、向かいの席に座っているテツが、携帯の入っている俺のカバンを指差した。
「……」
俺はゴソゴソとカバンを探り、携帯電話を取り出す。
ディスプレイに表示されてる番号と名前を確認してから、俺は黙って相手があきらめるのを待った。
しばらく鳴り続けていたが、そのうち向こうもあきらめたようで、プツリと音が鳴りやんだ。
俺はそれに、ホッと息をつく。
「ったく…なんで出ねえんだよ。どうせ浅井からなんだろ?」
「……」
俺は答えず、携帯電話の電源を切った。
「今度は一体なにがあったんだよ。お前らここんとこ上手くいってたじゃん」
「……テツにはカンケーねえよ」
「うわっ、可愛くねえ」
俺がボソリとつぶやくと、苦々し気に顔をゆがめた。
テツのおせっかいはいつものことだけど、今回だけは放っておいてほしかった。
……気を緩めたら、泣き出してしまいそうだったから。

「ケンカしてるの…?」
テツの隣にいる夏目が戸惑いがちに聞いてきた。

「……ま、そんなとこ」
俺は無理して軽く笑って答えてみせた。
そんな俺を夏目が心配そうな瞳で見上げてくる。
夏目は人の気持ちに過敏すぎるところがある。
一目で俺の機嫌を見抜いて、笑いかけて来たり、テツの背後からこわごわと様子を窺って来たり。
きっと今俺が無理してるのも察しているに違いない。
それっきり、何も聞いてはこなかった。
「……ほどほどにしとけよ」
こじれないうちにな、とテツがさり気に言ったが、それには夏目に対する影響も考えての台詞に違いなかった。
俺につられて、夏目も落ち込ませるなと暗に言われているのだ。
「わかってるよ」
答えながら、俺は箸で、からあげの固まりをコロリと転がした。


あの電話以来、浅井には怖くて連絡していない。
それどころか、浅井からの電話に出るのさえも怖くて出る勇気がなかった。
もし、別れを切り出されたら?
俺は、大人な対応ができるだろうか。
きっと取り乱してしまうに違いなくて。
冷静に浅井の話を聞くことができないかもしれない。
そうなった時、俺は浅井にひどい言葉をぶつけてしまいそうだった。

浅井にとって、俺は一体なんなんだろう?
身体だけの恋人なんだろうか?
俺になにも言わない浅井。
何も教えてくれない浅井。
浅井はこんな俺を好きだといってくれたけど。
今は、あの時の言葉さえ信じられなくなってる。

バイトに行く、とテツ達に代返を頼んで、俺はいつもより早く帰るために駅へと向かった。
働いてたら、少しは気が紛れる。
学校で黙って授業を受けてると、考えてしまう時間が多すぎるから。
だからここのところ、俺はできるだけ長い時間バイトに出るようにしていた。
ちょうど事情があってアルバイトが1人やめたところだったので、店長には喜ばれているらしい。
フードの付いてるミリタリージャケットのポケットに手をつっこんで、黙々と歩いていると、これから授業にでるのだろう、前から向かってくる同じ大学の生徒がチラチラと来た道を振り帰っていることに俺は気付いた。
しかも、それも女のこばっかり…。
なんだあ?と思っていたが、駅についてみて、俺は目を見開いた。
そこには、浅井がいたから。

浅井は改札口の前に立って、行き交う人から誰かを探すように見ていた。
俺はできることなら、回れ右をしてしまいたかったけど、でもバイトの時間が迫っているのだ。
次の駅まで歩いてる時間は、なかった。

俺がしばらく、呆然と立ち尽くしていると、浅井が俺の方を見た。
目があう。
それだけで、俺の胸はドキリとしてしまう。
遠くで見ても、浅井の姿は目立つし、かっこいい。
さっきチラチラと後ろを振り返っていた女の子達も、浅井を見て気にしていたのだろう。
改札の周りにいる女の子達も、声をかけたそうな顔をして、こっそりと浅井を見ている。
こんなに…人の目を奪う人間に、俺は本当に好かれているんだろうか?
それは、いつも絶え間なく俺の心を掠める不安だ。
俺を見つけた浅井は、嬉しそうな顔をして、俺のそばに駆け寄って来た。

「立花さん!」

久しぶりに聞いた浅井の声に、俺はなんだか鼻がツンとしてしまった。
会いたいけど、会いたくなかった。
心がザワザワ、騒ぎはじめる。
俺は、浅井の顔を直視できなくて、俯き加減に浅井を視界にとらえる。
浅井は俺の前に立つと、はにかむように笑った。

「びっくりした?」
まるでガキみたいな言い方。
「…あったり前だろ」
俺は小さな声で答える。
「どうしても…立花さんに会いたくてさ」
浅井は電話に出ない俺を非難しなかった。
照れくさそうに俺の顔を見る。
「部屋で待ってればいいだろ…」
何も大学まで来ることはない、と俺が言うと。
「夜まで待ってられなくってさ…」
すぐにでも会いたかったんだ、と浅井は言った。
「だって、お前学校は…」
「サボリ。たまにはね」
浅井はあんまり学校をさぼらない。
なのに。
俺のために。
俺に会うために。
学校をさぼってまで会いに来てくれたのだ。

……どうしよう。
俺、泣きそうだ。
俺は涙をごまかすように、ズッと鼻をすすった。

「ごめん……」
「なにが?」
俺が謝ると、浅井は聞き返して来た。
「電話…出なくって」
「もういいよ。だってこうして直接立花さんに会えたしさ」
浅井は優しい。
もっと怒ったって良いのに。
もっと不満をぶつけてくれればいいのに。
そしたら、俺だって。
浅井に、今心の中に燻ってる怒りも不安も不満も、ぶつけることができるのに。
こんな風に優しくされてしまうと…。
俺はどうしたらいいのか、わからなくなる。

「立花さんはこれから帰るの?」
「……いや、バイト」
「そっか。じゃあ立花さんちで待っててもいい?」
俺は断わることもできなくて、小さく頷いてみせた。

改札をくぐった所で、浅井の携帯が鳴った。
「ごめん…ちょっと出てもいい?」
俺が黙って頷くと、浅井はカバンから携帯を取り出した。

「もしもし、秋吉?」

浅井の口から飛び出した名前に俺は、ビクリと反応した。
「ごめん、ちょっと今取り込んでて…え?来週?」
……また、あいつか。
俺は心の仲で憎々し気につぶやいた。
さっきまでの泣き出したい程に嬉しい気持ちが、一気に吹っ飛ぶ。
あの電話で、俺は秋吉に対して、悪印象しか持てないでいた。
なにも俺のいる前で、電話かけてこなくたって、いいだろ?
しかも、来週ってなんなんだよ?
「わかった。折り返し電話するから。じゃあな」
浅井が電話を切るのを待たずに、俺は歩き出していた。
電話を切った浅井が慌てて追いかけてくる。
「立花さん、待ってよ」
浅井が俺の腕を掴む。
俺は立ち止まって、浅井を振り返った。
「さっきの電話、誰から」
「誰って……大学の友達で秋吉ってやつだけど」
なんでそんなこと聞くんだ?って顔で浅井が俺を見る。
「なんの用で電話してきたんだ?」
「それは……」
珍しく言葉につまる浅井。
……俺には言えないこと、か。

浅井は俺に何も言わない。
雑誌に載ったことも。
出版社から電話がかかってきたことも。
秋吉の家に泊まったことも。
秋吉が、浅井を好きなんだってことも。

「来週、そいつとどっか行くんだ?」
「え、うん、まあ…」
浅井は、曖昧に言葉を濁す。
浅井がもっと上手に嘘をつける奴だったら、こんな思いをせずにすんだんだろうか。
そんな浅井を好きなることはなかっただろうけれど、でも今は。
もっと浅井が俺が疑わないような上手い嘘をつけるやつだったら、って思う。

俺の思い掛けない追求に、浅井も俺が秋吉との仲を疑っていることに気付いたらしい。
「立花さん、なんか誤解してない?俺と秋吉は…」
でも、もう問題はそんなことじゃなかった。
「もう、いいよ」
投げやりな言葉を浅井に向かって投げ付ける。
「なにが」

……浅井には、わからない。
俺の気持ちなんて。

「……もう、やだ。俺ばっかこんな想いして、しんどい」
「立花さん?」
浅井だって、こんな風に逐一詮索されるのも嫌に違いない。
きっと、うっとおしいと思っているに決まってる。
でも。
浅井は、かっこいいし、優しいし、モテるから。
だから不安になる。
いつか俺のそばからいなくなっちゃうんじゃないかって。
だから。
浅井を俺に縛り付けておきたくて。誰のものにもしたくなくて。
あれこれと、知りたがってしまうんだ。

俺だって、ホントは。
こんな風に恋人を詮索することなんてしたくない。
嫉妬なんて、醜いこと、したくなんかないんだ。
でも……。

浅井に、こんな自分をもう、見せたくなかった。

浅井がそんな俺の気持ちを判ってくれないなら、俺達はずうっと堂々巡りのまま。
俺はずっと、苦しい気持ちを抱えていかなきゃならない。
でも、きっと。
浅井には俺の気持ちなんて、わからないから。

だから。

「もう、別れる」

浅井は俺の言葉を、どこか異国の言葉でも聞いたような表情をして聞いていた。

「別れよ…」
腕を掴んでいた浅井の手を振払い、俺は入ってきた電車に飛び乗った。
「立花さん!」
我に返った浅井が、追いかけて乗り込んでこようとする。

「来んな!」
俺は声を張って、それを拒否した。
浅井の身体が驚きに強張って止まる。

俺はもしかしたら泣きそうな顔をしていたかもしれない。
浅井は驚いた顔をして、俺を見ている。
その隙に電車のドアが音をたてて閉まった。
俺と浅井をガラスの扉が隔てている。
いや、身体だけじゃない。
今の浅井と俺と気持ちもこんな風に隔てられてしまっている。
呆然と俺を見る浅井が、遠のく。
電車が発車したのだ。
俺はなぜかぼんやりとにじむ視界で、どんどんと遠ざかる浅井の姿を見つめていた。




■■■ HANA*HANA18 ■■■

『来んな!』
立花さんの、泣き出しそうな声が甦る。
いや、泣いてた。
俺が、立花さんを泣かせてしまったんだ。
拒否された以上に、そのことが俺には辛かった。
あの人を。
大事なあの人を泣かせてしまうなんて。

俺に重くのしかかる、言葉。
『もう、別れる』
俺は、いまだに飲み込めないままでいる。
いや、ただ飲み込んでしまいたくないだけかもしれない。



立花さんが泣いている。
どうして泣くんだろう。
『立花さん』
俺が近付こうとすると、立花さんは首を横に振る。
そうして、おれから遠ざかろうとする。
なんで。
『浅井…』
どうして、そんなに悲し気な声をするんだろう。
手を伸ばして、抱き締めてしまいたいのに。
俺の腕は、立花さんに一向に届かない。
『あさい…』
あの人の小さな声だけが、何度も何度も……。



「さい…浅井くん」
誰かに呼ばれているような気がして、俺はうっすらと目をあけた。
「……浅井くん」
すごく近いところで聞こえた声に、俺は驚いてふせてた顔をあげた。
「あ…」
声の主は、俺の隣に座っていた秋吉のものだった。
「授業、終わったよ」
どうやら、爆睡してしまっていたらしい。
教授が教室に入って来て出席とったとこまではおぼえてるんだけど…。
「浅井くんが授業中に寝てるところなんて、初めて見たよ」
秋吉の言葉に、俺はバツが悪い思いで、頭をかく。
「悪い、あとでノート写させてもらえるかな」
「ちゃんと浅井くんの分もとっといたよ」
秋吉は板書を写したルーズリーフを2、3枚、俺に差し出して来た。
「ありがとう。恩に着るよ」
俺はありがたくそれを受け取ると、自分のファイルにしまいこんだ。
それからぐるりと回りを見渡す。
昼休みに入ったこともあって、みな、そうそうに食堂に向かったのだろう、教室には俺と秋吉の姿ぐらいしかなかった。
授業中に熟睡してしまうほど、疲れてんのかな…。
俺は不自然な格好で寝ていたせいで、だるくなった首筋をまわした。
そんな俺の様子を見てか、
「大丈夫?ここんとこバイトしすぎなんじゃない…?」
俺の疲労の原因を知ってる秋吉は、心配げな顔をして聞いてきた。

「ん〜でも、まあクリスマスまでだし、大丈夫だと思うよ」
「そんな他人事みたいに…」
俺の楽観的な言葉に秋吉の顔が曇る。
「そんなにバイトして、何か買うつもり?」
俺はそれに笑って肯定してみせた。
クリスマスまでにどうしても欲しいものがある。
受け取ってもらえるか判らないけれど、クリスマスにどうしてもプレゼントしたいものがあるのだ。
「誰かにプレゼント?」
「まあ、そんなとこかな」
言って、俺は机の上のテキストをカバンの中に放りこんだ。
隣に座っている秋吉は、その様子を黙ってみている。
すると、唐突に。
「……浅井くんって…今付合ってる人…いるの」
うつむきがちに秋吉が言った。
「え…」
いきなりの質問に、一瞬目を見開いたが、
「うん…」
俺は素直に頷いた。
別れを切り出されてしまった今となっては、付合ってるっていう表現は正しくないのかもしれないけど。
でも、俺はあの人と別れたくはないから。
絶対に、どうやってでももう一度、俺の方を振り向いてもらうつもりだ。

「この間、学祭に来てた人?」
どうして秋吉が立花さんのことを知っているんだろう…。
と不思議に思ったが、
そういえば立花さんたちをサークルの出し物に連れていったとき、秋吉が話かけてきたような気がする。
あの時、立花さんを見たのか。
ということに思い当たった。
「そうだけど」
「……男の人、だよね…?」
立花さんは綺麗な顔をしてるけど、決して女顔なんかじゃない。
どこからどう見ても、俺達と同じ男だ。見間違うことなんてありえない。
俺は隠しだてすることなく、同意した。
秋吉は俺を好きだと言った。
だから、秋吉には正直に答えて、俺の気持ちを伝えなければいけないと思った。
「なんで…?」
つぶやくように秋吉が言った。
「浅井くんが、女の子と付合うんだったら、しかたないってあきらめられると思ったのに…どうして……」

同性である男なのか?
秋吉の言いたいことは言葉にしなくても分かった。
そして、秋吉が、俺に対して、また好意をもっていたことに、俺は少なからず驚いた。

「今、僕がもう1度浅井くんに告白しても、やっぱり返事は同じなのかな…」
揺れる瞳で、秋吉は俺を見た。

……秋吉は、誤解してる。
確かに…立花さんと付合うことになったのは、秋吉に告白されて触発されたからかもしれない。
でも。
違うんだ。
俺は秋吉が男だからって理由で、秋吉の告白を断わったわけじゃない。
俺が秋吉と付き合えないと思ったのは、秋吉を友達以上に思えなかったからだ。

「俺は秋吉のことは…いい友達だって思ってる。たぶんこれからもその気持ちに変わりはないよ。それに…俺は今はあの人…立花さんのことが好きだから。秋吉に応えることはできない」
俺はまっすぐ秋吉をみて、応えた。

でも、立花さんは違う。
最初は興味本位だった。
でも、俺はあの人に会って、あの人と付合って、あの人に惹かれた。
あの人を。
好きだと、思った。
はじまりはどうであれ、今の俺にとって、あの人はかけがいのない恋人なのだ。
誰も変わりになんてなれない。

「そっか…」
秋吉はしばらくうつむいていたが、顔をあげて、苦し気に笑ってみせた。
無理して笑ってるのが、俺にも痛い程わかった。
眼鏡の奥。
秋吉の目が、うるんで見える。
「……ごめん。先に出てるね…」
秋吉は、そう言って席を立った。
俺は黙って、その後ろ姿に、ごめん、と何度も謝った。

秋吉を傷つけてしまった。
それも、2度も。

立花さんだけじゃなく、友達まで傷つけて。
俺って、なんて…最低なやつなんだろう……。
自己嫌悪で重くなった頭を、俺は机にゴツリとぶつけた。



なんとかバイトも終えて家に帰ると、俺はさっさと部屋に入りベッドの上に倒れ込んだ。
なんか…すごい疲れたな…。
頭の中を、
立花さんの顔や、声。
秋吉の苦し気な笑顔。
が、グルグルと回ってる。

瞼が閉じてこようとしたところで、微かな電子音が耳に入った。
なんだ…?携帯…?
そうぼんやり思ったところで、ハッとした。

……もしかして!
微かな希望を抱いて、俺は慌てて起き上がるとカバンを引き寄せた。
あせりながら、引っ張り出した携帯電話を開くと。

……?

着信は、期待外れ。
でも意外なことに、テツさんからだった。
俺は慌てて電話に出る。
『浅井。俺、テツ』
「……どうしたんですか」
テツさんから電話がかかってくることなんて滅多にない。
立花さんを紹介してくれた時以来なんじゃないかと思う。
思いがけない人物からの電話に俺は動揺を隠せない。
『浅井、今から出て来れるか?』
有無を言わせぬ口調で、テツさんは言った。




■■■ HANA*HANA19 ■■■

テツさんに『ヨーちゃんの店で待ってる』と呼び出され、俺は1人黙々と店を目指した。

「よォ」
俺が店に入ると、いつものようにカウンターに座っていたテツさんがすぐに俺に気付いて、小さくて手をあげた。
「いらっしゃい」
テツさんと話ていたらしいマスターのヨウさんも俺に声をかけてくる。
「珍しいね」
どうやら俺とテツさんの組み合わせを言っているらしい。
テツさんと二人きりなのはここで初めて会った時以来で、あとは俺と立花さんとテツさんとその恋人の夏目さんの四人だったり、それぞれの相手と二人だけだったりするから珍しがられてもおかしくはなかった。
「そういえば最近立花くん見ないけど」
ヨウさんの問いかけに、テツさんがチラリとまだ座っていない俺を見上げた。
「ただいまコイツと絶賛ケンカ中」
「え、そうなんだ?」
なんて答えたらいいのか判らず、俺は曖昧に笑っておいた。
状況を察したのか、俺に飲み物を出してくれると、ヨウさんは「ごゆっくり」と言って離れていった。
待ってました、とばかりにテツさんが俺に向き直る。
顔には意地悪気な笑みを浮かべて。
「……さて。どうなってんのか、説明してもらおうか」


「…立花さんはなんて言ってるんですか」
「アイツは何も言わねえよ。そういうやつなんだ。肝心な時には何も口にしなくなる。……だから心配なんだ。何も言わなくなったら、それだけ思いつめてるってことだからな」
さすが20年近く側にいる人の観察眼は違う。
俺はなかば拗ねた思いでテツさんの言葉を聞いていた。
「お前からの電話には出ねえ、学校そっちのけでバイトばっかしてる、メシは喰わねえ、しゃべらねえ、雰囲気が暗い…そのせいで夏目まで落ち込みはじめてる」
テツさんにとっては、最後の部分も大事なところらしい。
……これで何もない、なんて言えるわけがなかった。
なによりもこの人は立花さんの変化には聡いんだろう。
だって小さな頃から、あの人のそばにいたんだ。
俺にとって、それがうらやましくもあり、憎らしくもある。
些細なことであの人を怒らせたり泣かせたり、どうしていいのかとまどう俺と違って、あの人を知り尽くしているテツさんにとってあの人が望むことは手にとるようにわかるんだろう。
どうせ付合って数カ月の俺に、あなたみたいに立花さんのすべてがわかるわけじゃない。
だったら、あなたがあの人を笑わせればいいんじゃないのか。
そんなひねくれた思いを俺は口にしていた。
「……そんなに心配ならテツさんがあの人と付合えばいい」
俺のガキ丸出しの言葉に、テツさんは苦く笑った。
「俺じゃ…ダメなんだよ」
珍しく沈んだテツさんの声に俺は目をみはった。
「テツさん…」

ずうっと俺のなかでくすぶってた思いが、真実味をおびた瞬間だった。
この人は、きっと…。

俺の思いに気付いたのか、テツさんは小さく笑って話を変えた。
「カイリがなんで一人暮らししてるか知ってるか?」
俺は素直に知らない、と首を振った。
大学生になって一人暮らしをはじめたんだろう、ってぐらいにしか思っていなかったから。
だから。

「家族にバレたんだ、ゲイってことが」

予想していなかった答えに、俺は息を飲んだ。

「高校の2年のときに付合ってた男とホテルに入るところを近所のおばはんか誰かに見られてたらしくってな。その相手がガキの頃から付かず離れずの俺だって勝手に誤解して吹聴してまわったんだ」
いい迷惑だぜ、と言い黄金色のビールの入ったグラスをかたむけた。
「ま、間違えられても仕方ねえ。……その時カイリが付合ってた奴ていうのが、俺のイトコってやつだったからな。血のせいか俺と背格好も顔もそれなりに似てたんだ。カイリもイトコもよく俺の家に遊びに来てて、時々入れ代わりで顔を合わせるぐらいだったんだが、いつのまにかそいうことになってたらしいわ」
テツさんの口から語られる立花さんの過去。
俺は何も知ろうとしていなかったんだ、と思い知らされる。
「俺もカイリも噂を否定しなかった。いずれはばれることだと思ったから。その時が早まっただけだって、巻き込んですまない、って謝るアイツに言ってやったよ。でも、俺の家はそうでもなかったんだが……その噂が広がって、アイツんちは結構厳しい家だったから、そういう世間の好奇の目に耐えられなかったんだろうな。噂がおさまるまで、って名目でアイツは家を追い出されちまったってわけ」
テツさんが深いため息をつく。
「しかも俺のイトコ様はそんなアイツをなぐさめるどころか、サッサと切り捨てちまいやがってな。くだんねえ体裁を気にする奴だったから、カイリと付合ってた時も一目を気にして外に出かけることもしなかったらしいし、俺もカイリに聞くまで二人が付合ってるのも知らなかったくらい、周りにひた隠しにして付合ってた。 あいつはそれでもいいんだ、って言ってたけど」

俺はふと思い出した。
……立花さんは、俺が手をつなごうとすると嫌そうな態度をみせる。
でも、俺はそれがあの人の照れ隠しなんだと思ってた。

人目を忍んであってた立花さんにとって、人前で手をつなぐなんてことは考えられなかったことなのだろう。
好きな人と手をつなぐ。
そんな当たり前の行為ができなかった立花さん。
俺と手をつないだときの、あの人の表情を思い出す。
俺が手をギュッと握りしめると、少し頬を染めてうつむいて。
俺はそれを可愛いなあ、なんて眺めていたりしたけれど…。
あの人は、それを少しでも嬉しいと思ってくれたのだろうか。

「アイツ、本当にキツイ時には何も言わねえから…」
恋人との仲がこじれはじめた時も、立花さんはテツさんには何も相談しなかったのだという。
ただ黙って…。
数カ月後に、『別れた』と一言ぽつりと呟いただけだったとテツさんは言った。

「正直言ってカイリとのことはイトコにとっては遊びだったんだと思う。物珍しいから手を出してみたって感じなんだろうな。元々根っからのゲイってわけじゃなかったみたいだし…。さんざんアイツを振り回して弄んで、世間にバレたから全部をカイリのせいにして、ポイだ。自分に火の粉がかかる前にな。しょっちゅう俺のウチに来てたくせに、それ以来パッタリと来なくなったぜ。俺に卑怯モンだって罵られたくなかったからかもな。あげくに1年後にはどこぞの女と結婚しちまいやがった。よっぽど世間の目を気にしてたんだろうよ」
「……それ、立花さんは…」
「もちろん知ってるさ。結婚するから別れるって言われたらしいしな」
付合ってる時はそんなそぶりを見せなかったのに、と吐き捨てるようにテツさんは言った。

俺が雑誌に撮られたのを黙っていた時。
立花さんは『こんな風にあとから知るのはいやだ』と言った。
それは過去の裏切りのせいなのだ。
俺はただ、あの人を怒らせたりしたくなくて黙っていたけれど、あの人にとってそれはただの不安としか捉えられないのかもしれない。
秘密なんてたいしたものじゃない、と思っていたのは俺だけで、そんな俺の浅はかな考えがあの人を傷つけていたのだ。

「それからだよ、カイリが本気で誰かと付合わなくなったのは」
いつも冷めた態度で、一晩だけの相手をさがして。
別れてから一時期は特に頻繁だったらしい。
自棄になっていたとはいえ、今の立花さんからは到底考えられないことだ。
一晩だけでもあの人の身体に触れた人間がいたのかと思うと、俺はたまらない嫉妬にかられる。
あの人をそんな風にしてしまった元恋人にも、だ。

「……お前なら大丈夫だと思ったんだがな」
テツさんのなかで立花さんを傷つけた俺は、元恋人のイトコと同類に感じているのだろう。
この人は立花さんを傷つけるものは徹底的に排除する気でいる。
家族にも恋人にも裏切られてしまった立花さんを支えた、唯一の人だ。
そう思うのは無理もない。
「浅井は…カイリとの関係が家族に知られたらどうするんだ。ちゃんと向き合えんのか?」
考えたことがない、といえば嘘になる。
俺はテーブルの上の手のひらをグッと握った。
でも。
俺はもう、決めていた。
「まだ…心の準備はできていないけど…でもいつかはちゃんと報告できたらと思ってます」
いつかは全部言わなければいけないときが来る。
それは明日かもしれないし、十年後かもしれない。
でも、例えいつ家族に知れることになったとしても俺は逃げないでいたい。
誰1人の気持ちも裏切りたくはないから。
俺はちゃんとテツさんの目を見て言えた。
少し目を見張っていたテツさんだけれど、俺の決意に少し表情をやわらげた。

ああ…。
この人は、やっぱり。

「…一つだけ聞いてもいいですか?」
自然に俺は問いかけていた。
「テツさんは、なんでそんなに…」
言いかけた俺の言葉を遮って。
「そりゃ幼馴染みだからだろ」
テツさんは俺の疑いをサラリと否定してみせた。

この人はずっと立花さんのそばにいた。
恋人ができた今でも、離れることなくそばにいる。
この人にとって立花さんは、言葉に言い表せないほど大切な人なんじゃないかと俺は漠然と感じた。
幼馴染みとしてだけの感情じゃない。
この人は間違いなく特別な感情を立花さんに抱き続けているのだ。
誰にも知られないように。もしかしたら自分でも気付かないようにしているのかもしれない。

「昔ッからアイツが泣くのは見てるこっちがツライ。……声を出さずに泣くんだぜ、アイツ」
立花さんは、小さな頃から泣くのを許されないように躾けられたのだという。
だから泣く時は、声を噛み殺して泣くんだ、と。

あの時。
俺に『来るな』と言ったあの人の顔は。
今にも泣きそうに歪んでいたことを思い出す。
泣きたくても泣けないあの人に、あんな顔をさせてしまった自分を殴りたい気分だ。
あの人を泣かせたくなんて、ないのに。

「……別のことでなら泣かせてもいいんだけどな」
「何言って…」
ふざけた口調で、ニヤリとテツさんが笑う。
その笑みで俺はいくぶんか和らいだ気持ちになれた。
「……この間会いに行ったら、別れるって言われました」
俺の言葉にテツさんが片眉をもちあげた。
「でも…立花さんと別れるつもりなんて、俺にはないです」
はっきりと俺は言った。
あの人が好きなんだ。
だから、なんて言われようが、別れない。
別れてなんてやるもんか。
絶対。

「立花さんに伝えてください…クリスマスまで待っててほしいって」
「……了解」
決意を込めた俺の声色に、おどけてテツさんは両手をホールドアップさせた。
あと数日の辛抱だ。
あの人の喜んだ顔をみることができる。
クリスマスまでは。
その顔を見るための最後の秘密を許して欲しい。

……俺達はお互いのことを知らなさすぎた。
いや、俺が知ろうとしなかっただけなんだろう。
立花さんの過去も。
こうしてテツさんの口から聞くんじゃなくて、あの人の口からあの人の言葉で聞きたいと思う。
俺は立花さんのことを知ろうとしていなかった。
立花さんが言わないのをいいことに。
俺はもっとあの人のことを知らなければいけない。
もっとお互いのことを知らなければ。
もう、あの人を泣かせないよう。
怒らせたりしないよう。
もう2度と傷つけたりしないよう…。
目の前のテツさんを越えられるような存在になりたい。

俺は一気に気が抜けて、テーブルに身体を預けた。
アルコールを摂取したからかもしれない。
「浅井……?」
そんな俺の様子にテツさんが不可解そうな声を出す。
「なんだ、お前疲れてンのか?」
「ちょっと…」
「おい、浅井…」
そこで俺の意識はふっつりと途絶えてしまった。

目が覚めると、知らない風景だったので、びっくりした俺は慌てて飛び起きた。
近くにはヨウさんがいて、そんな俺を可笑しそうに眺めていた。
突然眠り込んでしまった俺を、とりあえず店の奥のロッカー室に運んでくれたのだという。
俺は小さなベンチのようなソファに寝かされていた。
もう店も終わって片付けもすんだし、そろそろ起こそうと思ってた、とヨウさんはいつもの笑顔で言った。
「もう始発も出てるから」
「……テツさんは」
バイクで来ていたテツさんは俺を置いてサッサと帰ってしまったらしい。
呼び出しといてなんて薄情な、とは思ったが、今回は目をつむることにする。
単車で来てるから、というヨウさんに俺は礼を言って、店を出た。
今度は立花くんと一緒においで、と言われ、俺は振り返って笑って頷いた。
まだ完全に明けきっていない空はどんよりと暗い。
それでも俺は妙にすっきりとした気持ちで駅を目指して歩き始めた。




■■■ HANA*HANA20 ■■■

『クリスマスまで待っててやれ』
と突然テツに言われた。誰が、と聞くまでもなかった。
俺に内緒で浅井に会ったに違いない。
ホント、おせっかいなやつだ。

その言葉を鵜呑みにして、俺ってばクリスマスイブになにやってるんだろう、と思う。
昼間なのにいまだベッドの中だ。
ゴロリと寝返りをうつと、流しっぱなしにしてたテレビの電源を切った。

俺は浅井とは(一方的にしても)別れたんだし、テツの言葉なんか無視して誰か相手を見つけて遊びにいけばいい。
身体が寂しいんなら、前みたいに一晩だけの相手をさがしたっていいんだ。
なのに。
なんで、そうしないんだろう?

答えは、わかりきっていた。
まだ浅井を好きだからだ。
浅井以外の人間と過ごしたって意味がない。
浅井に会いたい。
そればっかり、思ってる。

好きなやつのことを思って、ひとりっきり。
しかも別れを切り出したのは、俺からで。
最低のクリスマスだ。

ベッドの上でグダグダしてると、ふいに玄関のチャイムの音がして、俺は身体を強張らせた。

『クリスマスまで待っててやれ』
テツの台詞が甦る。

………もしかして。

俺が出るのをためらっていると、再度チャイムがならされた。

もしかして、浅井…?
俺はそろりと起き上がると、玄関へと向かった。
またチャイムが鳴る。
ドキドキしながら、魚眼レンズから外を見ると。

……なんだ。

外にいたのは緑が社色の宅配便業者だった。

「はい…」
俺が扉を開けると、人のよさそうな笑みを浮かべた宅配のおじさんは「立花さん?」と聞いて来た。
「お荷物をお届けに参りました」
「……えっと…誰から…」
縁が切れかかってる実家からなにかが届くことはまずありえない。
おじさんの手にかかえられた荷物を俺は不信気に見つめる。
「えー浅井さん、からですね」
「!!」
「じゃあ、ここに判子かサインお願いします」
「あ、じゃあサインで…」
言われるまま差し出されたボールペンでサインをすると、おじさんは俺に荷物を手渡し、「ありがとうございました〜」とにこやかな笑みを浮かべて去っていった。
俺は腕の中の荷物に目を落す。

……浅井からの、贈り物?

送り状を確認すると、やっぱり浅井の名前になっている。
一体、何…。
俺はそのまま玄関にしゃがみこむと、丁寧に包装された包装紙をはがす。
あらわれたのは、最新のDVDプレイヤーの箱だった。
俺は目を見開く。
浅井と交わした会話が浮かんでくる。

『このビデオの量、なんとかしたいんだけど…』
『じゃあ、DVDにすればいいんじゃない?薄いし場所とらないし画像綺麗だっていうよ』
『ん〜欲しいけど…でもなあ…今は無理だな』
そんな、あきらめきっていた俺の言葉を、浅井は覚えていてくれたに違いなかった。

どうして、こんなものを贈ってくるんだよ…。

俺は別れるってゆったのに。
こんな風に優しさを示されたら。

…別れられなくなるだろ…!!

無意識のうちに握りしめていた包装紙を手のひらから放り投げると同時に立ち上がり、部屋へとって返す。 床に散乱した服に手当たりしだいに着替えると、俺は部屋を飛び出していた。

浅井に会いたい、って気持ちが一気に爆発したみたいに、俺は冷静さを見失っていた。
ただ。
ただ、浅井に会いたくて。
会わないと、と思って。
電話なんてまどろっこしいものじゃダメだ。
マンションを出、駅への道を走り出す。

「立花さん!」
え…、と俺は慌てて急ブレーキをかけ、立ち止まった。
それから、振り返る。
そこには、浅井が立っていた。
無我夢中で走り過ぎて、浅井とすれ違ったことに気付かなかったらしい。

「あ、さい…」
俺は荒い息をつぎながら、呆然とその姿を見ていた。
今まさに会いに行こうとしている人物が目の前にいる。
「そんなに急いでどこに行くの?」
いつもと同じ態度で接してくるものだから、俺もつられて、いつものように答えた。
「……お前に会いに…」
「俺に?」
「プレゼント…届いたから」
もう届いたんだ、と浅井は納得したようだった。
「気に入ってくれた?」
不安げな笑顔の浅井。
気に入るもいらないも、浅井がくれたものなんだ。
……でも。

「俺…もらえない」
浅井が目を見開く。
「どうして?」
「だって…俺達……」
その先を続けることはできなかった。

「俺は別れないよ」
そんな浅井の言葉にさえぎられてしまったから。

「だって、俺は立花さんが、好きだから」
はっきりと浅井は俺から目を反らすことなく、声をひそめることなく言い放った。
「だから、今日はもう一度、考え直してもらうために会いに来たんだ」

誰も通りがからなかったのが奇跡のように思えた。
浅井の告白を聞いていたのは、俺1人だけ。
普段なら人通りの多い道なのに。
浅井の告白を、一人占めにできたことを幸運に思う。

俺だって。
俺だって、本当は。
浅井と別れたくなんて、ない。

「俺と話してくれる?」
浅井の問いかけに、俺は素直に頷いた。
「……俺ンち、行こう」
「うん」
浅井が俺の手を掴む。
腕ではなく、手のひらを。
そして、そっと指を絡ませてくる。
まるで離さない、とでも言われているようで切なくなる。
俺を好きだと言ってくれる。
堂々とそれを態度で示してくれる浅井。
恥ずかしくて、でも嬉しくて。
鼻の奥がツンとする。
俺が浅井を好きなように、浅井も俺をまだ好きでいてくれることが、嬉しくてたまらなかった。

「ホントはもっと早く会いにくるつもりだったんだ…でも、どうしても立花さんにプレゼントしたくて、バイトしてたから…」
秘密にしててごめんね、と本当にすまなさそうに浅井が謝る。
「バイトって…モデルのか」
「違うよ。友達に紹介してもらって、日雇いのバイト。……なんで?」
「だって、で、電話かかってきたんだろ…」
「どうして知ってるの?」
俺がその問いに答えないでいると。
「立花さん、俺の夢知ってる?」
とっぴょうしもない質問に俺は驚いて浅井を見た。
「弁護士、だよ」
だから、モデルなんかには、ならない。
浅井の目は、はっきりそう断言していた。



部屋に戻り、鍵を取り出そうとしたところで俺は、ハッとした。
固まってしまった俺に浅井が聞いてくる。
「立花さん、鍵は?」
「……かけんの、忘れた」
たいして盗まれるものは無いにしろ、自分の不用心さに驚いた。
確かに、勢いで飛び出したとこはあったけど…。
「あぶないから気を付けないと…」
浅井の注意を聞きながら、扉を開ける。

盗まれるもの、あったじゃん…。

俺は玄関に放置したままのDVDプレイヤーを見て、呆然としてしまった。
「不用心すぎるよ、立花さん…」
あきれたような浅井。
「危ないとこだった…」
俺は小さく笑って、箱を持上げ部屋の中へと運び込む。
それからまた、ハッとした。
続いて入って来た浅井も、部屋の光景を見て驚いたらしい。
「立花さん…一体どうしたの?」
あっけにとられた声がした。
部屋はまだカーテンを閉め切ったままで、薄暗い(遮光カーテンだから)。
その上、慌てて着替えたもんだから、着ていたスウェットが無造作に脱ぎ捨ててある。
しかも床にはビールの缶が転がっていて、中身がぶちまけられていた。
そういえば、服をとる時に、何かひっかけた!と思ったのはこれだったのか…。
「だって、しょうがないだろ…!いきなり、お前からのプレゼントが届くから、俺お前に会わないとって思って慌てて…」
言いながら俺は服を片付け、ビールのこぼれた床をふく。
「……こんなに急いで俺に会いに来てくれようとしてたんだ?」
浅井の言うことがあたってる分、気恥ずかしい俺は唇を拗ねたようにとがらせた。
そうだよ。
それっくらい、俺だって会いたいと思ってたんだ。
「俺…まだ立花さんに嫌われてないって、うぬぼれててもいい…?」
腰を降ろし、俺の顔をのぞきこむように浅井が言う。

……バカ。浅井のバカ。
そんなにすぐに嫌いになんて、なれるわけないだろ。
こんなに、好きで、好きで、しょうがないのに。

「うぬぼれてろよ…ッ」
でも、素直になれない俺は、ついつっけんどんな言い方をしてしまう。
浅井が小さく息を付くのが、わかって。
俺はあきれられたのかと思って、浅井を見ると、それは勘違いだったことがわかった。
浅井は嬉しそうな笑みを浮かべていたから。
「じゃあ…なんで別れるって言ったのか、教えてくれる…?」
浅井の顔が息さえもかかりそうな至近距離に近付く。
俺は視線をそらし、うつむいた。
向かい合って言えそうになかったからだ。
「だって…お前、何も俺に言ってくれないじゃんか…。写真撮られたのだって、何にも教えてくれないし…ただでさえお前モテるのに…」
浅井は俺の言うことを黙って聞いてくれている。
「それに…」
タガがはずれたみたいに、浅井に言いたくても言えなかったことが口から飛び出していく。
それは、浅井がこんな風に口にしやすい状態を作ってくれたからだと思う。
じゃなきゃ、きっとずっと打ち明けることなんてできなかったに違いない。
「う、浮気すんな、ってゆったのに……」
浅井が初めて俺を好きだと言ってくれた時。
嫉妬深いから浮気したら許さない、って俺は言ったことがある。
その時、確かに浅井は『しない』と言い切ってくれた。
でも、秋吉の電話があって…その言葉は嘘だったんじゃないか…って。
「してないよ」
浅井はそんな俺の疑惑をあっさりと否定してみせた。
「…こないだの週末なにしてたんだよ…」
「バイトしてたよ」
「でも電話かかってきてたじゃん。あ、秋吉ってやつから」
「バイト紹介してくれたのが秋吉だったからさ。それにバイトしてるのは立花さんに秘密にしといて驚かせたかったから」
だからあの時、誤魔化そうとしてたんだけど、と言う浅井が嘘なんてつけない人間だってことがよく判った。
あんなしどろもどろな誤魔化し方なんて、疑ってくれってゆってるようなもんじゃないか…。
「……やっぱり秋吉とのこと誤解してたんだ?」
ずばりと切り出されて、俺は頷くこともできすに押し黙った。
「確かに、秋吉には…告白されたことはあるけど、でもちゃんと断わったよ」
いい友達としか見られない。
浅井は少し悲し気な笑みを浮かべた。

浅井に惹かれた秋吉の気持ちが俺には痛い程わかる。
だって、俺だって浅井が好きなんだ。
同じ人間に惹かれた。

……でも。
俺は、浅井を誰にも渡したくない。
俺のそばにいて欲しい。
ひどいやつだって、罵られてもいい。
秋吉の気持ちに応えられない、という浅井の気持ちが俺には嬉しかった。

「立花さん」
浅井が俺の名を呼ぶ。
真剣な声。
「俺、今まで立花さんの気持ちを勝手に先読みしたりして、言わないでいたことがあったけど…」
俺は黙って、一旦きられた浅井の次の言葉を待つ。
「……でも、これからはちゃんと言うよ。もう、立花さんとこんな風にすれ違うのは嫌だから」
別れると言った俺の気持ちを、浅井はわかってくれないんだと決めつけていたけど。
浅井は俺の不安の理由をにちゃんと気付いてくれた。
俺とやり直したい、って本気で思ってくれていたんだ…。
俺は、もう言葉も出なくて、ただ浅井を見ていた。

「もう俺達、別れなくてもいい?」
俺は頷く。
「じゃあ、今度DVD買って一緒に見てくれる?」
バカ、当たり前だろ。
って思いながら、また俺は頷いた。
「結構無理したんだろ…」
俺は部屋に運んできたDVDプレイヤーに目を映した。
浅井がくれたのは、最近CMしてる最新のDVDプレイヤーだ。
値段も結構したのを覚えてる。
「俺…お前になにも用意してないのに…」
「そんなの気にしないでよ。俺が勝手にしたことなんだしさ」
「でも…」
「じゃあ…約束をくれる?」
「やくそく…?」
「俺と、ずっと一緒にいてくれる、って」
浅井が俺の手に自分の手を重ねて来る。
思いがけない浅井の言葉に、俺はただ、ただ浅井の顔を見つめ返した。
「俺、立花さんとのことを、いつかちゃんと家族には言うつもりだから」
「な…何ゆって…」
更に驚きに目を見開いた。
カミングアウトする、と浅井は言っているのだ。
俺は慌てて言いつのった。
「そ、そんなこと言ったら、俺みたいに、家追い出されるかもしれないんだぞ」
浅井には言ったことのない、俺の過去。
俺は自ら告白したのではなくて、噂のせいでバレてしまったのだけれど。
でも、それでも。
親から手痛い拒絶を受けたのだ。
もしかしたら、俺の家ほどひどくないかもしれない。
それとも俺の家よりも、ひどい拒絶を受けるかもしれない。
どちらにしろ、カミングアウトすることによって浅井に辛い思いをして欲しくは無かった。

必死の形相で声を荒げる俺に、浅井な穏やかに微笑んでみせる。
「それでもいい。俺は、例えそうなったとしても、立花さんといたいし、こうして手をつないだりしたいと思う」
浅井が俺の手を握りしめる。
浅井のまっすぐな瞳が俺をとらえて、離さない。

「俺と、ずっと一緒にいてください」

……どうしよう。
胸が熱い。
どうしたらいいんだろう。
目の前の浅井の姿がぼんやりとしてくる。
俺はたまらなくなって、手のひらで目を覆った。

「立花さん……好きだよ」

そっと浅井が俺の肩に手を伸ばしてくる。
まるで、包み込むみたいに浅井の腕の中に引き寄せられる。

浅井。
浅井。
浅井。

俺はバカみたいにその名前だけを繰り返す。
溢れ出した泪が頬をつたった。
浅井にそんなことさせられない、って思う反面、俺はどうしようもない程嬉しくて嬉しくて……。
その言葉だけで十分だって、思えた。
俺が今まで一番欲しかった言葉を、浅井はくれたのだ。
嗚咽まで漏れそうになって、俺は必死で唇を噛みしめて、声を押し殺そうとした。
そんな俺の努力も浅井の唇で、無駄に終わってしまう。
浅井が、優しく触れてくる。
頬に、目尻に、唇に。
浅井の手が、顔を覆っていた俺の手を、そっとはがした。
泣いている自分が、たまらなく恥ずかしくてうつむこうとする俺の顎を浅井に捕われる。
ふと視界に入った浅井の目は、とても優しくて…。
「あさ…」
名前を紡ごうとした唇を塞がれた。
「ッふ……ン」
久しぶりに触れた浅井の唇は熱くて…すぐに頭の芯までボウッとなってしまう。
「好きだよ…」
口付けの合間に囁かれる言葉にも。
「好き…」
俺の頭も身体も蕩けていくのが、わかる。
俺のすべてが浅井の熱に侵されてくような…。
浅井の背に手をのばし、すがるように抱き締める。
そうすると、一層口付けが深いものに変わっていく。
俺達は夢中になって、お互いの唇をむさぼりあっていた。
玄関のチャイムの音が鳴った。
俺と浅井は固まったまま、玄関のほうを見やった。
今度はガンガンとドアを叩かれる。
「おい、カイリいるんだろ?」
聞こえて来たのは、テツの不遜な声だった。

アイツ…!!
とことんタイミングの悪い、バカ幼馴染みに心の中でめいっぱい罵倒を浴びせる。
狙ったように、来やがって…。
あのお邪魔ムシめ!

俺は涙をぬぐって、浅井の腕の中から抜け出し、立ち上がった。
「……俺が出るよ」
浅井の申し出に俺は首を横に振る。
「じゃあ、一緒に」
浅井も俺に続いて立ち上がると、まだ少し濡れている目尻に軽いキスをくれた。
「……ホントは今の立花さんを誰にも見せたくないんだけど、ね」

出て来た俺達二人をみて、テツは不敵に笑った。
「どうやら元の鞘におさまったみたいだな」
ったく、手間ァかけさせやがって、なあ?
と後ろにいる夏目に同意を求めている。
「よかったね、立花」
にっこりと笑う夏目の顔を見て、俺はしばらくぶりに夏目の笑顔を見たことに気付いた。
ここのところ、いつも目にする夏目の顔は心配そうな曇った表情ばかりだったように思う。
自分のことで手一杯で夏目の様子に気を使うことができなかったことに申し訳なさで一杯になる。

「ヨーちゃんの店でパーティーするらしいから、いくぞ」
どうやら、強制的に参加させられるらしい。
俺と浅井は顔を見合わせて、しょうがないかと笑った。
ところが。
「あ…でも俺、夕方からバイトだ」
浅井と別れるとやけくそになっていた俺は、店長に請われるままにバイトを入れてしまっていたことをふと思い出した。
クリスマスでバイトの人数がただでさえ少ないのに、いきなり休む訳にはいかないし。
「マジかよ、普通クリスマスにバイトいれるかあ?」
「だって…しょうがねえじゃん」
俺だって、まさかこんな展開になるとは思ってもみなかったんだから、と俺が唇をとがらすと。
「まあ、これも誰かさんのせいだからしょうがねえか」
テツはチラリと浅井をねめつけた。
「すいません…」
バカ正直に謝る浅井。
「テツアキ」
それを諌めるように、夏目がテツの服の袖を引っ張った。
可愛い恋人に止められて、もちろん逆らうことなんてできるわけがない。
テツはフンッと鼻を鳴らして、
「バイト終わったら絶対来いよ」
俺達は先に行ってるから、と念をおし、夏目と並んで帰って行った。
ドアが閉まるのを見届けてから、俺は隣の浅井を見上げる。
同じタイミングで浅井の方も俺を見ていた。
視線を合わせて、俺達は笑いあう。
「バイト終わる頃になったら迎えに行くよ」
「うん」
大好きな恋人がそばにいて。
(それなりに)大切な幼馴染みと、大事な友達もいる。
最悪なクリスマスは、最高にクリスマスに変わったようだった。

第2部おわり。































posted by moi at 14:48| Comment(6) | TrackBack(0) | HANA*HANA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

HANA*HANA3

■■■ HANA*HANA21 ■■■

俺、浅井雄大の恋人の名前は、立花浬という。
初めて会った時から、響きの良い名前だと思っていた。
だけど一度もその名前を呼んだことはない。

『立花さん』

そう俺は彼を名字で呼ぶ。
なぜなら、彼は俺より年上だからだ。

「いらっしゃい」
店に入ると、気さくな店長のヨウさんが声をかけてくれた。
「こんばんわ」
俺は笑顔で挨拶を返し、カウンターへと向かう。
「よう、浅井」
カウンターにはすでに先客がいた。
笑いながら、俺に向かって手をあげる。

「こんばんわ。テツさん」
「カイリの奴から伝言。レポート提出で少し遅くなるってよ」
俺の恋人からの伝言を親切にも伝えてくれる、この人の名前は田村哲明さん。
この店に俺が初めて足を踏み入れた時、声をかけてきたのもこの人で、俺に立花さんを紹介してくれたのもこの人だったりする。
「そうなんですか…」
「そ。夏目も一緒だから後から二人してくるってよ。それまで二人で寂しく飲んでようぜ」
そう言って、ガッと肩を引き寄せられる。
そのまま駆け付け三杯とばかりに強引にビールを飲まされて、すっかりテツさんのペースに飲まれてしまう。
俺の恋人をカイリと呼ぶこの人は、立花さんの幼馴染みだという。
お互いの実家が近所で、保育園の頃からの腐れ縁だ、と立花さんは言っていた。
二人の間には俺の知らない思い出や歴史があるのだろうけど、俺が今まで一度も呼べないでいる、カイリという名前をテツさんが簡単に口にする度、うらやましいというか…妬ましい気持ちでいることはきっと気付いてもらえてはいないのだろう。
立花さんは俺と付合う時に、自分は嫉妬深いのだ、と告白してくれたけど、俺だって人並みに嫉妬くらいする。
テツさんには、夏目さんというちゃんとした恋人がいることは知っているけど、時々見せつけられる立花さんとテツさんの関係に俺は嫉妬を隠せない。
俺には越えられないハードルをたやすく越えてみせるテツさんに、俺は深い嫉妬をしているのだ。

きっと。
俺はテツさんのようにはなれないから。

「わりぃ、遅くなった」
それから1時間たってようやく現れた恋人は、本当にすまなさそうな顔をして、俺の隣に腰掛けた。
「立花さんこそ、おつかれさまです」
俺は笑顔を向けて労いの言葉をかける。
「おい、夏目は」
俺をはさんで、テツさんは立花さんに問いかけた。
そういえば、一緒に来るってテツさん言ってたのに。
夏目さんの姿はない。
「あ〜一端家に戻ってまた来るって、駅で別れた」
マフラーを外し、ジャケットを脱ぎながら、立花さんが答える。
「チッ、そういう重要な事は早く知らせろよ」
何のための携帯だ、とブツブツ言いながらテツさんは席を立った。
夏目さんを迎えにいくのだろう。
テツさん曰く、こんな場所で夏目さん独りを歩かせるのは危険すぎるらしい。
確かに少しポヤッとしてる夏目さんが独りで歩いていたら、早々に拉致られてしまいそうな感じがする。
テツさんの心配はもっともだ、と俺は思ったけれど、どうやら立花さんはそうではないらしかった。
「お前、過保護すぎ」
あきれたようにテツさんに言う。
「うるせえ」
わざとらしくテツさんは顔をしかめてみせる。
耳にタコでもできるほど言われ続けているのか、まともに取り合う気はないらしい。
重そうなレザージャケットをはおり店を出ようとして、思い出したように振り返った。

「そういえば、成人式、お前どうするよ?」
さっきまでとは違う声のトーン。

……そういえば、3日後だ、成人の日。
俺より一つ上の、立花さんたち3人は成人ってことになる。

立花さんが眉をしかめる。
それからため息まじりにつぶやく。
「行ったって…あれだからなあ」
「…まあな」
交わされる二人の短いけれど、意味深い会話に。

なんで?行けばいいのに。

と喉元まででかかっていた言葉を、俺は慌てて飲み込んだ。
立花さんの過去、を思い出したから。
ゲイだってことが高校生の時に周囲にバレたんだ、ってテツさんから聞いた。
もしかしたら学校でもなにか嫌がらせを受けたのかもしれない。
そんな嫌がらせをした心の狭い同級生も、成人式に出る可能性は高い。
わざわざ嫌なことを思い出しに行くことは、立花さんだってしたくはないに違いない。

「お前は?」
「行かねえよ。めんどくせえ。そういや夏目も行かないって言ってたから、3人で成人式やるか?」
「絶対やだ」
立花さんの即答に、俺はついつい笑ってしまった。
「何笑ってんだよ、浅井」
笑う俺のわきを肘で小突かれ、ごめんと素直に謝る。
そんな俺達のやりとりを傍観していたテツさんは、ニヤリといかがわしい笑みを浮かべた。
「はいはい、そういうこと」
「…おい」
なにやら曲解をしているらしい。
ニヤニヤ笑みを浮かべたまま、夏目を迎えに行ってくる、とテツさんは店を出て行った。
「ったく、アイツはいっつも深読みしずぎんだよ、しかも変な方向にッ」
テツさんの出ていった店の入り口を見ながら憤慨していたが、そのうち気がおさまったらしく、身体の向きをカウンターへと戻した。
それから、唐突に。
「あ〜腹減った」
お腹を押さえ、カウンターにコツリと頭をぶつける立花さん。
「立花さん、夕飯は?」
「食べてねぇよ、ずっと図書室にこもってて、そんなヒマなかったっつーの」
「そうなんだ。じゃあ、ヨウさんに頼んで…」
何か作ってもらう?と聞く前に。
「俺、ラーメン食べたい」
とガバリと上体を起こし、立花さんが言いはじめた。
「しかも、こってりしたやつ。トンコツがいい」
「何、突然…」
「だってさ。ここんとこ菓子パンとか腹持ちしないもんばっかり食べてたからさあ。その反動かなあ」
あんまり食に興味のない立花さんが、何かを食べたいと言うのは珍しいことだ。
デートの時とかでも、俺が何が食べたい?とお伺いをたてても、何でも良い、とまではいかなくても、お前の食べたいもんで良い、だとかどうでもよさそうな反応が返ってくるだけなのだ。
立花さんにしては珍しいワガママに、俺は即刻叶えてあげたい気持ちになってしまった。
「じゃあ、これからラーメン食べに行く?」
「マジ?いいのか?」
俺は頷いて返すと、立ち上がった。
そうと決まれば、善は急げ、だ。
テツさんが帰ってくるまでに店を出ないと、あの人もついてくるって言い出しかねないからな。
せっかくの立花さんと二人っきりの時間を誰にも邪魔されたくなかった。

「お、もう帰るの?」
「はい、どうもごちそうさまでした」
ドリンク代をヨウさんに手渡して、俺は立花さんの手をひいた。
「いこ。お腹すいてるんでしょう?」
「あ、うん」
少し驚いたように、俺を見たあと、立花さんは照れくさそうに、つながれたお互いの手に目をやった。
この人のこういうところが好きだ。
いつも年上ぶった口をきくくせに、たかが手をつないだだけでこんな風にウブな反応を返してくる。
本人は隠してるつもりかもしれないけど、実はキスするときにいつもドキドキしてるのも知っている。
恋人としてのスキンシップに慣れていないのだ。
過去に1人だけ付合った男がいて、それから何人かと身体の関係を持ったらしいけど、この様子からみて俺が心配するほどの経験はないんじゃないだろうか。
俺は立花さんの初めての男にはなれなかったけど、でもこれからは立花さんの経験していないことに関しての初めての相手になりたいと思う。

「はあ、喰った喰った」
腹一杯になって御満悦な様子の立花さんを俺は微笑ましく見つめる。
「満足した?」
「満足満足」
そう言って、立花さんは自分のお腹を撫でてみせる。
よっぽどお腹がすいていたのか、立花さんは運ばれて来たラーメンをすごい勢いで平らげた。
あんまり物を食べるとこを見ることがないので、こんな風に飢えたように食事をするのにはなんだか意外な感じさえした。
「あ〜もう歩くの、めんどいなあ」
どうやらお腹がふくれてすぎて、今度は動くのが面倒くさくなったらしい。
「俺がおぶって返ってあげようか?」
冗談まじりに言ってやると、
「ば!バッカ!!冗談じゃねえよ!」
と本気になって拒絶してくる。
言われなくても冗談のつもりだったのに…と俺は立花さんの過剰な反応に苦笑を隠せない。
立花さんが以前付合っていた人は、関係を隠したがっていたらしく、立花さんもそれに感化されてしまったのか、人前でイチャつくのに過剰なほど反応をする。
元々照れ屋なとこも手伝ってるとは思うんだけど…。
「そろそろ出ようか」
俺が伝票を持って席を立とうとすると、いきなりそれが俺の手からひったくられる。
「立花さん?」
さっきの発言にまだ怒っているのか、と俺が怪訝そうな顔をすると。
「長いこと待たせたから、俺のおごり」
とぶっきらぼうに言って、さっさとレジへと向かってしまった。
初めはなんのことか判らなかったが、どうやらレポート提出のせいで俺を待たせた事に対して言ってるのだとわかって。

……あんなの、待ったうちに入らないんだけどなあ。

この人の、こういう不器用さが可愛いと思う。
俺は知らずに笑みが浮かんでしまうのが、止められない。

「ごちそうさまです」 レジで会計をすましている立花さんの横に立って、俺は小さく頭を下げた。
それに、立花さんは照れたようなふてくされたような表情で、「おう」と答えてくれた。



■■■ HANA*HANA22 ■■■

ラーメン屋を出て、そのまま俺は立花さんのうちに直行した。
これから3日間誰にも邪魔される事なく(予定では)二人きりで過ごせるのかと思うと、二人ですごした俺の家での4日間を思い出して、嬉しくなる。

ベッドの中で、俺が成人の日はどこかに行く?と聞くと、立花さんは少し考え込んだ後、首を振った。
それから『部屋で旨いもん食べたい』と欲のないことを言った。

成人の日。
昼近くになってようやく二人して起き出すと、近くのスーパーに買い物に行く事になった。
お祝ってことで、なにか美味しいものを買いに行こうってことになったからだ。
二人で部屋を出る。
俺が手をつなごうとすると、「バカ」と言われてしまった。
まあ、これはいつものことなんだけど。
無理強いすると怒りそうなので、しょうがなくあきらめてなるべく肩が触れあうような距離で並んで歩いた。
スーパーは何度か立花さんと一緒に行ったことがあるけれど、結構規模の大きい店で、なんでもそろっている。
あらかた二人で店内を物色して、欲しいものをカゴに入れて行く。

「酒はどうする?」
「せっかく成人なんだし、ワインでも買ってみようか」
「ワインか〜」
足を止めた酒売り場で、まとめて藤のカゴにいれられているワインを見たまま、立花さんは何やら考え込んでいる様子だった。
「ワイン、苦手?」
「苦手っていうか…」
それっきり、口を噤んでしまう。

……?どうしたっていうんだろう。

俺は立花さんの態度を不思議に思いながら、カゴの中にはいってるワインを1本手に取った。
「ビールよりアルコールは高いけど、ほら甘口って書いてあるし、白ワインって飲みやすいって聞くよ」
「ん〜もしかしたら、俺あんま飲めないかもしんないけど、いいか?」
「チャレンジしてみる?」
立花さんは頷き、ワインを俺の持っていた買い物カゴの中に入れた。
「ツマミも買ったし、こんなもんかな」
「じゃあレジ並ぼうか」
「ん」
重いから、と言った立花さんとカゴを半分づつ持って、俺達はレジへと向かった。






「なあ、浅井ー。グラスいつものやつしかないけど、いいか?」

あらかた料理を皿に並べテーブルに運び終わった俺に、立花さんが聞いて来た。
手にしてるのは、いつも使っているごついグラスだ。
「なんでもいいんじゃない?飲めればさ」
「俺、ワインってあの細長いグラスじゃないと飲んじゃダメかと思ってたんだよな〜」
「……すごい思い込みだね。じゃあ、ラッパ飲みなんか許されないんだ?」
そうそう、と言って立花さんが笑った。

途中で思い出して、引き返して購入したワイン抜きで栓をあけ、ちょっとだけかしこまってる立花さんの前に置いてあるグラスに、ワインをそそぐ。
それから自分のグラスにもそそいで。

「成人、おめでとう」

俺がグラスを傾けると、照れくさそうに立花さんがグラスを寄せて来た。

「……サンキュ」

カチンとグラスのぶつかる音。
お互い一口味わって、グラスを離す。

「っていっても、まだ19なんだけどな」
「2月だよね?誕生日」
1学年違いといえど、実質俺と立花さんは現時点で同じ年齢だったりする。
「浅井は4月だったっけ」
俺が頷くと、ちぇーッとつまらなさそうに立花さんが唇を尖らせた。
「なに?」
「……なんかずりぃなあって思って」
きっとはっきりと年上になる期間が、たったの2ヶ月しかないのが気にくわないのだろう。
常日頃から無理して年上ぶったりしているこの人の考えそうなことだ。
俺的には、2ヶ月でよかったって感じなんだけどね。
「俺は立花さんと同じ年齢だと嬉しいけどね」
俺が本音を言うと、立花さんはびっくりしたように俺を見て、それから視線をそらしてしまった。
「来年の俺の時も、祝ってくれる?」
図々しいとは思ったけれど、聞いてみた。

「……あ、あったりまえだろっ」
あいかわらず目はそらしたままだったけれど、ぶっきらぼうなその答え方が立花さんにとっての精一杯だって知ってるから。

「約束だよ」
俺はそう言って微笑んだ。



「これ、結構うまい…」
「そうだね。安かったのに成功」
口当たりもよく飲みやすいワインだったからか、立花さんはいつになくハイペースでグラスを開けて行く。
一人で丸ごと1本飲んでしまうんじゃないかって勢いだ。
案の定、ようやくアルコールが体内をまわりはじめたらしく、顔から首までがまるでトマトのように赤くなっている。
「立花さん、顔真っ赤だよ」
大丈夫?と俺が頬に手をのばす。
「へーき、まだいける」
と、ちょっと呂律の怪しい口ぶりで返事が返って来た。
触れた頬は、かなり熱かった。
そろそろこのへんでストップをかけたほうがいいのかもしれない。

そう言えば、酔っぱらった立花さんって見た事ないな、とふと思った。
ヨウさんの店で飲んでても、いっつもビール2、3杯くらいだし。
こないだのクリスマスパーティーはいつもより飲んでたみたいだけど、意識はちゃんとあった。
そういえば、立花さんはいつもアルコール度の低いものを選んで飲んでいたような気がする。
……酔ったら、なにかあるのかな。
ムクムクと好奇心がわき上がって来た。
俺はあえて止めることなく、様子を見る事にした。
一旦芽生えた好奇心を押さえることはできなかったから。

そのうち、立花さんが並んで座っていた俺の肩に、コテンと頭を預けて来た。
「立花さん?」
「あつーい」
まるで、だだっこみたいな口調に俺は苦笑をかくせない。
「じゃあ上脱いだら?」
立花さんは部屋着用らしいパーカーをTシャツの上にはおっていた。
結構厚手のものだから、酒でほってった体には脱げばちょうどいいかもしれない。
ところが。

「……ぬがして」
「……」

鼻血ものの台詞に、体が一瞬硬直してしまった。

ぬがして。
ぬがして。

立花さんの台詞が頭の中をエコーする。
脱がして、なんて今まで立花さんが俺にねだったことがあったか?いや、ない(反語)

「あさいー?」
じれったそうにせまって来る、立花さんの声に俺はようやく我に返った。
「う、うん、ちょっと待っててよ」
なんだか俺はドキドキしながら、パーカーのジッパーをはずし、脱ぐのを手伝った。
いつもセックスする時だって、脱がすのにこんな興奮したことはなかったと、思う。

この間のホロ酔い気味の立花さんを見た時も思ったけど。
立花さんってアルコールはいると、普段より輪をかけて色っぽくなるんだよ。
ピンク色した肌とか。
伏し目がちになるとことか。
本人が聞いたら絶対に否定するだろうけど、妙なフェロモンが出始めるんだよな。
しかし、今日はそれより更にパワーアップしてる。
「ん……」
なんて小さな艶のある声だして、俺に寄り掛かって来たりするしさ。

このままだと、本気でケダモノみたいに立花さんに襲い掛かってしまいそうだったので、俺は少し頭を冷やそうと立ち上がった。

「あ、どこいく…」

途端に、置いてけぼりをくらうこどもみたいな、心細そうなまなざしを向けられて。
もしかしたら、立花さんって酔っぱらったら、幼児がえりしちゃうのかな。
舌ったらずな感じが、めちゃくちゃ可愛い。
いっつも照れ屋なせいか、つっけんどんな言い方だったりするから、すごく新鮮に感じる。
「水をとりに行ってくるだけだよ」
俺が苦笑まじりに言ってやると、そう…と言ってうつむいてしまった。

その仕種の一つ一つが可愛くて、たまらなくなる。
やばいな〜。
昨日もおとついもあきれるほどしたのに。
なんで、こんなすぐに欲情してしまうんだろう。
まるで発情期の動物みたいだ。
俺は高ぶりかけの熱を冷ますように、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを一口、口に含んだ。

俺がミネラルウォーターのボトルを手に戻ると。
「あさいー」
待ってましたというように、立花さんが両手をのばしてきた。

ホントにコドモに戻ってるよ、この人…。
いや、コドモはこんなに色っぽくないか。

俺は妙にニヤニヤしてしまいながら、のばされた腕に応える。
首に腕をまわされ、引き寄せられた。
抱きついてくるその肉薄の体を抱き返しながら、至近距離にある立花さんのうっすらとひらかれた赤い唇に唇を寄せた。
触れるだけのキスをすると。
気持ち良かったのか、唇を離しても立花さんの方から求めてきた。
そのまま抱合いながら、何度も何度もキスをして。
深いキスに、立花さんの息があがった頃。
俺は唇を離し、うっとりした目を向けてくる立花さんを見つめた。
「あさい…?」
少しでも離れるのを許さないとでもいうように、縋り付いてくる立花さんに俺は囁いた。

「……俺のこと、名前で呼んで」

「……な、まえ?」
「そう、雄大って」

ずっと。
付合ってから1度も。
呼んでくれた事のない、俺の名前。
酔っぱらって従順になってる今なら、呼んでくれるかもしれない。
期待を抱いて、待っていると。

「ゆうだい…?」

−−−−−ヤバい。今の、かなりキた。

まるで、おうむ返しのように俺の名前を口にしただけ、だけれど。

それだけでも、俺にはたまらないものがあって。

もう1度、とせがむ前に、立花さんのほうからせがまれてしまう。
「ゆうだいも、おれのこと、よんで?」

心臓が飛び出すんじゃないかと思うくらいに俺は動揺していた。
覚悟をきめて、ごくりと唾を飲み込む。

ずっと。
ずっと呼びたいと思っていた名前だったはずなのに。
いざ、口にするとなると、かなり緊張した。


「カイリ」

俺が呼ぶと、立花さんは嬉しそうに笑みを浮かべた。
舌ったらずな声で、「ゆうだい」とまた俺の名前を呼ぶ。

こんな風に、ずっと呼び合ってみたかった。
なんか…もしかして、俺の方が酔ってるんじゃないだろうか。
こんな、夢みたいなこと。

俺はたまらなくなって、再度立花さんの口を奪った。
「ん……っ」
身体中にキスし、舌を這わせながら、俺は徐々に下半身へとそれを移していく。
ジーンズに手をかけても、立花さんは抵抗をみせなかった。
「カイリ、ここ大きくなってるね…」
「や…」
俺は下着の上から、それの形をなぞるように撫でた。
普段なら絶対ここまででストップがはいるはずだった。
でも。
今の立花さんはすっかり、俺のいいなりだ。
まるで、カイリという名前の別の人間を相手にしているような気分にもなってくる。
……こんなこと考える俺も、もしかしたら酔ってるのかな。

探り出した立花さんのものは、すっかり固くなっていた。
敏感なそこを数度上下にこすると。
「あ…ンッ」
いつもと違って、我慢せずに素直なイイ声が上がった。
俺は握りこんだ立花さんのモノに、チュッと小さく口付けを落す。
それだけでも、立花さんの身体は敏感に反応した。
自分がされて気持ちのいいことを、好きな人にもやってみたいと、常々される度に思っていた。
同じ男だから、どこがいいのか大体わかる。
この人がしてくれるように、上手くできるかはわからないけれど。
少しでも、気持ちいいと感じてくれるように。
俺は、ゆっくりと立花さんのペニスに舌を這わせた。

「あっ、あっ」
立花さんの手がのびてきて、俺の髪をくしゃくしゃにする。
俺がいいところを舐めあげると、その手に一層力がこもるのが分かった。

……舐められる以上に、舐めるほうが興奮する。

その証拠に、俺のものも痛いくらいに張り詰めはじめていた。

「カイリ、気持ちいい…?」 俺の問いに、立花さんががむしゃらに頷く。
この間は、あんなに嫌がっていた俺からの口淫を受け入れ、甘い声をあげてくれている。

……ヤバい。
明日、学校あるのに1回で終わるかな。

いつになく素直で可愛い立花さんの反応に、俺の情欲の勢いは止まりそうにない。

……そして、案の定といおうか。
立花さんが意識を失うまで、揺さぶり続けてしまったのだった…。



「〜〜〜だから、ビール以外はあんまり飲みたくなかったんだよ」

頭をおさえ、痛みをこらえているのだろう。
俺は苦笑しながら、立花さんに水を差し出した。
「大丈夫?」
「……なわけ、ねえだろ」
不機嫌な声が返ってくる。
「身体もなんか、だるいし…」
ジトリ、と睨まれて、俺は笑うしかなかった。

目がさめると、見事な二日酔いの症状を披露してくれていた立花さんだが、どうやら、酔っていた間のことをまったくおぼえていないらしかった。

俺の名前を呼んでくれた事も。
俺が立花さんの名前を呼んだ事も。
いつもならさせてくれなかった、アレやコレをしたことも。

ちょっとがっかりしつつも、俺はホッとした。
たぶん、覚えてたならこんな風に俺と普通に口をきいてくれなさそうだもんな…。

聞くところによると、1度日本酒を飲んで記憶を失くす程よっぱらって以来、アルコール度の少ないビールばかりを飲んで酔わないように気をつけていたらしい。
だから、スーパーであんなに買うのを迷っていたのか、とそれを聞いて納得した。

「頭いたい…」
「あとから二日酔いの薬買ってくるよ」
眉をしかめる立花さんの頭を撫でてやる。

まあ、お互いの名前で呼び合うのに慣れるのには、俺も立花さんにも時間がかかりそうだし。
(だって名前呼ばれる度に興奮してたら、俺の身がもたない)
そんなに急ぐ事もないか…。
自習休講を決め込み、かいがいしく立花さんの世話をやきながら、この時の俺は、そう…思っていた。
なにも。
焦る事はないのだ、と。



■■■ HANA*HANA23 ■■■

今日は久しぶりに立花さんとデートだ。

春休み前で、レポートやら後期試験に追われ、俺も立花さんも忙しくしていたため電話で話すくらいで会う事をしなかった。
約1週間半。
こんなに、っていうほどでもないかもしれないけれど。
でも、立花さんと付合うようになって、こんなに会わないでいたのはクリスマス前のケンカの時くらいだ。
あの時以外は、ほとんど週末は当たり前のように一緒にいたし、週中でもしばしばデートしてた。
会いたい、って思う気持ちがなかったわけではない。
でも、たまにはこういう期間があってもいいかな、と思ってお互いの試験が終わるまで会わないでいた。
ホントなら、毎日でも会いたいくらいなんだけど。
立花さんたちの大学の方が、俺の所よりも早く試験があけたらしい。
ようやく試験から解放され、清々した気持ちで立花さんに会える。
俺は、久しぶりの恋人との逢瀬に、まるでこどものようにワクワクしながら、いつものように待ち合わせ場所にしているヨウさんの店へと向かっていた。

いつものようにヨウさんの店のドアを開ける。
久しぶりに会う恋人は、もう来ているのだろうか。

ドアを開け、定着席になっているカウンターに視線をやると。
そこには、1週間振りに見る恋人の姿があった。
……しかし。
見なれない人物が、そのそばに立っていた。
背は俺と同じくらいだろうか。
年齢はたぶん…20代後半くらいに見える。
甘い顔をしていて、でもどことなく軽薄な雰囲気がうかがえた。

……一体誰だ?

無意識のうちに、俺はまゆをしかめた。

親し気に話すその男とは対照的に、立花さんは男の方を見ようともせず、カウンターにむかっている。
男は、また何かを囁いて、立花さんの肩に手をまわした。
それも、とても慣れたしぐさで。

瞬間、自分の頭がカッと熱くなるのがわかった。

その馴れ馴れしく肩にかけた手を、立花さんがすげなく振り払う。
それでも男は可笑しそうに笑っている。

俺はこれ以上、ふたりのやりとりを黙ってみている事ができなくなって(だって自分の恋人が他の人間に言い寄られているのだ)、カウンターへと急いだ。

「立花さん」

俺が近付くと、立花さんと知らない男は揃って俺に視線を向けた。
訝しむ俺の眼差しに、男はへえ、と言ったように眉をつりあげた。
それから、挑戦的な笑みを俺にむけてくる。
「じゃあ、また」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて、男が離れて行く。
立花さんは迷惑そうに顔をしかめたまま、何も言わなかった。

「……誰?」
男がそのまま店を出て行くのを確認して、素直な問いを立花さんにぶつける。
「……ちょっと、声かけられただけ」
よほどイヤな思いをしたのか、立花さんの声はかなり不機嫌なものだった。
やっぱりナンパだったのか。
「……ごめん。俺がもっと早く来てたらよかった」
そしたら、久しぶりの逢瀬に、立花さんにイヤな思いさせることもなかったのに。
「……別に、浅井のせいじゃねえだろ」
こんなこと、滅多にないんだから。
立花さんはそう言うけど。
この人って、本当に自分の容姿に疎いんだな、と思う。

立花さんは自分に魅力がない風に思っている節があるけれど、それはまったくの思い違いだ。
ここに来るようになって気付いたけれど、立花さんはすごく人の目を引く。
華があるっていうのかな。
遠くからチラチラ見て、声を掛けたそうにしているやつだっているのだ。
でも普段は、俺がいるしテツさんだっているから、そういうことをしてくる奴はいなかった。
それにこの店で、俺達の仲はほとんど公認に近かったりする。(HANA*HANA10話参照)
だから、立花さんに言い寄る奴は、この店では出て来ないと安心していたんだけれど。

でも、今日みたいなことがあるなんて。
要注意だな。

……テツさんじゃないけど。
俺も心配になってきた。
この辺を立花さん独りで歩かせたりするの…。
またいつあの男が近寄ってくるかわからないし。
(だって、「じゃあ、また」なんて言ってた!)

「浅井?」
悶々と考え事をしていた俺は、立花さんの声にハッと我にかえった。
「なんにする?ってヨウくんが」
見ると俺の様子に可笑しそうにしているヨウさんが立っている。
「いらっしゃい」
「あ、こんばんわ」
俺は慌てて小さく頭を下げる。
「ビールでいいのかな?」
「あ、はい、お願いします」
笑顔のままビールを注ぎにいくヨウさんの背中をながめる。
すると、立花さんが、
「さっきの…気にしてんのか?」
不安げな面持ちで聞いて来た。
俺が黙っていたから、もしかしたら怒ってるように見えてしまったのだろうか。
「心配してただけだよ。立花さん、モテるから」
「……どこが。それはお前だろ」
俺の言葉に、立花さんはふいと顔を背けてつぶやいた。

……本当に、この人は、自分の可愛さをわかってないんだから。

苦笑まじりに立花さんの横顔を眺めていると、テーブルの上にコースターとビールのはいったグラスが置かれた。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、ヨウさんは笑顔で返してくれた。

「そういえば田村くんが、バレンタインは何する?ってこないだ意気込んでたよ」
バレンタイン。
試験のおかげでですっかり忘れていたイベント名に俺はピクリと反応してしまう。
「あのバカ…」
ヨウさんの言葉に、立花さんが呆れたようにつぶやいた。

「次回来る時には計画書持ってくるって言ってたけど、なにか聞いてる?」
ぶんぶんと首を大きく振って、否定を表す立花さん。
俺とヨウさんは、その様子に少し笑ってしまった。


それにしても、計画書って。
テツさんは、かなりのイベント好きらしい。
クリスマスの時のコスプレ大会を凌ぐようなアイディアを、テツさんは今頃練っているのだろうか。

それを想像して笑ってしまった俺の脇腹を、立花さんが「笑い過ぎ」といってつついてきた。
ああ、立花さんのことで笑ったわけじゃないんだけど。
「じゃあ、バレンタインはここに来ないとね、立花さん」
「やだっ、あいつのことだから絶対ロクでもないこと計画してるに違いないんだから!」
憤慨する立花さんを、ヨウさんとふたりでなだめる。
「バカテツの相手なんてしないでいいからね、ヨウくん!」
しかし、断固拒否な立花さんの姿勢に、俺とヨウさんは苦笑いするほかなかった。



■■■ HANA*HANA24 ■■■

「浅井くん、はい」
バイトが終わり帰ろうと、ロッカールームでコートを羽織っていたところで、差し出されたもの。
赤いラッピングペーパーで包装された長方形の箱には、金色のシールが貼ってあって『St.Valentine』と書いてある。
俺は差し出し人である、佐伯さんの顔を見た。

「女性陣一同から。っていってもチカちゃんと私だけだけど」

チカちゃんというのは、事務所で働くもう1人の女性のことだ。
「どうもありがとうございます」
義理チョコを素直に受け取り、俺は小さく頭を下げた。

「これから例の彼女とデート?」
「……まあ」

本当は彼女じゃなくて彼氏なんですけど…と心の中では思ったけれど。
あえて訂正することもなくて、俺はそういうことにしておいた。

「佐伯さんも彼氏と、デートなんでしょ」
「まあね」
佐伯さんは嬉しそうに笑ってみせた。

帰り支度を終えて、俺はロッカールームを出ると、机に向かって仕事をしているチカちゃんこと中島さんにお礼を言った。
「中島さんも、どうもありがとうございました」
中島さんは何も言わず、ニッと笑う。
「お先に失礼します」
「おう、お疲れさん」
それから、所長である北見さんに挨拶をし、事務所の出口にむかった。
俺を見送りに、事務所のドアまでついてきた佐伯さんが言う。
「ホワイトデー、愉しみにしてるからね〜」
ヒラヒラと手を振られて、俺は苦笑いを返すしかなかった…。

今日はバレンタインデー。
我が国日本では、女性が男性にチョコレートやらを贈って愛の告白をする日だ。
俺はこれからイベント好きのテツさんに誘われて、バレンタインパーティーが開かれるヨウさんの店へと向かう予定だ。
2月は、恋人の誕生日があるし、お互い男だから取り立ててバレンタインになにかしようと思っていなかったから、ちょうどいいのかもしれない。
最後まで行くのを嫌がっていた立花さんだけれど(クリスマスの一件があったから警戒しているらしい。俺はそれなりに楽しかったんだけどなあ)、テツさんが無理矢理引きずってくると言っていた。
今回は何するつもりなんだろう?
俺はクリスマスのこと思い出して、フッと頬の力を緩めた。


ヨウさんの店の数十メートル先まで辿り着いた時。
面白く無さそうな顔をして、こちらに向かってくる男が目に止まった。

……あいつ、この間立花さんに言い寄っていた奴だ。

向こうも俺に気付いたらしく、不機嫌そうにしかめていた顔が一転して、おもちゃを見つけたこどものような表情に変わる。
ザワリと嫌な予感が全身を襲う。
俺は男から目をそらした。
無視してすれ違おうとした俺の腕を、いきなり男が掴んで来た。

「君、カイリの男なんだって?」

しかもいきなりそんな言葉をぶつけられる。

なんて失礼な奴なんだろう!

俺は掴まれた腕を振払う。

「……だったら、なんだっていうんですか」

しかも、カイリだなんて馴れ馴れしい。
俺だって、素面のあの人の前では口にしたこともないっていうのに。
なんで、こんな男が簡単にあの人の名前を口にするんだよ?!

「久しぶりに声かけたら、そう言ってフラれたもんでね」
あの日のこと言っているらしい。
だから、あの時、この男は俺を見て笑ったのか。
「まさかキミみたいなコと付合うなんて…意外だよ」
「……どういう意味ですか」
ムッとして、俺は男に向かって言った。
俺の反応が、男には愉快にうつるらしい。
「そんなに怒るなよ。カイリは、俺みたいに年上のやつが好みみたいだったからさ」
まるで、俺よりも立花さんを知ってるんだ、とでもいうような口ぶりに、俺は更にカチンときてしまう。

「カイリとはもう寝た?」
俺は答えず、男を睨み付けた。
こんな下世話な問いに、答える義務なんてない。
そんな俺を見て。

「あのこのフェラチオは絶品だろ」
男はいやらしげに、笑った。

……ッ!!

俺は思いもかけない衝撃に、言葉を失った。
それは、この男と立花さんの間に身体の関係があったということ、を現していたから。

「なんで知ってるんだ、って顔してるな」
男は俺の顔を見て、心底愉快だとでもいうように笑った。
「何度か…ね」
男の含みのある言葉に、俺は拳を握りしめる。

寝た…。

寝たんだ。
立花さんは、この男と。
俺じゃない、他の男と。

突き付けられた事実に、目眩さえ覚える。

「キミは知らないかもしれないけど、カイリはあの店で男を漁ってたような奴なんだぜ」
立花さんを侮辱するような言葉に、俺はカッとなって言い返す。
「……あの人は、そんな人なんかじゃないッ」
テツさんから聞いたことのある立花さんの過去。
恋人と別れて寂しくて、ヨウさんの店で相手を捜してたこともあるって。
その内の1人がこいつだっていうのか。
こんな、男と…ッ!!


「キミ、アイツに騙されてんだよ。可哀想に」
男は同情を含んだ眼差しを俺に向けて来た。

……騙されてる?
俺が?
立花さんに?

立花さんは、あの時、俺に、
「ちょっと言い寄られただけだ」と言った。
この男との関係を俺に隠した。
あの人の性格から考えて、正直に答える事はない、と分かっていても。
どうして、こんなに。

あの人に裏切られたような、気持ちになるんだろう…?

分かってたこと、じゃないか。
俺が立花さんの最初の男じゃないことぐらい。
俺と付合う前に、立花さんには恋人がいて。
他にも相手がいたってことも知ってる。
俺と出会う前のことなんだから、俺に立花さんを責める資格はないんだってことぐらい、わかってるのに。
でも。

目の前の。
この男と、立花さんが寝たのかと思うと。
頭の中が怒りで真っ赤になる。
俺はギリッと奥歯を噛みしめた。
そうでもしないと、自分の感情を押さえ切れそうになかったからだ。

「早く別れたほうが、いいと思うけどね」
「……あなたには関係ない」
俺が低い声で呟くと、男は面白そうに口笛を吹いた。
俺は男を無視して、歩き出した。
もう、これ以上話す事はできない。
自分の中の怒りを押さえるのに、精一杯で。

男は追って来ない。
それを確かめてから、痛い程握りしめていた拳の力を少しだけ、抜いた。

……こんな気持ちを抱えたまま、立花さんに会って、俺は普通に接する事ができるだろうか。

そんな自信さえもないままに。
俺はようやく辿り着いたヨウさんの店のドアに手をかけていた。



■■■ HANA*HANA25 ■■■

店の中はいつもより少しだけ、ざわついているようだった。
カウンターにはすでに立花さんの姿も、テツさんと夏目さんの姿も見える。
そしてヨウさんが心配げな表情をしている。

……?

俺は異変を感じながら、カウンターへと近付いた。
はじめに俺に気付いたのは、ヨウさん。
俺が来た事を、目で3人に合図している。

「いらっしゃい」
「よう、浅井」
ヨウさんに続いて、振り返ったテツさんがいつもの調子で声をかけてきた。

「……なにか、あったんですか」
俺が問うと、テツさんは曖昧に笑って濁してしまう。

「……お疲れ」
「こんばんわ」
立花さんと夏目さんからも声をかけられ、「どうも」と答えながら、珍しく、立花さんを間に挟んで座っていたので、俺はあいてるテツさんの隣に座った。
まだ心の整理がついていない今の俺にとって、立花さんとのその距離がありがたかった。

「おい、なんだ〜元気ねえな。風邪でもひいたか〜?」
「ひいてないですよ」
俺は無理矢理笑顔を作って答える。

立花さんが俺の方を見ているのが、視界に映る。

……どうしよう。
立花さんの顔をまともに見れない。
あの男の言葉を、否定したくせに、俺は…。

大声でこの人を責め立てたい気持ちでいっぱいだ。

だから。
俺はこの時、気付かなかったんだ。
立花さんの表情が微かに曇っていることに。



バレンタインイベントは、もう少ししてからのお楽しみ(テツさん曰く)らしい。
しばらく他愛のない話をしていたところで。
「浅井、ちょっといいか」
「……はい?」
促されるまま、俺とテツさんはカウンタから離れた。

「一つお前に頼みがある」
声をひそめるテツさん。
どうせロクでもない頼みだな、と瞬間的にテツさんの顔から分かってしまう。

「今度の日曜、カイリの部屋を俺達に提供するのに協力してくれねえ?」

「いやです」
俺はきっぱりと言い切った。

「……お前、カイリに似て可愛くなくなったな〜」
鼻白むテツさんに、俺はムッとなって言い返す。
「テツさんに可愛いなんて言われても嬉しくないですよ。だいたいテツさん合鍵もってるんだから、俺に言わなくてもいつでも入れるんじゃないんですか」

立花さんの部屋の鍵。
俺の…テツさんへの嫉妬の一因でもある。

テツさんが合鍵を持っていることを俺は知っている。
立花さんが留守の時にも勝手にそれを使って部屋を出入りしていることも。

俺はもらえないのに。

テツさん以上の存在になれてないってことを思い知らされる気がする。
合鍵を使う事を許される程、立花さんにとってテツさんが特別な存在なのだと。

ところが。
俺の言葉にテツさんは驚いたらしい。

「え?お前アイツの部屋の鍵もらってないのか?」
「……もらってないですけど」
あなたが持ってるんだから、当たり前でしょう?
俺は心の中で悪態をつく。
しかし。
「俺が持ってたやつが取り上げられて随分たつから、俺はてっきり……」
テツさんは、そこまで言って言い淀んでしまった。
俺が表情を固くしたのに気付いたんだろう。
しまった、というようにクシャリと髪をかきあげる。

……鍵自体にそれほど価値があったわけじゃない。
その鍵を渡されることに意味があると、思っていた。

あの人のなかで、合鍵を持つことを許された存在なのだと。

けれど、俺は。
合鍵さえももらえない存在なのか。
俺は、テツさんをどうしても越えられないのか。
恋人として認められていないのか。

テツさんの元にはもうない合鍵。
立花さんが持っているんだろうか。
俺には渡す程の価値もないと思って?

それとも他に誰か……?

その考えに行きついた途端、頭の中がカッと熱くなった。
不安と怒りが俺を支配しはじめる。


あなたにとって、俺は一体なんなんだろう?

好きだ、と告げられたことさえないことに今さらながらに気付く。

今まで気にもならなかった。
いや、無意識に気にしないでいようとしていたのかもしれない。


……あの人は、本当に俺のことを好きなんだろうか。


ただ寂しさを紛らわす相手が欲しかっただけなんじゃないのか。
俺はただの間に合わせなんじゃないのか。

恋人。

そう思っていたのは俺だけなんじゃないのか。

『キミ、アイツに騙されてんだよ。可哀想に』
さっきの男の声が頭の中に甦る。

その言葉を否定しきれない。

男の言葉が一気に真実味を増した瞬間だった。




「浅井?」
「……すいません。今日は先に帰ります」
テツさんの返事を待たずに、身を翻した。

それから、カウンターに座っている立花さんに向かって歩き出す。

「立花さん」
夏目さんと話をしていた立花さんの腕を俺は背後から掴んだ。
驚いて振り返る立花さん。

「……帰ろう」
有無を言わせぬ口調で言い、掴んだ腕を強引にひっぱる。
引きずられるようになる立花さんにかまわず、俺は立花さんの上着とカバンを手に取る。
隣に座っていた夏目さんも大きな目をさらに大きくさせて俺を見ていた。

「ちょ…ッ」
突然の俺の礼儀なしの行動に、立花さんは口を開こうとして。
しかし、俺の表情を見るなり、なにも言わなくなった。

一体、今自分がどんな顔をしているのか。
そんなこと気にしている余裕なんて、今の俺にはなかった。



■■■ HANA*HANA26 ■■■

無理矢理立花さんを引っ張って、俺は立花さんのマンションを目指していた。
その間、俺達は一言も口を開かなかった。
立花さんも何か言いかけてはやめる。
そんな感じだった。

二人とも黙りこくったまま、ようやくマンションの前へ辿り着く。
立花さんが先にマンションの階段をあがっていくのに続く。
鍵をカバンから取り出す立花さん。
この人が開けてくれない限り、俺はこの部屋の中に入ることさえできない。
俺はそんな存在なのだ。
鍵をあけて、部屋に入った途端、俺は立花さんを背後から抱きすくめた。
よっぽど驚いたのか、手にした部屋の鍵を立花さんが取り落とした。
チャリン、と鍵が床に落ちる音が響く。

込み上げてくる凶暴な気持ちを、俺は押さえる事ができない。
感情に突き動かされるまま、立花さんの身体をかき抱いた。

「ちょ、ちょっと浅井…こんなとこで」
俺は黙って立花さんの首筋に顔をうめる。
「いた…」
噛み付くようにその肌に吸い付き、赤い跡をつけた。
自分のものだ、と。
こんなことでしか印を残せない自分。
この人の心の中までも、こんな風に跡を残せたらいいのに。

あおむけに廊下に立花さんの身体を押し倒す。
玄関の薄暗い光に照らされた立花さんの顔を上から見下ろした。
不安と動揺を浮かべた瞳が俺を見上げている。
俺は組み敷かれても抵抗をみせない立花さんの唇に深い口付けを落した。
「ん……」
小さく立花さんの喉が鳴る。
逃げようとしない舌を捉え、思う存分口腔を蹂躙する。
一寸の隙も許せなくて、深く深く唇をあわせる。
そうしながらも、俺はむしりとるように立花さんの服を剥いで行く。
ぼんやりと浮かび上がる白い肌。
立花さんの手がいつものように、おずおずと俺の背中にまわさせる。
いつもと同じ。
なのに。
どうして。
こんなにも、この人を遠くに感じるんだろう…?

俺は愛撫の手を止め、立花さんの首筋に顔を埋めた。
こんなにもひどい嫉妬で歪んでいるであろう自分の顔をみられたくなかったからだ。
俺は意を決して口を開いた。

「……このあいだのあの男…」
「え…?」
「立花さんと寝たって言ってた」
耳元でつぶやくと、立花さんの身体が途端に強張ったのがわかった。

……こんなこと言って立花さんを責めたところで、過去が変わるわけじゃないとわかっている。
でも、この時の俺は言わずにはいられなかった。


「……アイツに会ったのか?」
俺はそれに答えずに、更に言葉を続けた。
……ずっと。
ずっと心の奥でくすぶっていた。

「テツさんとは…?」
「え?」

「テツさんとも寝たの…?」
「!!」

それがひどい裏切りの言葉だとわかっていた。
けれど、嫉妬にかられた自分を制御することができない。

ガツッ、と鈍い音が自分の肩口からした。
「つッ…!」
その衝撃に俺は眉をしかめる。
見ると、立花さんの拳が打ち付けられていた。

俺は痛みと驚きに、立花さんから身体を離していた。
目に飛び込んで来た立花さんの表情を見て、俺は更に驚いた。

「浅井……お前、そんな風に……」
震えた声。
泣き出しそうな。
それでいて、怒りを浮かべた、今まで見た事ないような傷付いた顔。
小さく呟いた、その先の言葉は続かなかった。
俺を睨み付け、吐き捨てるように言う。

「………そうだよ。俺はテツとセックスした。……こう言えば満足か?」
「……ッ!!」
疑いを持ちながらも。
心のどこかで、「そんなことはない」と信じていたのかもしれない。
けれど、今。
この人の口から肯定されてしまった。

『俺はテツとセックスをした』

……嘘だ。

愕然と沈黙する俺から、立花さんは視線を反らした。

「も…、帰れ……」
立花さんは俺の顔をみようともしなかった。
俺はまるで操り人形のように言われるまま立ち上がり、玄関のドアに手をかける。

未練がましくそっと振り返ると、立花さんは頭を垂れたままで。
ジッと身動きさえとらない。
しかし、全身で俺のことを拒否しているのがわかった。

乱暴にはだけられた服を身に纏う姿が、痛々しく見えて眉をしかめた。
自分が取りかえしのつかないことをしたのだ、とジワジワと脳が理解しはじめる。

こんなの……、強姦と同じだ。

俺は自分のした所業から目を反らし、部屋を出た。
扉の閉まる音が背後で響く。

それが…。
俺と立花さんの心も、扉に隔てられた瞬間のように思えた。



■■■ HANA*HANA27 ■■■

日々は何事もなかったように過ぎて行く。
俺が毎日自己嫌悪や罪悪感、後悔に苛まれていてもだ。


目が覚めて、俺はぼんやりと天井を見上げた。
それから、思う。

今日は、あの人の生まれた日だ。

「浅井くん」
呼ばれて俺はハッと我に返った。
顔をあげると俺の横に立っていたのは佐伯さんだった。
「あ、…はい」
「悪いけどこの書類を閉じるのやり直し」
言われて佐伯さんが手に持っていた書類の束を机の上に置いた。
それは俺がさっき作成したものだった。
「……なにか、間違ってましたか」
「間違ってるもなにも30部とも全部同じ紙面ばっかりで閉じてあったわよ」
「え…」
あわてて書類をめくると佐伯さんの言う通り、めくってもめくっても同じ文面の紙ばっかりが俺の目に飛び込んでくる。
どの束を見ても同じだった。
30枚の 原稿をコピーして30部書類を作成、という簡単な仕事だったのに。
「……すいません」
俺はすぐに頭を下げ謝罪した。
朝から続いてる頭痛のせいか、ズキリと頭に鈍い痛みがはしる。
その痛みと、自分のふがいなさに俺は眉をしかめた。
……こんな仕事さえも満足にできないなんて、今の俺は完全に無能な人間のように思えた。

佐伯さんは、ふう、とため息を漏らすと、心配げな瞳を俺に向けて来た。
「浅井くん、大丈夫?今日、なんだかミスが多いし…顔色悪いわよ?ずっとせきこんでるし、風邪ひいたんじゃない?」
「……いや、大丈夫です」
俺の言葉にも、佐伯さんの顔は晴れない。
「チカちゃんに続いて浅井くんもなんて困るなあ〜」
昨日からもう1人の事務員である中島さんは、見事に風邪をひいて事務所を休んでいた。
だから日に数時間の俺が丸一日バイトに借り出されてるってわけだけど。

「ちょっとごめんね」
佐伯さんはそう断わってから、俺の額に手をのばした。
ピタリと佐伯さんの手が俺の額に触れる。
突然の接触に俺は目を見開いた。

「う〜ん、ちょっと熱があるかな」
唸っていた佐伯さんはようやく俺の視線に気付いたらしい。
「あ、ごめんごめん。つい癖で。驚かしちゃった?」
照れたように佐伯さんは笑って、手を引っ込めた。
「彼氏が身体弱いってわけじゃないんだけど、しょっちゅう発熱するもんだから、つい…ね」
佐伯さんの彼氏は年下で、今大学院の院生なのだという。
しょっちゅうノロケ話や、ケンカ話などを聞かされることもある。
佐伯さんの言う事はもっともだと思うんだけど、その年下の彼氏に俺はいつも同調してしまっていた。
俺と立花さんの間に起きたことは、ケンカなんて生温いものじゃないけど…。
佐伯さんだったら、一体俺のしたことをどう思うんだろう?
恋愛の相談なんてしたことのない俺は、どう切り出したものかわからず逡巡してしまう。
そんななにか言いたげな俺の態度に、佐伯さんは気付いてくれたらしい。
「……そろそろお昼にしようか」
壁にかけてあるまあるい時計を見てから佐伯さんは、そう言って笑った。

佐伯さんは俺を事務所の電話番に残して、コンビニへ昼食を買いに行き、体調の悪い俺の為に消化のいいインスタントの雑炊なんかを買ってきてくれた。
それからなぜか、プリン。
当たり前のように佐伯さんが俺に差し出すものだから、俺はちょっとびっくりした。
「あの…コレ」
「しんどいときってプリン食べたくならない?」
「……いや…」
「えーじゃあ私だけなのかなあ。そういえばカレシには最初驚かれたっけ」
コドモじゃないんだから、と思ったがあえてそれは口に出さなかった。
佐伯さんはうどんを、俺は雑炊に湯を入れ出来上がるのを待つ。
俺はその間を利用して佐伯さんに問いかけた。

「佐伯さんは…その、やっぱり今の彼氏さんと付合う前にも付合ってた人はいたんですよね…?」
「そりゃあ、まあ。あ!浅井くんほどじゃないにしろ、これでもそれなりにモテたんだからね。……大学生時代は」
ムキになる佐伯さんが可笑しくて、俺は小さく笑ってしまった。
確かに佐伯さんは外見もすごく女性らしくて可愛いし、華奢なところなんかは守ってあげたいと思わせる。
すごく気もきくし、合コンなんかではそれなりに人気があったに違いない。
「……その、やきもちとか妬かれた事はありますか?」
俺の質問は意外なものだったらしい。

「……浅井くんの口からやきもち…」
佐伯さんは少し驚いた表情でつぶやき、俺を見た。
「妬かれて困ってるの?それとも浅井君が妬いてる?」
「……後者です」
「へえ〜浅井くんでもやきもち妬くんだ」
「そりゃ…妬きますよ」
「いっつも妬かれるほうかと思ってたから」

ああ…そうかもしれない。

今まで付合って来た女の子達に対して抱く事のなかった感情。
好意を示されて付合いはじめて。
嫉妬されたことはあっても、嫉妬したことはなかった。
でも。
立花さんに出会って、初めて。
俺は、嫉妬心というものを覚えることになった。

「一回だけ、大げんかしたことあるよ。デートしてる時に、偶然昔の彼と会っちゃって。そのこは友達の延長って感じで付合ってたから、懐かしくってつい騒いじゃってね〜。すぐに別れたんだけど、その後カレシがすっごい不機嫌になっちゃって」
佐伯さんが話してくれるのを俺は黙って聞いていた。
「今でもあの人のことが好きなんだろ?って怒鳴ってきたから、私もカチンときて『自分だって私の前に付合ってるコがいたくせに、なんで私ばっかり責められなくちゃいけないの?』って言い返しちゃった。 あんなにやきもちやきって知らなかったから、ちょっとびっくりしたなあ」

決めつけて、話し合う事もしないで、感情的に突っ走って。
俺は佐伯さんの彼氏の気持ちが痛い程、わかった。
好きだから。
不安になる。
嫉妬してしまう。

『俺のこと、本当に好きなの?』

そう、聞いてしまいそうになる。

「そりゃ、私だって彼から同級生の女の子の話とか聞いたりしたら、ちょっと腹がたつし、そんな話しないでって思うけど…でもそんなこと言ってたらキリがないし…相手のことを信じてないってことになるでしょう?」
佐伯さんの言葉は俺の胸に見事に突き刺さった。

そうだ。
俺のとった言動は。
あの人をまったく信じていないものだ。
だから、あの人を傷つけた。

「それで結局…」
「向こうから謝ってきた。私の気持ちを裏切ってごめんって」

裏切り。

俺の胸に重く響く言葉。
あの時の。
あの人の表情はまさにそれだ。
俺の発した心無い裏切りの言葉に傷付いた顔をしていた。
昔関係のあった男とのことを口にし、テツさんとの関係まで疑った。
そんな嫉妬心に駆られて発した己の言葉は、どうやっても取り消すことはできない。

俺はあせっているんだと思う。
立花さんにとってテツさん以上の存在になりたくて。
でも、なれなくて。
その挙げ句に、あの人を乱暴に扱って、傷つけた。

「好きじゃなきゃ付合わないっていうのよ、ねえ?」
佐伯さんが同意を求めてくるけれど、俺は頷くことができない。
俺はあの人の俺に対しても気持ちさえも疑ってしまっているのだから。

でも。
……でも。
佐伯さんの言葉を信じてもいいのだろうか。
少しでも。
少しでもあの人の気持ちが、俺の方に向いていると。
だから俺と付合ってくれているのだと。

「妬きすぎはよくないけど…でも、ちょっとは嬉しかったのよ。ヤキモチやくほど好きでいてくれるんだなあって」
あ〜なんかこういうのって恥ずかしいねえ〜なんて佐伯さんが顔をパタパタと仰ぎはじめる。
普段はそれ以上にノロケ話を俺や中島さんに披露してるってことには気がついてないみたいだ。

「浅井くんも、怒らせちゃったんなら早く謝ること。時間がたてばたつほど、謝りにくくなるもんなんだからね」
「……そう、ですね」
「よしっ、じゃあ今日さっそく実行!」
「え?」
「ここ終わったらカノジョに会って謝る事!」

……そうだ。
いつまでも逃げてるわけにはいかない。
あの人から、決定的な言葉を聞くのを恐れて。
俺は自分のしでかした事から目を背けて逃げ出してるだけだ。

「はい、そうします」
「よしっ!よく言った浅井!!」
励ますように、佐伯さんは笑ってくれた。
簡単に許されるとは思っていない。
でも、このまま前に進まないでいるよりは全然マシだ。
俺はなんとか気合いを入れて、その日のバイトをこなした。

……立花さんに、会いに行こう。



■■■ HANA*HANA28 ■■■

約1週間ぶりに、俺は恋人のマンションを訪れていた。
携帯だと無視される確率もあるので、なんの連絡もしていない。

俺は意を決して、インターホンを押す。
けれど、待っても応答はなかった。
「バイトか…」
きっと帰りは12時近くになるんだろう。
予想していたことでもあった。
俺は緊張でつめていた息を深く吐き出し、通路の壁によりかかった。

ジッと部屋のドアを見据える。

あの人が開いてくれない限り、入り込めない扉。

目の前にあっても、鍵を持っていない俺には開くことができない。
あの人の心と同じだ。
俺を招き入れてくれた。
けれど、いつでもというわけじゃない。
あの人が許してくれた時だけ。
それなのに、鍵をもたない俺は、その扉を無理矢理開けようとした。
傷つけて、当然だ。
あの人が開こうとしてくれない限り、この扉が開くことはないだろう。
けれど。
俺は待つ。
あの人が、またこのドアを開けてくれるまで。
そして、いつか。
この扉を自由に開ける権利が得られるようになったら、いいと思う。


カンカンと階段をあがってくる音が聞こえ、俺はハッと目をあけた。
どうやら少しウトウトしてしまったらしい。
足音は、この階で止まった。
人の気配。
「浅井……?」
名を呼ばれ、俺は顔をあげた。

「お、お前こんなとこで座り来んでなにしてんだよ!?」
あなたを待ってたに決まってる。
当たり前の答えに、俺は小さく笑った。

「……おかえり、立花さん」
「おかえりじゃねえだろ!」
ツカツカと近付いてくる立花さんを出迎えようと、俺は立ち上がろうとした。

……あれ?

しかし、クラリと目眩がして、俺は前のめりに倒れそうになった。
それを慌てて、立花さんが受け止めて支えてくれた。
「大丈夫か?」
「ご、ごめん…」
俺はクラクラする頭を押さえながら、なんとか自力で立ち上がろうとする。

「なんだ、浅井、すげー赤い顔してるぞ!熱あんのか?」
「……ちょっと風邪っぽい、かも」
身体を支えてくれる立花さんの肩にすがる形になりながら、俺はなんとか答えた。
「一体いつから待ってたんだよ?!今、冬だぞ冬!」
弾丸のように立花さんは怒鳴り、俺に話すヒマを与えない。
「とにかく入れ!」
立花さんは片手で俺をなんとか支えながら、カバンの中から鍵を取り出し、部屋の扉を開けた。
促されるまま部屋に入る。
玄関に入った途端、数日前の自分の行為が甦った。
あんなひどいことをしたのに、立花さんは俺に接してくれている。
それが、不思議に思えた。

グイグイと手を引かれ、キッチンを抜け部屋に入ると今度は着ていたコートをむしり取らてしまう。
「立花さん、俺…」
「話は後!さっさとベッドに入れ!」
有無を言わせぬ口調にひるむ俺に、立花さんはすっと手をのばしてきた。
「……めちゃくちゃ熱があるじゃねえか」
俺の額に手をやり、立花さんは声を荒げる。
その触れる手のひらが、とてもひんやりとしていたので俺の方も驚いた。
「……立花さん、なんか体温低くない?」
「バッカ!お前が高すぎンだよ!」
顔をのぞきこんで言う俺に、立花さんはそう怒鳴り返して、俺をベッドに押しやる。
「いいから大人しく寝てろ!ったく、このクソ寒い中、外に突っ立ってるなんて自殺行為だぞ」
「でも…」
俺が言い返そうとすると。
「黙ってろ!今薬買ってくるからな」
すぐに言葉を遮られ、有無を言わせず上から布団をかぶせられた。
それから立花さんは財布とコートをひっつかんで、部屋を出て行った。
ドアの閉まる音が、鈍い頭に響く。
俺は深いため息をついた。

……なんか、これじゃあ立花さんに年下扱いされても文句も言えないや。
勝手に嫉妬して、怒って、乱暴して。
挙げ句に無理して、こうして立花さんに面倒を掛けてる。
あきれられて当然だ。
熱い息を吐き出し、新たに酸素を吸い込んだところで、一緒にふわりと立花さんの匂いがした。
もちろんここは立花さんの部屋なんだし、立花さんが毎日寝てるベッドなんだから匂いがして当たり前なんだけど。
今の俺にはたまらなく安心する匂いだった。
立花さんの匂いにこうして包まれて、久しぶりに立花さんを感じて。
俺は少しだけ瞳が潤んでしまうのを止められなかった。
自分はこんなにも立花さんに飢えていたのだ、と思い知らされた気がした。

どうやら立花さんが薬を買いに行ってくれている間に、俺は意識を手放してしまったらしく、再び覚醒したのはヒヤリとした冷たい感触を額に感じた時だった。
「ん……」
うっすらと瞳を開けると、心配そうな立花さんの顔があった。
「悪い、起こした」
「立花さん…?」
冷たい感触はどうやら立花さんの手のひらだったらしい。
俺の額にあてた手を、今度は頬にあててくる。
「少し起きれるか?薬のんどかないと」
「うん……」
大人しく立花さんの言葉に従って、手を借りながらも俺はなんとかベッドに身体を起こした。
「胃荒らすから、なんか口にしといたほうがいいんだけど…」
何なら食べられそうか、と聞かれ俺はボウッとした頭で考える。
本当は何も食べたくなかったが、立花さんの心配げな顔を見ていると、そうも言えず無理して食べられそうなものを伝えた。
「なんか冷たいものなら…」
「ゼリーとかならいけそうか?」
「うん…」
俺が頷くと、立花さんは冷蔵庫からグレープフルーツのゼリーを取り出して、俺に食べさせてくれた。
結局半分くらいしか口にできなかったが、その後立花さんが買って来てくれた風邪薬を飲んで、俺は再び横になった。

「これで少しは熱が下がるといんだけどな」
不安そうに俺の顔を覗き込んで、優しく俺の額や頬を撫でてくれる。
「……立花さんの手」
「ん?」
「冷たくて気持ちいい…」
俺が目をすがめると、小さく立花さんが微笑む気配がした。
俺は熱い呼吸を繰り返しながら、俺の顔に触れる立花さんの手をそっと捕らえた。
「ごめんね」
「浅井?」
「……迷惑かけて…ごめん」
ホント嫌になる。
こんなに優しくされると余計に。

「ばか、もういいから寝ろ」
「うん…」

もっと大人になりたい。
もっと強く。
もっと頼もしく。
そしてこの人を2度と傷つけることがないように。
少しのことで揺れ動くことのないような強い心と自信を手に入れたい。

今度は俺の髪を優しく撫ではじめた立花さんの手の感触を感じながら、俺は眠りに引き込まれて行った。


■■■ HANA*HANA29 ■■■

「ん……」

目を開けようとして、腹部に軽い重みを感じた。

……?

まだ意識がはっきりとしないまま、俺はなんとかこじあけた瞳をその方向へと向けた。
そこには、俺の腹に顔を乗せ眠っているらしい立花さんの姿があった。
重みの原因は恋人の頭だったのだ。

……立花さん?

身体を起せば、その振動で起してしまいそうだったので、俺はそっと自由になる腕をのばして立花さんの髪に触れた。
触り慣れた、柔らかなネコっ毛の感触。

これが夢ではなく現実だと、俺はそう指先の感触で恋人の存在をようやく実感できた。
そのまま指を頬に滑らせると、恋人の睫毛が小さく震えた。
うっすらと開かれていく瞼。
その視線が俺の手のひらの存在に気付き、そのまま腕を辿り、俺の顔に辿り着く。
そして、俺が目を覚ましているのを確認すると、
「…おれ、ねちまってたのか」
立花さんはつぶやきながら、瞼をごしごしとこすった。
「7時か…」
テーブルの上の時計に目をやって時間を確かめて、また再び俺に向き直る。
「気分は?気持ち悪くないか?」
窺いながら俺の額に手をのばす。
柔らかく触れて来た立花さんの手の平は、昨夜のように冷たいとは感じなかった。
「ん…熱は下がったみたいだな。でも一応はかっとくか」
そう言って、床に転がっている薬局の紙袋から体温計の箱を取り出しはじめる。
今どき珍しい水銀のやつだ。
立花さんは解説書をフンフンと読みながら、体温計を振り、俺に差し出して来た。
「これ、腋にはさめ」
手渡され、言われるまま腋にはさむと、ひやっと一瞬冷たさがはしった。
「今から5分、そのままな」
立花さんは上半身をソファベッドに預け、床に座り込んだ体勢で、まだ少し寝ぼけたような顔をしている。
そして、床には薬局から購入してきたものが散らばっていた。
恋人がほとんど寝ずに看病してくれたのだということが、その様子からも、部屋の様子からもわかった。

「熱下がってたら、ウチに帰れな」
ずり落ちていた冷却シートを俺の頭の横から拾い上げながら、立花さんが言った。
「そんな捨て犬みたいな瞳すんなよ」
俺の顔を見て、立花さんは苦笑する。
一体自分が今どんな顔をしているのか、なんて自覚してなかった。
きっと、随分と情けない表情をしていたのだろう。
「俺んとこよりちゃんとウチ帰って治した方が絶対治りも早いだろうし。それに、お前無断外泊だろ?親御さん心配してるぞ」
立花さんの言うことは至極まっとうな意見だった。
でも。
それが、なぜか突き放されたような気持ちになる。
わかってる。
立花さんが俺の身体に気をつかって、そう言ってくれてることくらい。
でも、今は。
今までのことを謝って、許してもらうまでは、この人のそばを離れたくなかった。

「俺…謝りにきたんだ。この間のこと…」
「……その話は、また身体よくなってから…」
立花さんの言葉に、俺は首を振った。
「俺の行動にあきれてるかもしれないけど…でも、聞いて欲しいんだ」
ジッと見上げる俺に、立花さんは少しだけ目を見張って、それからしょうがないというように、再び床に腰を落ち着けて、俺の話を聞いてくれるようだった。
それを認めてから、俺は安心して口を開いた。
「あの男と立花さんが寝たって知って、カッとなってる時にテツさんから合鍵のこと、聞いて…」
「鍵…?」
「てっきりテツさんがまだ持ってるんだと思ってたら、とっくの昔に立花さんに取り上げられたって言ってたんだ。俺はもらえない存在なのかと思ったら、俺は立花さんにとってなんなのか自信が持てなくなって…。前からテツさんと立花さんが仲の良さにヤキモチやいてたってこともあるけど……だから、あんなこと言っちゃったんだ。……本当にごめん」

俺はもしかしたら。
立花さんよりも、もっと嫉妬深いのかもしれない。
あの男のように、この人に近付く人間は許せないし、この人の過去にさえも嫉妬している。
今までやきもち妬くほど好意をよせる人間がいなかったから、気がつかなかったけれど。
俺はきっと、すごくやきもち焼きなんだと思う。

俺の謝罪のあと、しばらく立花さんは無言で俺を見つめていた。
俺は不安になって、名前を呼んだ。
「立花さん…?」
「……あンなの、ウソに決まってンだろっ」
分かれよ、それくらい!!と突然立花さんが吠え始めた。
「テツとは寝た事なんてないし、キスだってしたことない。そんなこと気持ち悪くてできるかっ」
心底嫌だというように、立花さんは顔をしかめた。
それからキッと俺を睨み付ける。
「だいたいお前、タイミング悪ィんだよっ」
「え…?」
見つめる立花さんの瞳が揺れていた。
ためらいがちに、口が開かれる。
「あの日、浅井がヨウくんの店に来る前に、アイツが来てて…俺にまた声かけてきたんだ。もちろん誘いも断わったし、今は付合ってるやつがいるからって。でもアイツしつこくって…テツが間に入ってくれたんだけど最後はちょっと汚ねえ言葉で罵られちまってさ…。それでヘコんでた時に、浅井があんなこと言ってくるから…」
売り言葉に買い言葉だったのだ、と立花さんは言った。

「お前まで疑ってるって知って、すげーショックだったんだからな」
上目遣いで睨まれて、その瞳が微かに潤んでいる事に気がついた俺は、反射的に恋人の細い身体を抱き締めていた。
体温計が腋から転がっていったけれど、構ってる場合じゃない。
「ごめん…ッ」
心の底から、思いを絞り出すように、俺は謝った。

傷つけたのだ。
俺は。
最悪のタイミングで。

誰よりもこの人を傷つけたくないと思っている自分が、一番この人を傷つけた。
この人はそんな俺を許してくれるのだろうか。

立花さんの腕がそっと、俺の背中にまわされる。
立花さんは俺の首筋に顔を埋め、小さな…本当に小さな声で呟いた。

「俺が好きなのは…浅井だけなんだからな」

一瞬。
時が止まったように気がした。


初めて耳にすることができた、恋人の告白は、熱く俺の心に解けて行く。

聞きたかった言葉。
ずっと。
ずっと。

「……うん」

嬉しさに頷く意外、言葉がでない。
応えなければいけないのに。
口を開けば、不覚にも涙がこぼれ落ちそうで、俺はなにも言わずに立花さんの身体を抱き締め続けた。

「バカ……熱はかれないだろ…」
恋人のとがめる声が耳元で響く。
それでも。
俺は愛しい恋人を抱き締めている腕を解くことはできなかった。

■■■ HANA*HANA30 ■■■

ようやく立花さんに、「誕生日おめでとう」と言えたのは、立花さんに付き添われ家に帰る電車の中でのことだった。

「サンキュ」
と、立花さんははにかむように笑ってくれた。

「ごめん…プレゼントとか用意してなくて…」
「ばか、そんなの気にすんな」
立花さんはそうフォローしてくれるけど、俺は内心自己嫌悪でいっぱいだった。
恋人の誕生日を祝うどころか、迷惑かけて終わらせてるんだから。
本当に、何度謝っても足らないくらいだ。

黙り込んでしまった俺を、立花さんが心配そうに覗き来んでくる。
「しんどいなら、もたれててもいいぞ」
「ん…」
人前でのスキンシップを嫌う立花さんにしては珍しい事を言われ、俺はここぞとばかりにその言葉に甘えることにした。
骨張った肩に、頭を傾ける。
少しだけ立花さんの身体が強張った感じがしたけれど、そのうちそれもなくなっていった。
ポンポンと俺の腿を『大丈夫』というように叩いてくれたのを合図に、俺は少しの間、熱く潤んだ瞳を閉じた。

電車に揺られているうちに、俺はまたウトウトしてしまっていたらしい。
降りる駅で立花さんに肩を揺らされ起された。
俺の身体を気づかってか、立花さんはいつもより俺に寄り添って歩いてくれる。
そんな些細なことがひどく嬉しくて、このままずっと一緒にいれたらいいのに、と思ってしまう。
しかし、バスに乗り換え、十数分もしないうちに、自宅に到着してしまった。


門の前で、立花さんはためらうそぶりを見せた。
「あがっていってよ」
俺の誘いに、立花さんは首を振った。
「お母さん、いるんだろ?…今日はやめとく。それより早く寝て、風邪直せ」
「うん…」
なんだか離れ難くて、俺はぐずぐずとガキくさくぐずってしまう。
「さみーのに、外いたらまた悪化するだろ。早く入れよ」
俺が家に入るのを見届けてから、帰るつもりらしい。
立花さんに促されて、俺はしぶしぶ玄関のドアに向おうとした。
すると。
「あ、そうだ」
思い出したように声をあげ、立花さんはポケットからなにかを探りだし握ると、その拳を俺に差し出して来た。
「2ヶ月早いけど、プレゼントやるよ」
俺はつられて手のひらを差し出す。
チャリ、という金属音と軽い重み。
俺は信じられない思いで、手のひらに落されたプレゼントを見た。
それは、銀色に光る、『鍵』だった。

俺は言葉もなく、手のひらの重みを感じていた。

「だからってアポなしで来ンなよ」

「……ありがとう」

「……俺へのプレゼントは3倍返しだからな」
立花さんなりの照れ隠しなのだろう。
からかうように言う、その表情に。
今すぐ抱き締めて、キスしたいと思った。

合鍵をもらったからと言って、俺がテツさん以上の存在になれたとは思わない。
……でも。
この人は俺を許し、俺に扉を開ける権利を与えてくれたのだ。
こんなにも重要で大切なことが秘められている、小さな鍵。
大切にしなければいけない。
もう2度と扉を閉ざされない為に。

「またな」
「うん。電話する」
「……お大事に」
立花さんが笑って手を振る。
俺は、ためらいながらも玄関のドアを開けた。
振り返り、もう一度恋人の顔を見てから、その扉を閉めた。

「雄大?」
母親がダイニングから顔を出す。
「……ただいま」
「堂々とした朝帰りだこと」
母親の嫌味に俺は苦笑を返しながら、簡単に事情を話して自分の部屋へと向う。

早くよくなって、あの人に会おう。
今別れたばかりなのに、もう次に会う事を考えている自分に苦笑しながら、俺は手のひらのなかの銀色の鍵を優しく握りしめた。


おわり

posted by moi at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | HANA*HANA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

asuraアップしました。

驚いたことに23話のファイルが丸々ない!!
24と25はあるのに・・・
アーカイブ調べたけどなんでか23話からは残ってない。
ホントになんで?
呪いでもかけられてる?

ということで22話までですがアップしました。
少しでも楽しんでいただけましたらウレシイです。
posted by moi at 02:18| Comment(1) | TrackBack(0) | おしらせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

asura第1部



□■□ asura 1 □■□


悲鳴が聞こえた。

安寿はその声で目を覚ました。
悲鳴が立て続けに聞こえ、部屋の外から流れる異様な雰囲気を感じ取り、寝台から体を起こした。

一体何が起きているのだろう。

よくないことであるのは、先程から聞こえてくる悲鳴からもわかりきっている。
様子を窺おうと扉に近付こうとした瞬間、何者かによってその扉が開けられた。

「安寿!」

「銀河?!」

飛び込んできたのは、同じ店子の銀河だった。
その慌てぶりに驚き、急いで銀河へと駆け寄った。

「一体どうしたんだ?何が起こって………」

いつもの銀河らしくなく髪を振り乱し、手には小刀が握られている。

「胡人のやつらだよ!突然のりこんできやがった!下にいた連中はみんな襲われてる」
「胡人が?どうして………」

胡人は、安寿の住む国の領地を執拗に狙う民族だ。
その気質は皆、粗野で野蛮と聞く。
辺境の地にある安寿の街は特に胡人に襲われやすく、金銀宝石や物の強奪をはじめ、人がさらわれ、殺されもした。
しかし国が胡人対策として数年をかけて築いた街の周囲を高く囲む門のおかげで、最近では胡人の襲撃はなくなっていたのだが……。

「そんなことわかんねえよ。おおかたこないだの地震で脆くなった城壁壊して入って来たんだろ。ったく、この店、一番辺境に近いからやつらの格好の餌食だし……。街中襲われンのも時間の問題だろうな。さ、早く逃げようぜ。愚図愚図してるとあいつらに捕まっちまう」

銀河に手をつかまれ、安寿はなかば引きずられるようにして部屋を出た。

ここは男が春を売る店−−−つまり男色の売春宿−−−だ。

安寿もここで体を売るようになって5年になる。
12の時だ。
今、安寿の手を引いて走る銀河もほぼ同時期にこの店にはいった。
親に捨てられた少年が生きて行くには体を売るか、寺に入るしかなかったのだ。
朝廷の後宮に若い女を採られ、女日照りの世の中、男でも体を売るのは良い商売になった。
普通に汗水たらして働くより、確実にいい暮らしができるのだ。
そして、安寿には幸運にも人を魅了する美貌を兼ね備えていた。
漆黒のなめらかな髪に、肌理の細かい肌。
常に潤んだような黒めがちの瞳をふちどる睫毛は長く、まっすぐに整った鼻梁に続く唇はふっくらと柔らかくまるで桃のような色をしていた。
少年から青年に移り変わった今でも、その美しさに変わりはない。

『女であれば、よかったのに………』

幼い頃からそう言われ続けてきた。
女であれば、後宮に入ることができ、何不自由なく暮らすことができるのだという。
しかし、安寿は男として生を受け、どんなに望もうとも後宮に入る事はできない。
同じ男に、女のように身体を開くしかなかった。
店に来る多くの客が安寿を好んだ。
そして、いつしか安寿はこの店の顔にまでなっていた。

「あいつらの目的はあんたかもしれないね」

走りながら、銀河が言う。

「なにか探してるみたいだったから」
「金だろう?強欲なやつらだ」

胡人は金目のものに目がないのだ、と噂に聞いたことがある。

「あいつらも女に飢えてるだろうから、あんたの話があいつらの耳にはいったとも考えられるな」
「お前はどうしても私のせいにしたいのか」
「ははっ、悪い悪い」

冗談を言っている場合ではないことはわかっている。
けれど銀河はどんな状況でも、こうして人をリラックスさせるのが上手かった。
この明るくハキハキとした銀河に、安寿はどれだけ助けられて来たのか分からない。
親友、と呼べるのならば、安寿にとってそれは銀河以外にありえなかった。

悲鳴に混じって、胡人の男達のものであろう下卑た笑い声が階下から聞こえてくる。
ここは3階。店子たちが寝起きをするところだ。
胡人たちがすぐ下まで迫ってきているのだということがわかる。

「逃げ道がなくなったな」

さっきまで軽口をたたいていた銀河が真剣な口調になった。
今階段を使い階下へ行けば、自ら捕まりにいくようなものだ。

「どうする?」

安寿がきくと、銀河はしばらく考え込むようにしてから言った。

「飛び降りるしかないな」
「飛び降りる?!」

驚く安寿をよそに銀河はすぐ側にある廊下の窓を開け、地上までの高さを確認しはじめた。

「あの下の植え込みにうまく飛び降りれたら大丈夫だろう。失敗しても死にはしないだろうし」
「本気で言ってるのか?」
「このまま胡人のやつらに捕まって、犯されて、殺されるよりましだろ」

どうやら飛び降りるしか道は残っていないらしい。
安寿はあきらめて銀河の横に並んで窓から下を覗き込んだ。

高い。

恐怖心から目眩がしそうになり、安寿は目をつむった。

「そうやって目をつむってたら、もう地上についてるよ」

からかうように銀河が言う。

「いくよ」

銀河はきつく安寿の手を握った。
安寿はそれに小さく頷く。
窓枠に足をかけ、ひとつ深呼吸する。
顔を見合わせてから、銀河が先に窓枠を蹴った。

つないだ手にひきずられて、安寿の身体も落下していく。
ほんの一瞬。
落ちて行く感覚を味わっただけで、ふたりは無事に植え込みの上に落下した。
ふたりの重みで木の枝がメキメキと音を立てて折れて行く。



「………大丈夫か?」

体のあちこちが折れた枝に擦れて痛かったが、安寿は平気だと頷いて返した。

「立てる?」
「ああ」

銀河の手を借りてなんとか立ち上がれたものの、安寿の両足は飛び降りた余韻からかガクガクと震えていた。
「早くここから離れないと。まだあいつらの手が伸びていないところまで逃げよう」

銀河は安寿の手をひいて走り出そうとした。
しかし安寿の足は思うように動かない。

このままでは、自分どころか銀河までもが捕まってしまう……!

今の自分は足手まといなのだということを理解した安寿は、意を決して銀河を見た。

「先に行ってくれ」
「何言ってンだよッ。走れないならおぶってやるから!」

安寿はゆるゆると首を振った。

「大丈夫。あとから必ず追いつくから」
「………あんたの大丈夫はあてにならない」

安寿は銀河の言葉に苦笑いを浮かべた。

「お前まで一緒に捕まることない。助けにきてくれて、嬉しかったよ。ありがとう」

「………安寿」

銀河の顔が泣きそうに歪む。
その肩を優しく叩いて安寿は言った。

「早く逃げるんだ。お互い無事だったら、黒門で会おう」

黒門はこの街を囲む四つの門のうちの一つで、安寿たちの店のあるこの場所から正反対の位置にあった。

「………わかった」

銀河は頷き、持っていた小刀を安寿に差し出した。
これで身を守れ、ということだろう。

「必ず黒門で」
「ああ」

安寿は小刀を受け取り、しっかりとその手に握りしめた。
二人は目を交わし、ひとつ大きく頷きあう。

店の中で一番仲の良かった、銀河。
まさかこんな別れ方になるとは思ってもみなかった。
走り出した銀河の背中を見送り、安寿はあたりを見渡す。

ここは店の裏手だ。
目の前には道がなく、高くそびえ立つ城壁があるだけ。
胡人の奴らに気付かれることはまだないだろう。
どうやら火の手があがったらしく、きな臭い匂いが漂ってくる。
そのうちこの店にも火が廻ってくるに違いない。

………せめて、どこかに身を隠さないと……。

安寿が、城壁伝いに続く背の高い雑草に覆われた茂みに目をやった時。

突如、背後から伸びた何者かの手によって、口を塞がれた。

「!!」

「騒ぐのはナシだ」

全身の血がひいていくのがわかった。

引き寄せられ、耳元で囁かれる。
男の声。
上目遣いで見上げたその顔も、ぼんやりとだが男の顔をしていることがわかる。

………殺される……!?

たちまち恐怖が安寿の身体を支配して行く。

安寿は身を震わせながら、それでもなんとか男の拘束をふりほどこうと、手の中の小刀を握りしめた。 しかし。

「……おっと。物騒なものもってるな」

身を守る間もなく、現れたもう一人の男によって小刀は奪い取られてしまった。
 
「………女か?」
「上玉だな」
「親分の好みかもしれねえ。連れてくか」

男達の人数は3人。
安寿を取り囲むようにして、男達が珍し気に顔を覗き込んでくる。
うすがりの中、月明かりだけで安寿の顔を検分し、男達は頷きあった。
どうやら男達は、安寿を女だと思い込んでいるらしい。
口を塞がれたまま、後ろ手に両手を縛られる。

「静かにしてろよ」

安寿の体は軽々と男の肩に担がれた。
男達は城門から侵入して来たのではなく、先日の地震であいた城門の小さな穴より入ってきたらしい。
他にも数カ所同じような穴が開いたが、それはすべて修復されていた。
ここだけは茂みに隠れるように開いていた為、修復の手も伸びないままになっていたのだろう。
人一人ようやく通る事のできる穴を抜けると、そこには男達のものらしい馬が待っていた。
安寿は荷物のようにその馬にのせられた。
続いて男も馬にまたがる。

「行くぞ」

一人のかけ声に、3頭の馬が一斉に土を蹴った。

「あいつら好き放題やってやがる」

男の一人が後ろを振り返って忌々し気に言った。
その言葉になんとか首をひねって、街のほうを見やる。

街が、赤く燃えていた。
街の半分にまで火は広がっていた。
その信じられない光景に、まばたきさえできない。

こんな中で、銀河は無事に逃げる事ができたのだろうか。
それとも、もう辿り着いて、私が来るのを待ってくれているのだろうか。

………一緒に逃げようと、言ってくれたのに。

「余計なことは考えるな。おれたちは偵察に行ってこいと言われただけなんだからな」
「わかってらあ」
「まあ、あいつらの命もあと少しさ」

男達の会話を聞いている限りでは、どうやら胡人の仲間ではないらしい。
では、賊の輩かなにかなのだろうか。
そして、今から一体自分はどこに連れていかれるというのだろう。


………銀河。

親友の顔を思い浮かべ、赤く燃える住み慣れた街を、安寿は見えなくなるまで見続けていた。






□■□ asura 2 □■□


どのくらい走ったのだろうか。
ようやく馬が足を止め、安寿は吐きそうになる程の揺れからようやく解放された。
見ると、固い岩に覆われ高くそびえたつ山があった。

安寿はあの街から一歩も外へと出たことはない。
だから、街の外がどうなっているのか、なにがあるのが。
まったくしらないまま生きてきた。

しかし人づてに聞いた話では、何もない荒れ地が続き、その先には険しい山があるのだという。
そしてそれを越えると広大な砂漠があるのだとか………。

この山が、その……?

安寿は呆然と、目の前に広がる光景を見上げた。

気付けば、その麓には多くの幕舎が建っている。
ここが男達の本拠地らしい。
安寿は担がれたままそのなかの一つへと連れていかれた。

「親分、けえったぜ!!」

安寿を担いでいる男が声をあげる。

「おう、御苦労だった」

若いしっかりとした男の声。
どうやら、この声の主が男達の首領らしい。

「親分に土産だ」

「土産ェ?」

「これだ」

乱暴に肩から降ろされ、安寿は床に転がされた。
両手を縛られたままなので、うまく起き上がることができない。

「女か」

「ああ、なかなかの上玉だぜ」

足音が近付いて来る。
安寿のすぐ側に気配を感じ、安寿は身体を強張らせた。
しゃがみ込んだ男の手によって、あごをつかまれ強引に顔が引き上げられる。

「ほう」

安寿の目に飛び込んで来た男は、今まで見たことのない風貌をしていた。
安寿は驚きに目を見開く。

胡人を思わせる褐色の肌。
そしてこの国の人間とは違う−−−この国に人間は皆黒髪だ−−−金色の髪。
夜も半ば、灯りの少ない薄暗い幕舎の中でさえも、輝いてみえる。

男には明らかに異国の血が混じっているようだった。

男の方も安寿を物珍しそうに見、それから安寿を連れてきた男に向かって言った。

「確かに上玉だ。しかし、こいつは男だ」

「え?!」

驚きの声をあげる部下に、男は愉快そうに笑った。

「考えてもみろ。あの国のいい女はみんな後宮にとられてるんだ。これほどの女が残ってるわけがない。………そうだろう?」

男は安寿の瞳を覗き込んできた。自分に対して問いかけているのだと気付き、こくりと頷く。

「ほらな」

安寿の返事に、得意そうに男は唇の端をつり上げた。

「まあ、女にもちょうど飽きたところだ。男相手もよいかもしれんな」

いまだ衝撃から立ち直れていない部下にそう言い、安寿から手を離すと立ち上がった。

「街の報告は戒に。今夜は御苦労だった。さがっていいぞ」
「はっ」

部下の男達は、男にむかってそろって叉手し、幕舎を出て行った。

「………さて」

声と共に、安寿に視線がむけられる。
安寿は改めて男の姿を見上げた。

確かにこの男には、親分とよばれるにふさわしい風格があった。

見にまとったゆったりとした衣服の上からでもわかる、たくましい体つき。
無精髭に覆われているが、彫りの深い十分に整った顔。
褐色の肌と金色の髪が、殊更この男の迫力を醸し出していた。
よく見ると瞳は青色をしている。
晴れた空のような色の中に、深く濃い意志の強さを感じさせる青がある。
黒い瞳ではない瞳を初めて見た安寿は、恐怖すら感じるほど強い光を放つ男のその瞳から、視線をそらすことができない。

安寿が見て来たどの男とも違う。
容姿も、その雰囲気も、なにもかも。
安寿にとって、初めて目にする男だった。

男は再びしゃがみこみ、安寿の顔を覗き込んでくる。

「名はなんという?」
「………安寿」

問われ、素直に名乗る。
身体も自由にならないこの状況で、この男に刃向かったところでどうなるというのだ。
店でも同じだ。
どんなに手荒に扱われようと、抵抗すれば更に酷い目に合う。
いつのまにか身につけてしまっていた、自分を守る術。

「俺は修羅。みな修羅王と呼ぶ」
「王………」
「お前の国では皇帝とでもいうのか。それと同じ称号だ」

男の説明に、安寿は目を見開いた。
男の言う事が虚言でなければ、この修羅王という男は一国の主ということになるのではないか。

………そんな男が、どうして。

混乱する安寿を余所に、男は安寿に選択を迫る。

「どうする。お前に残された道は二つに一つだ。部下どもに輪姦されるか、俺一人を相手にするか」

沢山の男に身体を乱暴に扱われることを想像して、安寿はゾッとした。
そして、そんな残酷な選択を平然とした顔で口にする男にも。

「どちらを選ぶ?」

答えは決まっていた。

「………貴方と」

安寿の返事に、修羅という男は満足そうに笑う。

「気に入った。頭のいいやつは好きだぜ」

おまけに顔も綺麗なら尚更な、と青い瞳が楽し気にたわめられた。




□■□ asura 3 □■□


一定の間隔で男達の大きな声が聞こえてくる。

安寿はまだ十分に覚醒していない頭で、ぼんやりとその声に耳をすました。

………一体何がはじまるのだろう。
今日は何かの祭りでもあるのだろうか。

ゆっくり脳を回転させ、考える。

そういえば、今朝は銀河が起こしに来ないな……。
いつも毎朝かかさずに起こしに来てくれるのに。

−−−−−そう、銀河は………?

浮かんだ親友の顔に、安寿はハッとして、目を開けた。

飛び込んできたのは、白い六角形に組まれた低い天井。
いつもの見慣れた店の天井ではない。

「あ………」

安寿は身体を飛び起こし、辺りを見回した。
どうやら、幕舎の中であるらしい。
安寿は一人、野営にはむかないであろう柔らかな寝台の上に何も身につけずに横たわっていた。

それに身体が妙にダルい……。
まるで。
まるで、店で客の相手をし終えた時のような………。

ハッと、頭の中を走馬灯のように記憶が駆け巡りはじめる。

突然の胡人の襲来。
銀河との別れ。
燃える街。
駆ける馬の振動。

そして。

まるで獅子のような風格を持った、金色の髪の王−−−−。

「あとはまかせた」

声とともに幕舎の入り口の幕が開かれ、今まさに思い浮かべたばかりのその男が姿を現した。
外の陽が一瞬男を照らし、光り輝いてみえたその姿に、安寿は言葉を失い、固まったまま入ってきた男を凝視した。

「目が覚めたか」

男がフッと表情を緩め、安寿の元へと近付いてきた。
昨夜と同じようにゆったりとした衣服を見に纏っている。
安寿は自分の今の姿に気付き、慌てて、上掛けの布を引き寄せた。
その様子を、男が面白そうに眺めている。

「恥ずかしがる事などなかろう?昨夜はあれほど睦みあった仲だというのに」

からかうような口調で、修羅王という名を持つ男は寝台に腰を降ろした。
ぎしり、と寝台が軽く軋む。
男のあからさまな言葉に、安寿の顔は一瞬にして赤く染まった。
男はクックッと笑いを漏らしながら、言葉を続ける。

「朝飯の時間だ。食べれるか?」
特に空腹というわけでもなかったが、安寿は頷いておいた。
それから、「あの・・・」とおずおずと安寿は身を縮こまらせながら、王に向かって問いかけた。

「なんだ」
「この声は……?」

変わらず幕舎の外から聞こえてくる、男達の低く大きなかけ声。
一体何をしているのだろう。
外の様子がまったくわからない為、そして今の自分の置かれている立場が理解できない安寿は、少しでも情報を手に入れたかった。

「ああ、兵達に鍛練させておるのさ。これをせねば朝飯が不味くなる」

兵達に鍛練。
そういえば、昨夜ここに連れてこられた時、沢山の幕舎を見た。
人の姿はそれほど見なかったが・・・。
多くの兵がここにはいるのだ。

では、なぜ?
この国境近くまで、なぜこの修羅王は兵を引き連れて来ているのだ?

・・・・なぜ?

更に安寿が問いを口にしようとすると。

「まあ、俺は朝飯がわりにお前を食べてもいいんだがな」
「!!」
「どうする、朝から一戦交えてみるか?」

からかい混じりの口調によって、打ち消されてしまった。
男の手が安寿の髪を一房手にすくい、軽く口付けを落とす。
目を見開く安寿の表情を見ると、満足げな笑みを浮かべた。

「食事はあとから運んでこよう。うかつにこの幕舎からは出ぬほうがいいぞ。お前のそのうまそうな尻は兵どもの格好の餌だからな」

そう言い、隠しきれていなかったのであろう、安寿の尻を軽く撫で上げてきた。

「・・・ッ!!」

ぞくり、と身体に走る、官能の余韻。
思わず漏れそうになった声を寸でで押さえる。
安寿が赤い顔で睨み付けると、王は楽し気に大きな笑い声をあげながら幕舎を出て行った。

そうだ……。
私は昨夜、あの男と………。

自分の狂態を思い出し、安寿は耳まで朱に染めた。




□■□ asura 4 □■□


荷物のように担がれていた男の肩から安寿は寝台の上に乱暴に転がされた。
まだ後ろ手に両手を拘束されたままだったが、なんとか身体を捩って起こし、男を見る。
さっきから楽し気に笑みを浮かべた男の体重を受け、寝台が大きく軋んだ。

「男は初めてか?」

問いに、安寿は首を振って正直に答えた。

「まあ、お前のように綺麗な顔をした人間が今までなにもなかったというほうが信じられんか」

男はどうやら安寿の国の様子に詳しいらしい。
女日照りで男を女の変わりにしていることが常識なのを心得ているのだろう。
安寿の答えに、特に嫌悪感を示すでもなく、納得したようだった。
もしかすると、男同士の経験もあるのかもしれない。


「ならば加減してやる必要もないな」

まるで獲物を前にした獣のような表情で安寿は視線を捕らえられ、その瞬間、ゾクッと背筋をなにかが走り抜けた。
見た事のない、深い青い瞳。
吸いこまれ溺れそうになる感覚に、安寿は目眩さえ覚える。

男の大きな手がはだけた裾から侵入し、安寿の太股を撫で上げる。

「ッ……!」

安寿の身体がビクリと跳ねた。
いつにない過敏な反応に、安寿はとまどいを隠せない。

……おかしい。

こんな風に触られることは慣れているはずなのに。


「白いな……」

男の手は高価な陶器にでも触れるように、安寿の皮膚を滑っていく。

「楊の国の女の肌は絹のようだと聞いたことがあるが……まさか男も同じとはな」

男のふらちな指は徐々に這い上がっていき、ついに脚の付け根へと辿り着いた。
その手によって躊躇することなく、安寿の牡の印が探り出される。

「あ……ッ」

思わず漏れた声に、男が喉で笑った。

「どうした?男相手は初めてではないのだろう?このくらいで感じてるのか?」

からかう口調に羞恥を感じ、安寿は下唇を噛み締めうつむいた。

「これさえなければ、お前はお前の国の女王になれたかもしれんな……ああ、皇帝の后……皇后とでもいうのか?」

惜しいことだ、と安寿の牡に肉厚で固く乾いた指を絡ませ、耳元で男が笑う。
親指の腹で敏感な先を円を描くように撫でられ、安寿は必死で声を堪えた。

店の男達は、女のかわりに自分達と同じ性を持つ安寿を抱く。
彼らにとっては、安寿は女のかわりでしかない。
だからこんな風に性器を触られることなど滅多になく、愛撫に慣れていない身体は少しの動きにも過敏に反応してしまう。
それが、たまらなく恥ずかしい。

「なんだ……?気持ちよくなりたくないのか?」

声を耐えている様子の安寿に、男が不可解そうに問う。

気持ちいい?

男との性交の上で、安寿はそんなことを思ったことはなかった。
触れられ、自然に漏れてしまう声。
これが男の言う『気持ちいい』ということなのだろうか。

安寿が応えずにいると、男は更に問うてきた。

「それとも痛みの伴う行為が好きなのか?」

安寿は必死で首を振った。
ただでさえ苦痛を伴う行為なのだ。
これ以上の痛みなど考るだに怖い。

「ならば、声を出せ。我慢することなどない」
「ッ!!」

男の歯がはだけた着物からのぞく胸先の尖りを捉えた。
軽く歯をたてられ、衝撃に開けた安寿の口の中に男の指が入り込んで来る。

「好きなだけ鳴け」

男は安寿の様子がおかしくてしようがないらしい。
安寿の感じる様を見ては、常に笑みを浮かべ、容赦なく安寿の身体を追い上げて行く。

自分の欲望ではなく、客の欲望に応え満足させること。

店ではそう教えられてきたし、安寿は今までその言葉通りにやってきた。

だから。

今までこんな抱かれ方は、されたことがない。

安寿はとまどいが隠せず、うろたえるばかりだ。

太い男の指が安寿の口腔を犯す。

「……あっ、ん……」

無理矢理開かれた唇の間から鼻にかかった甘い声が漏れる。

「いい声で 鳴けるじゃないか」

その声を聞くと、満足そうに笑い、男は指を抜いた。

は……ッ、と息をついている合間に、安寿の唾液で濡れた指がそっと下へと降りていった。
後孔に濡れた感触がし、安寿が我に返ると男の濡れた指が、そのまま内部へと入り込んで来た。

「あぅ……ッ!!」

ツプリと音をたて指の先が安寿の内部に侵入して行く。
襞の感触を確かめるかのようにじわじわと入り込んできた指が、グルリと内部で回転した。
たまらず安寿は高い声をあげた。
それに気をよくしたのか、男は更に抉る指を深くしてゆく。

店では、交わる準備は自らの手でしなければならなかった。
それがどれだけみじめなことか。

しかしこの男はためらうことなく、安寿の身体に準備の愛撫を施す。
安寿は信じられない思いで、男の指の動きを追うしかない。

鉤状に曲げられ2本に増えた指が、内壁を擦り上げて行く。
グイッと強く深く疲れた箇所が、安寿にとってひどく弱い箇所であったらしい。

「ひあ……ッ!」

その刺激で達しそうになった性器の根元を塞き止められてしまう。

「まだ、だ」

至近距離で男がニヤリと口元を歪め、過ぎた快感に身体を震わせる安寿から拘束していた縄をといた。
そして安寿の唾液と先走りで濡らされた入り口に、男の凶器があてがわれる。

……熱い。


あまりの熱さに恐怖を感じ、思わず腰をひこうとした瞬間。
グッと男が身体を進めて来た。

「…………………ッ!!」

声さえも失い、安寿は身体を強張らせる。
慣れたこととはいえ、通常なら挿れる箇所ではないところなのだ。
何度男達に抱かれてきたとはいえ、この感覚にはいつまでたっても慣れることはない。

「キツいな……おい、力を抜け。わかるだろう……?」

男が顔をしかめた。
まだすべて入りきってはいない。
相当、下肢に力が入ってしまっている事を安寿自身も感じ取っていた。
しかし、男は怒るでもなく、安寿の身体をあやすように撫で、胸元に舌を這わせてきた。
胸を弄られ、男の指が挿入によって少し萎れた安寿の牡にまわされる。

「は……ッ、あ」

軽く扱かれ、安寿の身体の力が一瞬和らいだ。
その隙を見過ごすことなく、男は最後まで一気に腰を突きいれた。

「あぅ、ン」

腰が打ち付けられ、深々と男のものが埋め込まれたのがわかった。
ドクドクと身体の奥で、息づいているのが敏感に感じ取れる。

「………動くぞ」

耳元で低い声が囁く。
答える間もなく律動を開始され、安寿は続けざまに声をあげるしかない。

「あっ、あ、あ、あ、ン」

奥の奥まで抉られ突かれ、はしたない声が出るのを押さえきれない。
男の動きは乱暴なようでいて、適確に安寿の感じる箇所を擦り上げてくるのだ。

なにか……。
なにか、今まで感じたことのないものが、すぐそこまで迫ってきている。

安寿は怖くなって、ようやく自由になった腕で目の前の男の背中にしがみついた。
安寿のその手を振りほどくことなく、男の動きはいっそう激しいものへと変わる。

………くる!

そう思った瞬間。
先程指で抉られ、たまらなく感じてしまった部分を男のはり出したところで強く擦られ、安寿はあっけなく達してしまっていた。

「ああ……ッ!!」

びくびくとうち上げられた魚のように、安寿は身体を痙攣させた。
性器からも白い蜜が噴きだし、安寿の白い肌と男の腹部を濡らした。

頭の中が真っ白になる。

後ろで快楽を得たことなど、一度もなかった。
ただ、痛みと苦しさだけで。
店の用意した潤滑剤のおかげで、性交に耐えられてきたようなものだ。

しかし、今。
自分の身体は、嬉々として男を受け入れている。
安寿の内部は今だ男の性器に絡み付くようにひくついているのだ。

荒い呼吸をつぐ安寿を男は満足げに見下ろしていたかと思うと。

「まだ終わってないぞ」

男が喉の奥で低く笑いながら、グッと腰をつきあげてきた。

「アッ」

灼熱の棒に、達したばかりの内部を抉られ安寿はたまらず声をあげた。
力を失った安寿に比べ、内部に感じる男のものは、いまだ固く熱い。
その硬度から、男が達していないのだということがわかる。

加減しない、と初めに言った男の言葉はウソではなかったのだ、と安寿は身を持って思い知る。

男は安寿の身体を軽々とひっくり返すとうつぶせにさせた。
かと思うと、すぐに安寿の腰を引き上げ、まだ硬度を固持したままの性器を突き入れてきた。

「ああ……ッ!!」

内部が喜んでいるのが、わかった。
男を迎え入れるかのように、収縮してその楔を締め付けている。

「すごいな……今まで幾人もの女を抱いてきたが……」

感嘆の声さえ、もう安寿の耳には届かない。

後ろからの刺激で再度立ち上がった安寿のものに男の無骨な手が絡んでくる。
愛撫ではなく、安寿が勝手に達しないようにする為だ。

「だ、ダメ……ッ、も、もう……ッ」

過ぎた快感はツラいだけだ。
安寿は悲鳴のような声を上げ、男に訴える。
指を外して欲しい。
首を捻り、男に哀願の目を向ける。

「もう少し我慢しろ」

安寿の願いを無情にも却下すると、男の動きは更に激しいものとなった。
我を忘れたかの様に、安寿はあられもない声をあげ続ける。
後ろから突き上げられては、すがるものさえない。
安寿は逃げるように、身体を前へとすすめると、追い掛けるようにして男が突きこんでくる。

「………クッ……!!」

「アァ−−−−ッ!!」

ようやく戒めの手が解かれ、安寿は2度目の精を放った。
そして、男が達したのを内部に放たれた熱いしぶきで感じ取ったのを最後に、安寿はついに意識を飛ばしていた。





男との情事をすっかりと思い出した安寿は、あまりの羞恥に顔を覆った。

あ、あんな……。
あんなことを………。

更に熱くなっていく頬の熱さが、手のひらから伝わってくる。   
         
あんな風に声を出す事など、今までの性交では考えられなかった。
常軌を逸していたとしか思えない。
しかも意識を飛ばすなどと、店では言語道断なことだ。

顔から火が出るとはまさにこのことを言うのだろう。

安寿は思い出してしまったあれやこれを振払うように首を振った。

その時、再び幕舎の幕が開いた。




□■□ asura 5 □■□


「あ………」

安寿が振り返ると、そこには盆を持った男が立っていた。
外見は黒い髪に黄色の肌で安寿とほぼ変わらない容姿をしていたが、あの修羅王という男以上に隙を感じさせない雰囲気を身に纏い、寝台の上にいる安寿に視線を投げかけてきた。
その瞳は、冷たい光を放っていた。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、その視線に射すくめられ安寿は見動きひとつとれなくなっていた。

男は安寿のいる寝台へと近付いてくると、側にある台の上に盆を置いた。
嗅いだ事のない、食べ物の匂い。
安寿を鋭くとがった瞳で見下ろし、低い声で命じる。

「食事だ。………服を着ろ」

服………。

言われて、慌てて安寿はあたりを見回すが、昨夜まで自分の着ていた着物は見当たらなかった。

あの時脱がされて………それから?

記憶を辿るが、思い出すことができない。

「………もういい。食え」

男もまわりに服をみつけられなかったのだろう。
あきらめたように、食事を促した。

安寿のほうでも裸のままで食事をするなど、考えられないことだったが。
しかし目の前の男に「服をくれ」とは言い出せず、命じられるままためらいがちに食事の入った盆に手を伸ばした。

「………王も物好きな」

聞こえよがしに囁かれた言葉。
まるで吐き捨てるような口調に、安寿の身体が強張る。

男がどんな眼で自分を見ているのか、怖くて確認することさえできない。

その時だった。

「カイ」

幕舎の扉が開かれ、金色の王が姿を現したのは。

「修羅王」

安寿を見下ろしていた男は、入ってきた王に対し手の甲の上に手を乗せ、敬礼の姿勢をとった。
心無しか、その登場にホッとしてしまう。
安寿は無意識につめていた息を吐き出した。

「すまんな。お前に食事運びなどさせて」
「いえ」
「もう下がっていいぞ。御苦労だった」
「はッ」

王に向って、男は再度叉手し小さく頭を下げると幕舎を出て行った。
一瞬、あの冷たい瞳を安寿に向けて。

やはり………。

よい感情、どころか蔑まれているのがその視線からわかった。
初めてあった人間に、悪意に近い感情を抱かれるほど自分の存在は汚れているのだろうか。
理由もわからず、安寿はただ男の去ったほうを見つめるしかない。

「あの者は戒と言って、俺の配下の者だ」

安寿の不安げな様子に気付いたのだろう。
王は、安寿のいる寝台のわきに腰を降ろすと、そう説明してみせた。

戒………。

自分を射るような冷えた鋭い視線。
まるで汚いものでも見るような、侮蔑さえも込めた。

『王も物好きな………』

吐き捨てられた台詞さえも思い出し、安寿は胸がギシリと大きな音をたてて痛むのがわかった。

………わかっている。
男が男を抱くのは、異常な行動であることぐらい。



「どうした、食べないのか」

王の声に、安寿はハッと我に返った。
手元には暖かな湯気が立ち上る食事。
よく見ると、見た事のない食べ物ばかりだった。
饅頭や団子を大きくしたような固く丸いものに、椀のなかには茶色をしたスープの中に野菜やら肉が浮かんでいる。
安寿の国では使わない香辛料を使っているのか、嗅ぎ慣れない匂いがした。

「早く食べねば、冷めると不味くなる」

せかされるように、安寿は木製のスプーンを手にとる。
しかし、ふと思い出し、スプーンを置くとチラリと王を見上げた。

………自分の格好を見て、なにも思わないのだろうか。

着るものもなく肌をさらした状態で、安寿は食事をしようとしているのだ。
先程の戒という男でさえ、食べる前に服を着ろと言ったというのに。
………それとも、裸で食事をするのはこの男にとっては普通の事なのであろうか。

「なんだ?食べさせて欲しいのか?」

安寿の物言いた気な表情に気付き、的外れな返答が返ってくる。
おもしろがっているのがありありとわかるその口調に、違う、と首を振り、安寿はおずおずと口にした。

「あの………私の服は………」

言われて、ようやく気付いたらしい。

………しかし。
なんとか上掛けを身体に巻いただけの状態の安寿を見、王は事も無げに言った。

「ああ、あれか。汚れていたから捨てさせた」

「捨てた?」

珍しく声を高くした安寿に、金色の王はニヤリと口の端を持ち上げた。
獰猛な獣を思わせる表情だ。

「服など着る必要はないだろう?お前はここで俺に抱かれるのを裸で待っていればいいんだからな」

有無を言わせぬ口調と態度。
安寿はなにも言い返すことができず、顔を伏せた。


そうだ。
自分はこの男に抱かれるためだけに、今、ここに存在するのだ。

逆らうわけにはいかない。
自分の身を守るためには。
今、安寿の命、その命運はこの男の手に握られているのだから。


安寿は黙って、木で作られたスプーンを再び手にとった。


今まで生きていくためになんだってやってこれた。
男に抱かれることさえ厭わなかった。

この男が自分を抱く限り、自分は生きていけるのだ。

………せめて銀河に会えるまで、死ぬわけにはいかない。

安寿はただひとりの親友、銀河の顔を思い出す。

約束したのだ。
無事だったら、黒門で落ち合おうと。

だから。

死ぬわけには、いかない。



スプーンで椀の中の茶けたスープをすくいとり、口の中に入れる。

初めて口にする味だった。
辛い上に苦味があり、普段ならばとても口にはできない代物だ。
国が違えば、食事の味さえ違うのだろう。

「旨いか」

しかし男に聞かれ、安寿は頷く。
こうして食べ物を与えられるだけでも、幸運だと思わなければならない。

生きるために。
銀河に再び会うために。

心の中でくり返す。

そんな安寿の様子を、修羅王の青い眼がジッと見ていた。




□■□ asura 6 □■□


修羅王の言った通り、安寿は裸のまま幕舎の中に閉じ込められ、数日を過ごしていた。
時々扉となっている幕の間から顔だけ覗かせて外を窺うこともあるが、裸のままで外に出ることなどできず、ただ限られた視界の中の風景を見つめるだけだ。
兵士らしき輩が行き交う様子を安寿はしばらく見つめていたが、特に変わらない光景に見飽きて、顔をひっこめると寝台へと戻った。
腰を降ろし、一体何度ついたのかわからないため息をつく。

着るものを奪われるだけで、こんなにもたやすく人の自由は拘束できるのだ。

安寿はそう思い知る。
まるで獣のようになにも身に纏うことなく、晒された自分の素肌。
その身体には無数の情交の痕が散りばめられていた。
それを視界に認め、安寿はすぐに目をそらした。

一所に閉じ込められ、男の性の相手をする。
監禁に近い状態ではあるが、食事は与えられるし、待遇は悪いどころか恵まれているくらいだ。
今の状況は、店に居た時とそう変わらない生活かもしれない。

けれど。

銀河がいた。

店の仲間がいた。
客がいた。

本当の自由ではなかったけれど、街の中を出歩くことができた。

しかし、今は。
この広い幕舎に独り閉じ込められ、男が自分を抱きに現れるのをひたすら待つしかない。
安寿の命をその手に握る男。
金色の獅子のような修羅王と呼ばれる男の現れを。

自分に覆いかぶさる、男の獣のような鋭い眼光を放つ青い瞳を思い出し、安寿は微かに身体を震わせた。

修羅王は安寿の身体を気に入ったらしく、毎晩のようにその身体を抱く。
日が落ちると幕舎に戻ってきて、安寿の食事に付き合い、言葉を交わし、その身体を組み敷く。
修羅王との情交は、激しく淫らで、男との性交に慣れたはずの安寿でさえも最後には意識を手放してしまう程だった。
お預けのように焦らされ、いやらしい言葉で哀願するよう要求されたこともある。
まるでもの珍しい玩具でも見つけたかのように、愉快そうに安寿を抱くのだ。

男の領域の中に閉じ込められ、食事を与えられ、世話をされ、玩具のように扱われ。

まるで、あの男に飼われているようだ、と安寿は思った。


幕が開き、いつものように男が姿を見せた。
いつもと変わらぬ軽装だ。
装飾品さえも身につけておらず、その威厳以外に『王』という称号を顕わすものはない。
不思議な男だ、と安寿は思う。

「今日も大人しくしていたようだな」

修羅王は安寿の顎を引き上げ、満足げに微笑んだ。
まるで飼い犬を誉めでもするように。
その顔を見ていることができず、安寿は睫を伏せた。

男からは、外の匂いがした。
安寿は、遮断された外界と繋がりが少しでもとれたような気がして、その匂いを嗅ぐのが好きになっていた。
閉め切られた部屋の中は自分の気持ちと同じ様に淀んでいるような気さえするから。
すんだ外の空気に触れるこの一瞬が閉鎖された一日の楽しみのようなものだった。

男はいつものように外から食事を受け取ると、自らそれを安寿の元へと運んでくる。
裸で食事をするのはまだ慣れないが、抵抗したところで無駄なことはわかっていた。
大人しく受け取り、暖かな湯気のたちのぼる食事を眺める。
あの時無理して食べていた食事だったが、今ではなぜか粥のようなものへと変わっていた。
味付けも安寿の住まう国とほとんど同じだ。

「旨いか?」

安寿は素直に頷く。
食べ終わるまで王はジッと安寿を見つめている。
なにが楽しいかわからないが、うっすらと笑みを浮かべて。

「お前はものを食べている時でも押し倒したくなるような顔をするな」
「・・・ッ?」

思いもかけない言葉にあやうく口の中のものを詰まらせそうになり、安寿はむせながら王をねめつけた。

「なにを・・・」

その様子にさえクックッと喉の奥で笑われ、安寿は頬を赤らめるしかない。
からかわれているのだということは分かっていたが、所詮安寿の言葉など男にとっては小動物の鳴き声と同じようなものなのだ。
安寿は男に構わず、努めて食事をすることに集中した。

安寿が匙を置き食事を終えたのを見計らい、

「お前に褒美をやろう」

と、修羅王は肩にかけていた上袍を脱いだ。

ピクリ、と安寿の身体が揺れる。
今夜も抱かれるのだ、と警戒する安寿にそれが放り投げられる。

「それを着てついて来い」
「え?」

立ち上がり幕舎の出口で歩みを止めると、とまどう安寿の方を振り返る。

「久しぶりに外に出たくはないのか?」

男が笑う。

外。
外。

外に出れる?

男の言葉の意味をようやく飲み込み、安寿は慌てて首を振った。
男の大きな服にそでを通すと、自分を待つ男の元へと急いだ。




□■□ asura 7 □■□


日が落ち、あたりは暗くぼんやりとしていたが、安寿の瞳には周囲のすべてが新鮮なものに見えた。
数日ぶりに出た外の空気を深く吸い込む。
なんだか体全体が開放されたような気分にさえなる。

・・・前にいる男の手に、自らの首に繋がる鎖が握られているのはわかっているけれど。

それでも、外に出ることができて、安寿にとっては嬉しかった。
そうして安寿が久しぶりの外界を楽しむ間もなく、

「行くぞ」

と、逃げると疑ってもいない男は広い背中を向けたまま、速い歩調で進んでいってしまう。
安寿はその後を、慌てて追い掛けた。

夜の風は少し冷たく、肌寒さを覚えた。
安寿は前合わせを手繰り寄せる。
男の袍は高価なものなのか、なめらかな手触りで、安寿は汚さぬよう裾に気をつけながら慎重に進む。
当然、前を行く男との距離は開くばかりだ。

前方に兵達が見えた。

食事をしているらしく、驚いたように安寿の姿を見ている。

女だ、女だ、と小さく声も聞こえる。

獲物を狙う視線だった。

自分は女じゃないのだから大丈夫だ、と思っていてもやはり身体が強張るのを止められない。

修羅王に言われた言葉を思い出す。

『うかつにこの幕舎からは出ぬほうがいいぞ。お前のそのうまそうな尻は兵どもの格好の餌だからな』

『部下どもに輪姦されるか、俺一人を相手にするか』

王の言葉は決して冗談ではなかったのだ、と思い知る。
修羅王をはじめこの兵たちがここになにをしに留まっているのかは知らないが、女のない生活を送っていることは確かなようだ。

もし。

もし、このまま、あの修羅王が私をここに置き去りにして行ったら・・・。

その想像に、身体にゾクリと悪寒が走った。

夜目にもわかるほど欲望に目をギラギラさせた男たちに、寄ってたかって身体を好きなようにされるのだろう。
たい盆の中へと放り込まれるようなものだ。

安寿は怖くなり、男のそばへと足早に近寄った。
たい盆のなかに放りこまれるより、あの幕舎の中に閉じ込められているほうが、どんなにマシなことか。
自分の運命も命もすべて、本当に目の前の男の手に握られているのだ。
安寿は今、改めてそのことを痛感した。


兵達のいる幕舎の群を抜けると、そこにはかなりの数の馬がつながれていた。
ひときわ目立つ黒毛の馬が、気配に気付いたのか、安寿達のそばへとやって来た。
艶のある、黒い毛並み。
駆け鍛えられたのであろう、そのひきしまった肢体。
馬のことは詳しく無い安寿にも、その馬が別格だということが分かる。

修羅王を主人と認識しているらしく、じゃれつくように修羅王へと顔を寄せくる。

「よしよし」

と修羅王が誉めるように、その顔を撫でる。

一瞬、男がこどものような表情をしたのを安寿の瞳は見逃さなかった。

無邪気な少年のような顔。
そんな表情もできるのだ、と安寿はなぜかホッとしていた。

安寿の視線に気付いたのか、男が馬を撫でながら言った。

「これは俺の馬で、梵天という名だ」
「ボンテン・・・?」

名を呼ばれたのがわかるのか、馬がブルッと嘶いた。
その長い顔先を安寿の方へと向けてくる。
鼻息が顔にかかって、こそばゆい。
まるで黒水晶のように潤んだ大きな瞳には、安寿の姿が鏡のように映されていた。
安寿がされるがままになっていると、今度は髪の毛をはみ始める。

「ひゃっ」

痛みは無かったが、安寿の髪の毛はたちまち馬の唾液でべとべとになってしまった。

「お前、気に入られたようだな」

その様子を見て、修羅王が笑った。
また、こどものような笑い方だった。

その笑顔がなんだか眩しく思え、安寿はなんとなく顔をそらしてしまった。
濡れた髪を撫で付けながら呟く。

「・・・べとべとする・・・」

「気にするな。すぐに洗えばいい」

「え?」

「お前も水浴びに行くぞ、梵天」

修羅王が身体を軽くたたくと、また返事のように小さく馬が鳴いた。

「水浴び・・・ですか?」

「そうだ。お前も久しぶりにさっぱりしたいだろう?」

「・・・・」

確かにここに来てから、身体は拭いて浄めるしかできず、店に居た時のように風呂につかることなどなかった。
ひそかに不快感が漂っていたのも事実だ。
『褒美をやろう』と言った男の今日の突然の行動は、安寿のその思いを汲み取ってのことなのだろうか?

安寿は見上げるほどの位置にある男の顔を見つめた。

・・・・酷いのか、優しいのか。

目の前の男がわからなくなった。


「ほら」

軽々と身体を持ち上げられ、馬の背へと乗せられる。
その高さに安寿は驚いた。
あの時は荷物のように乗せられていたせいで気付かなかったが、こんなにも視界が高くなるものなのだ。
男も続いて、安寿の背後にヒラリと飛び乗った。
厚い胸板が、安寿の背に触れる。

「梵天、頼むぞ」

男が安寿の身体越しに手綱を掴んだ。

「親分、姫さん連れてどこに行くんでさあ?」

ふいに、馬の下から声がした。

「弥勒」

後ろにいる修羅王がその声に反応する。

ミロク・・・?

安寿もその声には聞き覚えがあった。
安寿をここまで連れてきた男の1人の声だ。

「親分が女を連れてた、ってみんな騒ぎはじめてますぜ」

「やはり、奴らには目の毒だったか」

「当たり前でしょう。俺だって、長いこと女を抱いて無い」

見ると、日に焼けた顔をした男が笑っていた。
顔だけでなく、服の合間からのぞくその膚も赤銅色に焼けている。

「みなには、こいつは男だと言っておけ。すぐに戻ってくる」

「わかりやした」

弥勒という男は笑って返事をした。

「早く行かねえと、戒のアニキが血相変えてすっ飛んできますぜ」

「おっと、そうだな。アイツに見つかると厄介だ」

そんな2人の会話が終わった時だった。

こちらに向って走ってくる男の姿が見えた。
闇にとけたような黒髪、均整のとれた俊敏そうな身体。

戒、だ。

「どうやら手遅れらしいですな」

戒のやってくる方向を見やって、弥勒が呟く。
チッ、と安寿のすぐ近くで舌打ちが聞こえた。

「修羅王!一体どこへいかれるつもりです!」

やって来た戒は、かなりの剣幕でそう捲し立て馬上の王をねめつけた。
部下に睨まれた王は、バリバリと金色の髪に手をいれ頭をかく。

「あ〜そこまで、ちょっと、な」

「そこまで行くだけに馬を使うことなどないでしょう」

きっぱりと謂れ、修羅王は言葉につまったようだった。

「王独りで出かけるなど危険です。誰か共をつけてください」

「なに、ちょっと息抜きに出かけるだけだ。危険なことはせん」

「貴方を独りで行動させることほど危険なことはありません!それで今まで何度私が・・・!」

安寿にしか聞こえないくらいの小さなため息が修羅王から聞こえた。

「すぐに戻る。心配するな」

長引きそうな戒の説教を途中で遮り、修羅王は梵天の手綱をひいた。

「王!!」

呼び声を無視して、修羅は馬の腹を蹴る。
勢い良く馬が走り出した。

「わ・・・」
安寿はうまくバランスを取ることができず、思わず馬の鬣にしがみついてしまっていた。
馬の動きにあわせて、身体が上下する。
気を抜けば、馬から転げ落ちてしまいそうだった。

しばらく走ったところで、誰も追ってこないことを確かめると、修羅王は馬の速度を落とした。
ゆっくりとした走りになり、安寿は恐る恐る馬にしがみつく力を抜く。
上体を起こそうとすると。

「落ちるなよ」

男のたくましい腕が、安寿の身体を引き寄せた。
必然的に男に抱き込まれる形になる。

密接する身体。
伝わるぬくもり。

なんだか妙な感じだった。

嫌というほどこの男とは抱き合い、素肌を重ねているのに、今はこの布越しのぬくもりに心臓が高鳴る。
耳元に何度も何度も淫らな言葉を吹き込まれたことさえあるのに、今はどうしてすぐそばで聞こえる呼吸にさえ意識してしまうのか。

わからないまま、安寿は恐る恐る男を見上げた。
月明かりの下、男の青い二つの瞳が、美しい宝石のように輝いて見えた。





□■□ asura 8 □■□


連れられて行った先は、少し山中に入ったところにある、小さな滝だった。
音をたてて落ちてくる水流の下には、滝つぼから水が広がり溜まっており、水浴びにはちょうどいい場所となっていた。
木々の合間からチラチラと月の光が差し込み、滝の水が反射し光って見える。
馬から降りた安寿が近付くと、滝の水は底が見えるほどに澄んでいた。
修羅王が梵天から鞍や手綱を取り、自由にしてやると馬はひとりでに滝へと向って入っていった。
王は衣を脱ぎ、上半身裸になった。
筋肉がつき、ひきしまった男の身体が現れる。
褐色の肌のせいか、ひときわ逞しく見えるその身体に、思わず目が引き付けられてしまうのを安寿は止められなかった。

何度も。

何度も、自分はたやすく組みしかれた。
あの、男らしい褐色の身体に。

「どうした」

声をかけられてからはじめて、男の身体に目が釘付けになっていたことに気付き、安寿はあわてて目をそらした。
その安寿の様子に、なにを誤解したのか男は、口の端を持ち上げる。

「なんだ、脱がないのか?恥ずかしがることはないだろう?」

常にお前の裸を見ているのに。

王の視線はそう言っていた。

ニヤニヤといやらしい笑みを向けられ、安寿は身体を反転させ、視界から男の姿を追いやった。
赤くなった顔を見られたくはなかったからだ。

たった一枚だけ身を守っていた上着を脱ぐと、王にならって木の枝にそれをひっかける。
そして、視線から逃れるように急いで水の中へと身体を沈めた。
安寿の急ぎ様がおかしいのか、男の笑い声が背後から聞こえたが安寿は振り返らなかった。

水は冷たくはあったけれど、それより爽快感のほうが強かった。
安寿は身体を洗い、髪をすすいだ。
ここ数日の汚れが一気に落とされたようで、安寿はその気持ちよさに目をそばめる。

少し離れたところでは、王が梵天の身体を洗ってやっている。
安寿はしばらく黙って、その様子を眺めていたが、さすがに水中の冷たさに耐えらなくなり、ほうと息をついて水の中から立ち上がった。

月の光の下、安寿の白い身体が浮き彫りになる。
それは、まるで絵に描いたような美しい情景だった。
人の目を奪い、虜にするには充分な美しい顔、美しい肢体。
ゆっくりと動くその白い身体が、艶かしかった。

ポタポタと髪の毛から滴り落ちる水滴をうつむき加減に絞っていると、スッと人影が差した。

「安寿」

「あ・・・」

名を呼ばれたかと思うとたやすく腕の中に引き寄せられ、とまどう間もなく王の顔が近付いて来た。

「ん・・・ッ」

ふさがれる唇。
入り込んでくる濡れた生暖かいもの。
歯列をこじあけ、安寿の舌を強引に絡めとる。

安寿は息苦しさに、助けを求めるかのように男の腕に縋った。
そうでなければ、立っていられないほど、身体は快楽に支配されていた。

自分の官能を揺さぶり翻弄したものの正体が、修羅王の舌だと気付いたのは長い口付けが終わってからだ。

安寿はしびれたようになった頭で、ボウッと修羅王の顔を見上げた。

安寿にとって、初めての口付けだった。
そして目の前の男と交わしたはじめての口付けでもあった。

どんなに店で男たちに抱かれても。
そして男たちのものをくわえることがあっても。
今まで安寿は誰にも唇を許したことはなかった。
それは安寿にとって、たったひとつの砦のようなものだった。
しかしそれは拒む間もなく、たやすく奪われてしまった。

唇と唇が触れあいそうになるほど至近距離で、男が囁く。

「ここで、するか?」

いやいや、と首を振っても王はすでにその気のようだった。
固いものが、安寿の下腹部にあたっている。

「あ・・・」

頬を赤く染め、腰を引こうとすると引き寄せられ、更に密着する形になる。

「お前も、同じだろう?」

耳元で低い声で囁かれ、顔を赤くした。

確かに先程の口付けで、安寿の身体も反応していた。
それほど官能を揺さぶる巧みな口付けだったのだ。

「ここも尖ってきている」

「あ・・・ッ」

水の冷たさのせいなのか、興奮のせいなのか。
安寿の固くなった胸の尖りが摘まれる。
擦り上げられ、その刺激に声が上がってしまうのを止められない。

「ん、ん・・・っ」

必死になって刺激に耐える様子に、男が笑う。

「我慢するな、と言っているだろう?俺とお前の他に誰がいる?」

それでも、聞きたく無いのだ。
自分のものと思いたく無い、高く乱れた声を。


安寿の勃ちあがった牡を嬲られ、太い指で敏感な蕾を抉られる。
膝がガクガクと痙攣し、安寿はもう立っていられなくなった。

水の中に座り込む形で、安寿は男の膝の上に乗せられた。

「あ、あ・・・ッ」

水と一緒に熱いものが体内へと侵入してくる。
冷たさと熱さと。
そのどちらも安寿を刺激する。
相反するものに身体を覆われ、おかしくなりそうだった。

「や・・・み、みず・・・が」
「ん?」
「なか、つめた・・・っ」
「冷たい?・・・お前のなかは酷く熱いぞ」

荒い呼吸の合間に、掠れた声で男が笑う。
揺すぶられながら、安寿は必死で男にしがみついた。
そうしなければ快楽の波に飲み込まれてしまいそうで。

修羅王との交わりはいつもそうだ。

我を忘れて、あらぬ声をあげて、男にしがみつくことになる。

自分が自分じゃなくなる。
そんな感じだ。

今までどんな男を相手にしてきても、そんなことはなかったのに。

この男だけ。
この男だけが自分を狂わせる。

安寿はそれが、たまらなく怖かった。








長い交情が終わり、安寿は水辺りでぐったりと横になっていた。
しばらく男も隣でそうしていたが、ふと立ち上がりどこかへ向ったかと思うとすぐに戻って来た。

「食べるか?」

近くの木に生っているものを採ってきたのだろう。
男の手のひらには小さく丸い形をした果物が乗っていた。
差し出された黄色の果実を見つめ、安寿はゆっくりと身体を起こした。

「あ、ありがとうございます・・・」

礼を言って受け取る。
修羅王は一つ頷き、自らもその果実を齧り始めた。

男の採ってきた果実は、甘くいい香りがした。
安寿も一口齧り咀嚼していると、蹄の音がして、振り返るとすぐそばまで梵天が来ていた。

「お前も食べる?」

安寿は手の中の果実を、梵天の口元に持っていってやる。
それはあっという間に梵天の口の中へと消えてしまった。
もっとくれ、と催促のように口を動かされる。
安寿が「もうない」と手の平を広げてみせると、不服なのか前足の蹄をならしてみせた。

「梵天」

主人の呼び声にすぐに反応し、その手の平に果実を見つけると、またくわえ食べはじめる。
安寿にもまた同じものが差し出された。


「梵天はずいぶんとお前のことが気に入ったようだ」

「・・・そうですか・・・?」

主人と同じような扱いを受けているような気がするのだが、それはあえて口にはしなかった。

「初めて会う人間にそんな風に近付くところを初めて見た。俺でさえ、主人と認めさせるまでに一月はかかったぞ」

王の言葉は、安寿には到底信じられないものだった。
安寿の目に、梵天はそんな気性の荒い馬には感じられない。
安寿が触れても嫌がらないどころか、自分から進んで安寿のそばへと寄ってくるのだ。
すぐそばにある真っ黒な瞳を覗き込むと、ブルルッと鼻を鳴らし、安寿へと鼻先を寄せてくる。

「・・・お前のそばにいると安心できることを本能的に理解っているのかもしれんな」
「安心・・・?」
「そうだ。お前のそばにいると、何故だろうな・・・?心が凪いだようになる」

青い瞳に見つめられ、安寿は顔をそらすことができない。

嘘だ。
あんなに荒々しく自分を抱くくせに。

心の中で男の言葉を否定する。
けれど、自分をとらえて離さないその瞳は、虚言ではないと言っていた。

「あ・・・」

声を発しようとした唇をやんわりと塞がれた。

2度目の口付け。

安寿は無意識のうちに瞳を閉じていた。

男の唇からも甘い果実の香りがする。
顎にチクチクとささるものは、きっと修羅王の無精髭だろう。
混乱と快楽に流された初めての口付けと違い、今度はしっかりと男の唇のぬくもり、その感触が触れあった唇から感じ取ることができた。

触れるだけで、男の唇は離れていった。
ひどく、優しい口付けだった。

唇に触れる乾いた指の感触に、そろりと目蓋を開くと、そこには自分を映すふたつの青い瞳があった。

・・・なんて、綺麗な色なんだろう。

安寿はただ、ジッとその色を覗き込むように見つめていた。

風が吹き、頭上の木々が、さわさわと揺れて音をたてる。
急に肌寒さを覚え、安寿の裸のままの身体が震えた。
その動きが合図になったかのように、王は立ち上がった。

「帰るぞ」

「・・・はい」

返事をし、男に続いて安寿も立ち上がる。
腰に鈍い痛みがあったが、それよりも羞恥のほうが先にたったため気にはならなかった。
見つめあっていた時間が、とてつもなく恥ずかしいものに思えてきて、安寿は微かに頬を染めた。

いつのまにか肩にかけられていた男の上袍に袖を通す。
男はゆっくりと梵天の背に安寿を乗せてくれた。

来た時よりも更に速度を落とし、帰路を辿る。
おかげで安寿の身体にかかる負担はそれほどひどくはなかった。
冷えた身体を背後から伝わる男の体温が包み込む。

交わす言葉はなかったけれど。
そのぬくもりが、安寿にはひどく心地がよかった。




□■□ asura 9 □■□


「だめ・・・だめです」

もう朝・・・と拒む安寿の言葉など耳に届いていないらしい。
せっかく着込んだ着物が、あれよあれよというまに剥かれていってしまう。
普段は器用とは言い難い指の、その動きのなんとすばやいことか。
安寿は少々あきれたように、自分にのしかかっている男をねめつけた。

「朝からどうしてそんなに元気なんですか・・・」

さすがに寝起きから一戦交えようとする者など、安寿の過去を振り返ってもいなかった。

「健康的でいいだろう?朝から1発抜くっていうのは」

王とは思えない下品な言葉に、安寿はただひたすらあきれるばかりだ。

「・・・昨夜あんなにしたじゃありませんか」

「足りねえな」

耳元で囁かれた低い声に刺激され、安寿は身を竦ませた。

ただでさえ抱かれ過ぎて敏感になっている身体に、これ以上少しでも愛撫を加えられれば、すぐに快感の波に飲み込まれてしまうだろう。
自分をこんな身体にするまで抱いておいて、それでも足りないなどとのたまう修羅王が信じられなかった。
昨夜も休む暇もなく何度も求められて、最後の方はほとんど意識がついていっていない状態だったというのに。
この男の性欲は、底なしなのだろうかとさえ思ってしまう。


安寿の待遇は少しずつ変化していた。
ようやく着るものが与えられ、いまだ昼間は幕舎の中から出る事は許されていないが、修羅王と一緒ならば許された。
日が落ち始め、王が安寿の元へと戻ってきてからほんの一時。
修羅王は安寿を連れて、梵天のところやその梵天の背に乗ってあの滝まで連れていってくれる。
安寿にとって一日唯一の楽しみだ。
そこで安寿は梵天とたわむれたり、水浴びをしたり、男とくちづけしたりする。
初めてのくちづけ以来、王とはもう何度となく唇を触れあわせた。
修羅王はその度に「下手くそ」と言って、安寿を笑う。
安寿はムキになって舌を絡めるのだが、あっという間に男の舌技に翻弄され腰砕けになるのがおちだった。

そんなやりとりはあったが、安寿は修羅王とのくちづけが嫌ではなかった。

唇が離れ、ゆっくりと目蓋を開けた時。
目の前の男が。

まるで、無邪気な少年のように微笑むから。





「王!修羅王!!」

幕舎の外から戒の怒鳴り声に近い呼び声がした。
あやうく快感に流されそうになっていた安寿はハッと我に返った。

「チッ、時間切れか」

頭上から舌打ちが聞こえる。
男はしぶしぶのように安寿から身体を離し、手早く衣服を身につけた。

「続きはまた今夜だ。今日も俺が戻るまで大人しくしてろ」

「………んっ」

返答する間もなく、くちづけで唇を塞がれる。
舌まで侵入する濃厚なくちづけに、安寿の身体から力が抜けて行く。
離れていった時には、息も絶え絶えな状態となっていた。
その様子に満足そうに笑うと、

「修羅王!いい加減にしてください!」

「今行く!」

安寿を残し、外の声にせかされるまま軽い足取りで幕舎を出ていってしまった。

人の身体を、勝手に煽るだけ煽っておいて………!

中途半端に追い上げられた熱がくすぶる身体で置いていかれた安寿は、剥かれた服を直しながら歯噛みする思いでその背中を見送った。




こうして。

少しずつ。

少しずつではあったけれど、安寿の男への恐怖心がなくなりつつあった。

だから、安寿は失念していたのだ。

自分の命は男に握れられたままだということを。



今日も日暮れ時に連れ出された安寿は、王と共に梵天の元へと向っていた。
行き着くまでの道のり、いまだ兵達の視線には耐えられず、王のすぐ後をぴったりくっついて歩く。

「親分、今日もおそろいで」

ニヤニヤしながら2人を出迎えたのは、弥勒という名の男だった。
普通の兵と同じ格好をしてはいるが、かといって修羅王を『親分』と呼ぶ関係にある以上、ただの兵卒なわけがない。
どうやらこの男は梵天をはじめ馬の世話をするのが好きらしく、外に出る度よく見かけていたのだが、顔をあわせているうちに安寿とも言葉を交わすようになっていた。
安寿をここまで攫ってきた張本人でもあるのだが、なぜか憎めない。
豪快で飄々としたつかみ所のないその性格のせいだろうか。
今日も日に焼けた顔に独特の笑みを浮かべている。

「お前も毎日精が出るな。そんなに馬が好きなら馬と結婚するか?」

「冗談を。でも梵天となら考えてもいいですがね」

なあ、と弥勒が梵天に向って同意を求めると、梵天は大きく鼻息をついたかと思うと、弥勒にそっぽを向き 安寿のほうへと顔をよせてきた。

「………」

「………」

一瞬の沈黙のあと。

「はははははは!」

と修羅王が笑い声をあげた。
続けて弥勒も大きな声で笑い出す。

「俺に似て梵天も面食いのようだ。むさくるしい奴はお断りだと」

「ひでえや。かいがいしく世話してる俺よりも、べっぴんの姫さんを取るだなんて」

どうやら梵天が選んだのは安寿であったらしい。
馬に見初められ、安寿はどうしたらいいのかわらかず、笑いっぱなしの主従の横で、梵天を顔を見合わせるしかなかった。

しばらくそうして笑っていた2人だったが。

「………そういやあ、知らせは来ましたか」

うってかわって弥勒が声をひそめた。

「まだ、だ」

応じる修羅王の声色も先程とは違い真剣味をおびている。

「そろそろ、折れてもいいころだと思うンですがね」

「街があの状態では俺達の介入をしぶるわけにもいかなくなってるだろう。あと少しの辛抱だな」

梵天に触れながら、2人の会話に耳をすましていた安寿は『街』という単語が、安寿のいた街をさしているのだとすぐにわかった。

一体街の様子は今どうなっているのだろう。

安寿は自分の育った街のことを思う。

最後に見た街は赤い炎に包まれて燃えていた。
店もやはり焼け落ちてしまったのだろうか。
店子のみなはどうなったのだろう。

そして。

銀河は。

安寿のたったひとりの親友は無事でいるのだろうか。
無事でいて、自分を待ってくれているのだろうか。

思いを馳せていると、1人の兵が修羅王のもとへと駆け込んで来た。

「修羅王。戒将軍がおよびです」

「戒が?」

たちまち眉がひそめられる。
どうやら、この修羅王はあの戒という男に頭があがらないらしい。

「今度は一体なんだ。また七面倒くさいことをやらされるんじゃねえだろうなあ」

愚痴まじりの口調に、弥勒がへへへと笑う。

「早く行かねえと、こんなところを戒のアニキに見つかったら、またどやされますぜ」

弥勒の言葉に、修羅王は「しょうがない」といったようにため息をついた。

「すぐ戻る。弥勒、こいつを頼んだ」

そして、そう言い残し、兵と共に身を翻す。

こいつ、とは自分のことなのだろうか。

ぼんやり思いつつ、その後ろ姿をしばらく見送った後、安寿は弥勒に向き直った。
すでに手にはブラシを持ち、梵天の躯をブラッシングしはじめている。

「………あの」
「なんだ?」

安寿が話し掛けても、毛繕いの手を止めないまま、言葉を促される。

「今、街は……私のいた街はどうなっているのですか?」

「ああ………。ひどい有り様だぜ、家も店もほとんどが焼け落ちてたなあ」

予想通りの答えに、安寿は悲痛な表情を浮かべた。

「街の人たちは?」

「胡人の野郎どもに殺されたやつも多かったが、生き残ってるやつもあんな焼け野原じゃ地獄だろうぜ」

「黒門のほうには行かれましたか?」

「くろもん?」

「そうです。黒い大きな門です。あなた達にはじめて会った場所と正反対の位置にある………」

「ああ、あのでけえ門か。あれだけは焼け落ちずに残ってたぜ。………それがどうかしたのか?」

「友達を………あの、私と同じくらいの男のこを見かけませんでしたか?」

安寿は銀河の容姿を事細かく説明してみせた。

「………さあなあ」

しかし、弥勒の答えは記憶にないというものだった。
希望がついえてしまったような気がして、安寿は肩を落とした。

「どうしても……友達に会いたくて。無事だってことを確かめたいんです」

「俺に言われてもなあ」

言いつのる安寿に、弥勒は困ったように頭をかいた。

「そういうことは親分に言いな。あんたにメロメロみてえだからよ」

「メ………ッ?!」

思いも寄らない言葉に安寿は目を剥いて驚いた。
それを見ていた男は、ガハハと豪快に笑う。

「そういえば、あんた売春宿の裏にいたな。あの店で働いてたのか」

「………はい」

弥勒の言葉に一瞬身体が強張ったが、安寿は素直に頷いた。

「道理でな。いっくら暗がりっつったって、この俺が女と間違えたぐれえだからなあ。ま、明るいところで見てもべっぴんさんに変わりはねえけどよ。親分があんたを気に入ってるのもそういうわけか」

「………」

意を得たりと納得している弥勒に、安寿は小さく呟く。

「あの人は……修羅王は知らない、と思います。私が娼夫だって、ことは」

安寿の店で習得した性の技巧など、あの男の前ではちっとも役には立たないのだ。
くちづけさえ、下手くそだと言って笑われる。
娼夫だったと言って信じるかどうかは怪しい。

「そうなのか?まあ、知ったって親分は別に気にはしねえと思うがなあ」

「………」

弥勒の言葉を、安寿は肯定も否定もできなかった。

初めて修羅王に抱かれた時。
男に抱かれるのは初めてではないと答えたけれど、それを商売にしていた、とは言わずにいた。

初めは知られてもいいと思っていた。
けれど。

今では知られるのが恐い。

そう思うのはどうしてなのか、自分でもわからなかった。

ただ、あの少年のような笑顔が頭の中を過り、「知られたくない」と心が言う。

王はなにも聞かない。
街で安寿がなにをしていたか。
どうやって生活をしていたか。

でも。
もし、身体を売っていたことを知られたら?



安寿をいらないと、捨てるのだろうか。
冷酷な表情で、安寿をたい盆へと放りこむのだろうか。

男達に輪姦される恐怖よりも。
違う感情が先に立ってしまうのは何故なのだろう。

………自分自身の気持ちが、安寿にはわからないでいた。



「ずいぶんと仲良くなったな、お前ら」

「親分」

はっと顔を上げると、修羅王が戻って来ていた。

「親分の姫さんに手を出す程、俺ァ、命知らずじゃないですよ」

そう言って、弥勒が笑う。

「どうだかな」

「心外な」

弥勒の返答に喉で笑って、王は安寿に言う。

「戻ってメシにするぞ」

安寿は頷いて、王の後に従う。

「またな、姫さん」

まだ馬の世話を続けるのだろう。
弥勒に見送られ、安寿は小さく頭を下げる。

しばらく歩いてから、『姫さん』っていうのやめてください、と言うのをまた忘れたことを思い出した。


食事を終えた後、寝台の上でくつろぐ修羅王に意を決して自分の願いを口にした。

結局、安寿の願いを聞き届けてくれる人物は、目の前の男以外にいないのだ。

「友達を探しに行きたいのです」

「友達ィ?」

安寿の言葉に、男は少し眉を顰めた。
そんな男の態度にひるみそうになったが、安寿はなんとか言葉を続ける。

「街で、胡人たちに襲われたときも助けてくれたのです。お互い無事だったら黒門で落ち合う約束をしていて……きっと私を待っていてくれるはずだから……」

「なにもお前が行く事はない。部下に見に行かせる。それでいいだろう」

話は終わったとばかりに、修羅王は安寿の身体を引き寄せた。

「修羅王……!」

その手から逃れようとして、安寿は慌てて身を引こうとした。
まだ話は終わっていないのだ。
しかし、そんな安寿の動作が男の勘に触ったらしい。
引き寄せられる変わりに、驚くような速さで男の大きな手が安寿の顎をとらえた。

「お前は俺のそばを離れるな!!」

男は牙をむきだしにして言い放つと、乱暴に安寿から手を離した。
衝撃に体のバランスを崩した安寿は、寝台の上に倒れ込む形となった。

「わかったな!」

男は寝台から降りると安寿に背を向け、足音高く幕舎から出て行った。
取り残されてた安寿は呆然とその背中を見送った。

その夜、男は安寿のいる幕舎へ戻ってくることはなかった。




□■□ asura 10 □■□


幕舎の布越しに、朝の光りが差し込み、ようやく安寿は朝が来た事を知った。

・・・戻ってこなかった。

男が姿を消してから、一度たりとも動くことのなかった幕舎の扉を安寿は呆然と見つめていた。

一晩中、修羅王が姿を現すのを待っていた。
男が、戻ってきたのかと思って、外の音にさえ敏感に反応していた。
けれど。
夜が明けても、男が姿を見せることはなかった−−−−。

『お前は俺のそばを離れるな!』

うなり声のような男の言葉を思い出す。
牙を剥き出した獣のような表情。
安寿をおびえさせるには充分だった。


どうしてあんなにも修羅王は怒ったのか。
安寿にはその原因がわからない。
なにが男の気に触ったというのだろう。
ただの玩具のくせに、身の程知らずにも我侭な願いを口にしたから?

ただ、銀河を。
友達を探したいと言っただけなのに。

自分は、思い上がっていただろうか。

だから。
忘れそうになっていたのだろうか。
自分の立場を。

考えてみれば、自分は願いを口にできるほどの立場ではない。
男であるという珍しさを買われて、性欲の処理の為だけに存在する。
弥勒はなにか誤解しているのだ。
それほどあの男にとって、自分という存在は重要でも大切なものでもないのに。

あの男の気分を害してはいけない。
安寿の身体も命も、すべてはあの男の手の中なのだ。

もう。

もう安寿のもとへは、やってこないのだろうか。
このまま飢えた兵達に投げ与えられるのだろうか。
下手をすれば、殺されるかもしれない。

許しを請わねばならない。

銀河に会う為に、殺されない為に。

・・・そして。

男の笑顔が一瞬、安寿の頭を掠める。


決して銀河や保身の為だけではない気持ちが、安寿にそう思わせていた。


靴が見当たらなかったので、安寿は素足のままで外に出た。
出てはみたものの、普段男がどこにいるのかわからない。
弥勒に聞けば知っているだろうか。
安寿は馬たちのつながれている場所へと足を向けた。

いつものように兵達の姿は見当たらなかった。
かわりに規則的に沢山の大きな声が聞こえてくる。
朝になるとよく耳にする声だ。

やがて、兵達が鍛練している光景が目に入ってきた。
列を乱す事なく、指揮官のもと機敏に動き声があがる。
統率のとれた兵隊であることが、素人目にもわかった。
あの修羅王という男は、この兵達を率いているのだ。
そう思うと、少し怖くなった。

安寿はその光景をしばし、ぼんやりと眺めていた。

「そんな姿で陣内を出歩いて、兵士達に襲われたいのか」

冷たい声に安寿は声のする方を振り返った。
剣を携えただけの軽装で、戒が立っていた。
声と同じ、いやそれ以上に冷酷な気配を浮かべた目で安寿を見つめている。

「修羅王に言われなかったのか。幕舎から出るな、と。それとも王だけでは物足りなくて男漁りにでも出てきたのか」

あまりの言われように、安寿は返す言葉さえ見つからなかった。

「そんなつもりは・・・」

「ないというのなら、さっさと幕舎へ戻るんだな。ただでさえ女に飢えている奴らばかりだ」

確かに今の安寿は薄い着物ひとつに上に少し厚手の上着を肩にはおっただけの格好だ。
そのうえ、自分の容姿をかんがみても、挑発していると間違われても言い訳はできなかった。

「申し訳ありません・・・!」

はだけていた胸元の着物をかきあわせ、顔を伏せながら安寿は足早に戒の横をすり抜けようとした。
その腕を急につかまれる。

・・・・・なに。

驚いて安寿は戒の顔を見上げた。
その表情は先ほどからひとつも変化を見せていない。

「・・・なにか・・・?」

訝し気な瞳に、ようやく戒は笑みを浮かべた。
口の端だけをあげた、嘲笑のような笑みだった。

「せいぜいあの方に可愛がってもらうがいい。いつまでもつか、わからんが、な」

蔑むような言葉に、安寿はカッとなり、

「離して下さいッ!」

声を荒げて戒の腕を振払っていた。
睨み付けられても戒は不敵な態度を崩そうとしなかった。

「・・・ッ!」

自分を馬鹿にしているのはあきらかだ。
安寿は拳を握りしめ、戒に最後の一瞥をくれると踵を返した。

駆け出すと、裸足の足に痛みが走った。
けれどかまわずに。もといた幕舎にむかってひたすら駆けた。
戒の、あの自分を蔑む冷たい視線がどこまでも追ってくるような気がして。

彼が自分によい感情をもっていないことは、薄々感じていた。
しかし、こんな風に直接嘲られるとは思ってもみなかった。
彼は男である身で男に抱かれている安寿を許せないのだ、きっと。
いくら女日照りだからといって、すべての男が同性を性的対象にみることはできないだろう。
拒絶されることがあって当たり前だ。
けれど物心ついたときから店で身体を売り、男相手に商売をしていた安寿はこんな風に嫌悪をあらわにされたことはなかった。
店にくる人間はすべて男を抱くことを了承しているものばかりだったのだから。

安寿が受けた初めての拒絶・・・いや、侮蔑は心に大きな衝撃をもたらした。
どうしようもなく、胸が痛い。
その胸の疼きが、涙にかわりそうになり安寿は唇を噛み締める。
ふいに頭の中に、あの金色の獅子のような男の顔が浮かんだ。

会いたい・・・。

あの男に、今すぐに会いたいと思った。

怒り、安寿のもとにあらわれなかった男。

捨てられるかもしれない。
殺されるかもしれない。

けれど、今の自分のこの胸の痛みを癒せるのはなぜか彼しかいないような気がした。



夜になり、不安で胸が押しつぶされそうな思いで安寿は幕舎の扉を見続けていた。
聞き覚えのある声が、外から聞こえてきた時には、驚くくらい身体が反応していた。
幕が開き、男が姿をみせる。

「あ・・・・」

沈痛な面持ちで安寿は寝台から立ち上がった。
修羅王は、なにごともなかったような顔で、安寿の元へとやってくる。

「今日もいい子にしてたか」

いつものように外の匂いを纏い、いつもの台詞にいつものくちづけ。
普段すぎる修羅王の様子にかえって安寿のほうが拍子抜けしてしまった。

「あ、あの・・・」

「なんだ?」

怒っていたのでは?と聞く事もためらわれ、安寿はただただ男の顔を見つめるしかない。

「ほら、裸足で歩くな」

軽々と脇を持ち上げられ、寝台に降ろされる。

「ん?なんだ、お前。足が真っ黒じゃねえか。外に出たのか?」

昼間裸足で走ったせいで、かなり汚れた安寿の足裏を見て、男は驚いたようだった。
その声には、『外に出るな』という言い付けを守らなかった安寿への非難も混じっていた。

安寿は素直に頷いた。
それから呟くように言った。

「あなたに会いに行こうと思って・・・」
「俺に?」

安寿はもう一度頷いてみせた。

「昨夜から俺はここにはいなかった。つい先刻帰ってきたところだ」
「そう、だったんですか・・・」

男が戻ってこなかったのは、自分が原因ではなかったと知り、安寿はホッと息をついた。

「どうした。俺がいなくて寂しかったのか」

「!! ちッ、違いますッ!!」

からかい混じりの台詞に、安寿は真っ赤になって否定した。
王がクックッとおかしそうに笑いをこぼす。

「待ってろ。今湯をもってきてやる」

修羅は外から人を呼びつけて湯の用意をさせた。
そして湯を持って来た者をサッサと追い出すと、寝台に腰掛けている安寿の足下に跪いた。

「足を出せ」

え?と驚く安寿の足を引っ張り、湯の入った桶につけさせる。
まさか修羅王自らに洗われると思っていなかった安寿は慌てた。

「足くらい自分で・・・!」

「いいからお前は座ってろ」

修羅王の身体を押すはずが、反対に押し返されてしまい、安寿はされるがままになってしまう。
仮にも王と呼ばれ、その威厳さえ感じる男に足を洗ってもらうなどと到底考えられるものではない。
なにかとつけて、抗おうとする安寿に、修羅王は洗う手を止めずに言う。

「俺がしてやりたいと思っているのだから好きにさせろ」

「・・・私は止めましたからね」

唯我独尊な修羅王の言う事は絶対なのだ。
抵抗をあきらめた安寿はため息をつきつつ、おとなしく修羅王のされるがままになった。
修羅王の大きな手が丁寧に自分の足を浄めてくれる。
暖かなお湯とその修羅の手の動きに誘発され、安寿は徐々に緊張を解いていった。
こんなところを戒などに見られたら、一体どんなことになるのか。
それを考えると気が重くなる。
ただでさえ昼間あんなことがあったばかりなのだ。

あの視線には耐えられない・・・。

「ほら、きれいになったぞ」

「・・・ありがとうございます・・・」

王の手が離れ、安寿は素直に礼を口にする。
得意げに男は笑った。
まるで少年のような表情に安寿の心は和む。
少年の無邪気さと王の威厳を持ち合わせた不思議な男。
昨夜あんなに怒りの表情を見せていたのに、今ではこんな風に無邪気に笑う。

「礼の言葉はいらん。膝を出せ」

「え?」

ためらう安寿をよそに、さっさと安寿を寝台の中央に座らせるとその膝の上に頭をのせゴロリと寝転がった。
膝枕、というやつだ。
突拍子のない言葉に、面喰らう。

「なんだ」

「いえ・・・」

なんでもない、と首を振って安寿は膝の上の王の顔を見つめた。

髪と同じで金色の眉、そして目をふちどる睫さえも金色をしている。
意思の強さを現すように目尻にむけて斜め上がりにまっすぐ伸びた眉。
高く整った鼻筋。
少し厚めの唇は肌の色より若干薄い色をしている。
全体的に彫りの深い顔のつくりだ。

こんな風に男の顔をまじまじと見たことなどなかった。
いつも機嫌ばかりを気にしていたから。

少しウェーブのかかった金色の髪にそっと触れてみた。
撫で付けるように、髪をすく。
柔らかい髪質。
安寿のまっすぐで黒い髪とは重ささえ違うような気がする。

そうしていても、男からの抵抗はみえなかった。

安寿はそのまま、柔らかな髪の感触を楽しんだ。

「安寿」

名を呼ばれ、気が付くと男がまっすぐに安寿を見上げていた。
目をそらすことができず、安寿はの青い瞳を見つめ返す。

「俺が怖いか」

男の唇から溢れた言葉に。
一瞬のためらいのあと、安寿は首を振って答えた。

「嘘をつけ。お前の俺をみる目はまるで猫においつめられた鼠のようだぞ」

お前の心情などお見通しだ、と小さく笑う。

「一体俺のなにが怖い?この目か?この髪か?この身体の色か?」

そのどれにも安寿は首を振った。

男の容姿を怖いなどと思わない。
初めはその慣れない異形さと迫力に恐怖は感じたものの、見慣れはじめた今では綺麗だと、心底思う。

空のような海のような角度によって深みの変わる青色の瞳も。
日にあたるとまるで獅子の鬣のように見える黄金の髪も。
その強靱な身体をさらにたくましく見せている褐色の肌も。

白と黒しかない自分の姿形よりも、よっぽど魅力に溢れている。


「ならば、なんだ?なにを怖がっている?」

安寿は答えない。
答えることなどできない。

「・・・その身体を売っていたことを知られることか?」

「・・・!!」


安寿の身体がこわばった。
目を見開き、すべてを知り尽くしたように思える男の顔を見返した。

知っていた・・・?

血の気がひくとはこのことをいうのだろう。
指先から全身が冷たくなっていくような感覚。
ただ心臓だけが、熱をもち激しく脈打っている。

この男にだけ、この男にだけは。
知られたくなかったのに・・・!!

「お前を抱いた時から薄々は感じていたことさ。男に抱かれ慣れた身体だと。でも、真実の快楽は知らなかった。俺がお前に初めて性交の快楽を教えてやった。・・・そうだろう?」

そうだ。

男の言う通り、安寿は体を重ねる行為の上で、快楽など感じた事はなかった。
生きる術として、ただ身につけただけの行為。
しかし、この男に抱かれて、それは変わった。
濃密な愛撫に淫らな声をあげさせられ、激しい性交に意識を失った。
狂うのではないかと思う程の、快楽。
それを安寿に教えたのは、まぎれもない目の前の男だ。

「お前はもう俺のものだ。そうだな?」

返答など必要としていない口調。
絶対的な王の言葉。

「俺以外の人間に身体を許すな。その唇もだ」

男の指が安寿の唇に触れる。

「これからは俺だけを受け入れろ」

吸いこまれそうなほどに、青い瞳から目が逸らせない。

修羅王だけ。
目の前の男だけ。
そうすれば、この男のそばにいてもいいのか。
ずっと。
ずっと?

『せいぜいあの方に可愛がってもらうがいい。いつまでもつか、わからんが、な』

昼間の戒の台詞と、侮蔑のこもった目を思い出す。

・・・戒の言う通り。
いつかは捨てられる時がくるかもしれない。
自分はただの性の玩具で、変わりはいくらでもいるのだ。

けれど、王自身が言った。

『お前は俺のものだ』
『俺だけを受け入れろ』

と。

男が自分に飽き用無しになる、その時が訪れるまでは。
この男のそばにいてもいいのだ。

わずかな胸の痛みと仮染めの安心感。
いつかは幻のように消え去るだろう。

それでもいい。
この男は、安寿がそばにいることを許してくれた。

「はい・・・」

安寿は頷いていた。

男のそばにいたい。
そう心から思った。

「ならば、俺に誓え。その唇で」

催促のように、軽く安寿の髪がひっぱられる。
促されるまま、安寿は背中を丸め、男の唇に自分のそれを近付けた。

「ん・・・・ッ」

触れあうぬくもり。
唇を、歯列を割り、やすやすと入り込んでくる男の舌。

体勢に無理があって、長くはなかったが濃厚な口付けをされ、安寿の頭はすぐにボウッと白んでいく。
男の手が伸びて、安寿の濡れて赤くなった唇を拭った。

「お前は本当に口付けが下手くそだな・・・」

「・・・」

笑われても、言葉を返す事ができず、ただ濡れた唇をなぞる指の感触だけを感じる。

ふいに。
その手が離れたかと思うと、王の視線が幕舎の扉へと注がれた。

外に人の気配。

「修羅王。楊から使者が」

戒の声だった。

「用向きは」
「胡人征伐の理由により、街での駐屯を許可するとのことです」
「・・・そうか。すぐ行く」
「はっ」
「ふん、せかしたかいがあったな」

戒が立ち去るのを見届けて、男は鼻を鳴らした。
安寿の膝から体を起こし、あぐらをかく。


・・・胡人征伐?
街での駐屯の許可?


思い掛けない言葉に、安寿は説明を求めるように王を見た。
ニヤリ、と唇の端が持ち上げられる。

「お前のいた街に戻るぞ。俺も一緒にな」

そうしてまたこどものように笑った。


第1部おわり。

























posted by moi at 02:14| Comment(0) | TrackBack(0) | asura | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

asura第2部

□■□ asura 11 □■□


翌日から修羅王は兵達を率いて、安寿のいた街へと移動を始めた。
物音で目が覚めた安寿が外を覗くと、無数にあった幕舎は綺麗に取り払われた後だった。
兵達もいつになくせわしなく動いている。

『お前のいた街に戻るぞ。俺も一緒にな』

王の言葉が頭をよぎる。

よくはわからないが、胡人を征伐する為に安寿のいた街で今度は陣をかまえるらしい。
確かに安寿の国『楊』で、胡人による被害が最も酷いのは、国のはずれに位置し、胡人の支配する地域に隣接した安寿たちの住む街だった。
どんなに城壁を強固にしようと、警備兵を強化しようと胡人たちは軽々と門を飛び越え、城壁を壊し、安寿たちの街を蹂躙した。
食べ物、衣服、宝石、金に銀、ありとあらゆるものを盗み、人をさらい、殺しもした。
安寿も一度だけ、胡人に殺された警備兵の死体を目にした事が有る。
血にまみれたその亡骸を見て、誰もが言う通り胡人という民族は野蛮で残酷な者達なのだと再認識した。
胡人たちの住む地帯は、気候も悪く穀物も育たない広大な荒れ地が広がり、とても人間の住むようなところではないらしい。
だから安寿たちの街を襲うのだという。
ここ数年でその被害は更に悪化し、このまま胡人達に侵略されるのではないかという不安が街の住民達の間に広がりつつあった。
楊の首都にもそれは伝わり、街を囲む城壁を更に高く厚くすることによって胡人の襲撃を防ぐ案が出され、実行に移された。
それから城壁は、一年近くかかって増強された。
いくら胡人達でも軽々とは入り込めないであろう、壁の高さ、頑丈さ。
しばらくは胡人達の襲撃も途絶えたかに思えた。
しかし、その安心もつかの間。
たった一度の地震で脆くも崩れた城壁。
もしかすると、その後の修復も完全といえるものではなかったのかもしれない。

結果が、あの火の海だ。

街を離れる時、最後に目にしたあの真っ赤に染まった街が頭に焼き付いて離れない。
見慣れた街が、住み慣れた街が、赤く燃えていた。
想像だにしなかった光景。

なぜ、あんなことになってしまったのだろう。

城壁を壊すような地震さえなければ。

胡人さえいなければ。

街は燃えることなどなかった。
安寿も、あの店で、銀河や他の店子たちと共に変わらず身体を売っていただろう。


この王にも………出会うことはなく。



安寿がそっと視線をあげると、見た事も無い青い水晶玉のような瞳がまっすぐに前方を見据えていた。

安寿はあの街にいて、自分と同じ人種しか目にしたことはなかった。
排他的な国柄のせいもあるのだろう。
閉ざされた街の中で、胡人だけが異なる者だと思っていた。


だから。

こんな青い瞳をした人間がいることなど知らなかった。
こんなにも眩しい髪色をした人間がいることなど、知りもしなかった。

美しく、眩しい、異国の王。

この美しさに出会えたことは幸であるのか、不幸であるのか。


「なんだ」

視線を動かす事なく、男が口を開いた。
ぼんやりと男を見上げていた安寿は、そうして視線があったことで、ハッを我に帰った。

「そんな物欲しげな目で見やがって、昼間から抱いてほしいのか」
「ち……ッ!違います!!」
「おっと、あんまり動くな。落ちるぞ」

傾いた安寿の腰に男の太く固い腕が巻き付けられた。
喉を鳴らして、男が笑う。
からかわれているのがわかり、安寿は頬を赤らめた。

なぜか安寿は王に背後から抱き込まれる形で、梵天に乗っていた。
移動の際、問答無用で体を抱き上げられ、乗せられてしまったのだ。
安寿に拒否権などあるわけがない。

背後から突き刺さる戒の視線が痛くてたまらない。

梵天に揃って乗った安寿と王の姿を見、戒は目をつり上げてやって来たかと思うと案の定そのまま安寿を引き降ろしそうなほどの剣幕で抗議しはじめた。

一体何を考えてるのだ、とか。
遊びに行くのではないのだ、とか。

安寿を睨み付けつつ、王にむかって捲し立てる。
しかしそんな戒の剣幕にも動じる事なく、王は飄々と右から左へと聞き流しているようだった。
いつもの小言だ、とでもいうように。
その上。

『こいつはひとりじゃ碌に馬に乗れやしないんだから、しょうがないだろう』

そんな風に安寿のせいにするかのような火に油な発言もしてみせたりして。

確かに王の言う通りではあるのだが、なにも自分を言い訳に使わなくても……と、戒の更に尖った視線にさらされて安寿はひたすら居心地の悪さを味わっていた。

王はいつものような軽装ではなく、細やかな金銀赤の刺繍のはいった黒い上袍を着、首と腕に鮮やかに光を放つ装身具を身につけていた。
いつもは無造作にまとめられている金色の髪も、綺麗にまとめられている。
顎と頬にかかる無精髭はそのままではあったけれど、『王』という選ばれた存在だという威厳がますます醸し出されていた。

出発間際に服を着終えた安寿には、日射しにやられない為だと言って上半身を覆うほどの長さの布を頭からかぶせられた。
目だけを出した状態だ。
王のいる国ではこれを身に纏うことが正装の一部であるらしい。
薄い桃色がかったなめらかなそれは高級な絹で作られたものだということが、その手触りからも分かる。
その感触を指先でひそかに楽しみながら、安寿は先に広がる光景に目をやった。
乾いた風が吹くだけで、なにもない荒野がただただ広がっている。

風に揺られ、衣ずれの音が耳元でシャラリと鳴った。





日が高いうちに修羅王たち一行は街へと辿り着くことができた。
街の外観をよく見た事のなかった安寿は、高く聳え立つ外壁、そして黒光りする門を初めてみるような瞳で見上げた。
閉ざされた門からは、内側にいては感じられない異様な威圧感さえ感じた。

街には東西南北に4つの門があり、黒門はそのなかでも一番大きな門だ。
皇帝を迎え入れる門として作られらしく、都のある北に向って開閉できるようとりつけられている。
他の門とは違い滅多に開くことはない。

「まるで要塞だな」

頭上で男が低く呟くのが聞こえた。

要塞。

確かにそうかもしれない。
しかし、外敵から身を守る為に、朝廷はこれほどの壁を作らせたというのに、結局守り切ることはできなかった。

野蛮な者たちに蹂躙されてしまった安寿の街。

そうして見上げていると、高見台になっている塀の上から警備兵のひとりが顔を覗かせたのが目に入った。

「アスラ国 国王の修羅王とその配下である。楊国皇帝陛下より胡人征伐の詔を受け参上した。開門を願う」
戒の声が響く。

すでに受け入れを聞かされていたのだろう。
兵はすぐに身体をひっこめ、開門するように指示を出したらしい。

「ここから……?」

安寿は男を見上げた。
安寿が一度だけ開門を見たのは、都に住む皇帝が視察と称して国内の街を訪れた、その時だけだ。

「そうだ」

当たり前だというように、男は頷いてみせた。

「でもここは………」

国を治める皇帝だけを迎える為の門のはず。
そうやすやすと開くことは許されない。
安寿がすべてを言わずとも、男にはわかったらしい。

「王のみに許された門ならば、俺もアスラの国王だ」

資格は十分とばかりに、口の端をあげる。

「………それに、ゆくゆくは………」
「え……?」

フッと意味深い笑みを浮かべて、男は門を見据えた。
その眼光は、男がよく見せる野生の獣のような鋭さをたたえていた。
獲物を狙う、獅子の眼。
恐ろしさを感じながらも、魅入られたように目が離せなくなる。
これは、この男だけが持つ力なのだろうか。

「……どうやら夜まで待てないようだな、お前は。またそんな目で見やがって」

気が付くと、クイと布越しに顎を持ち上げられていた。
さっきまでの鋭さは影をひそめ、変わりに悪戯好きの少年のような表情を浮かべている。


「ち、ちがいます………!」

その落差にあきれつつも、安寿は慌てて男の手から顔をそむけた。
すぐ背後から男の笑い声がするのが、無性に腹立たしい。

人力で開閉する門が、ゆっくりとゆっくりと開いていく。


銀河…………。


この門の向こうにいるであろう、親友の顔を思い浮かべ、安寿は再会の期待に胸をはずませた。





□■□ asura 12 □■□


門が開いた瞬間、すぐに安寿は眉をひそめた。
鼻をつく、こげくさい匂い。
どこから、などと思うことは無駄だった。
目の前には、一面焼け落ちた街が広がっていたのだから。

「…………ひどい………」

あまりの無惨な光景に、他に言葉が出てこない。
これが、本当にあの街なのだろうか。
一重には信じられないほどに、安寿の記憶にある風景は変貌を遂げていた。

街が赤く燃えたのを最後に目撃してから、随分たったはずだ。
それでも消えない程の焼けた匂い。
街を取り囲む城壁のせいで匂いがこもってしまっているのだろうか。
辺境に位置するせいかそれほどにぎやかではなかったが、それでも、店が立ち並び人が行き交いもっと活気があったものだ。
それさえも見当たらない。
街に復旧の兆しは少しも見えず、ぽつりぽつりと見える人々はみな生気さえ失われ、まるで幽鬼のようだった。

「お前は、ここに戻ってきたかったのだろう?」

「…………」

王の言葉に、安寿はなにも返す事ができない。

確かに、安寿の願いは聞き入れられた。

街へ戻りたいと、そう願った。

物心ついた頃から暮らしてきた街。
住み慣れた街。
銀河と歩いた街。

離れ離れになった銀河と再会するために。
そこへ、戻りたいと。

けれど。
記憶にある街とはあまりにも違いすぎて−−−−−−。

まるで、願いは聞き届けられなかったような、そんな思いさえ湧いてくるのだ。


ゆっくりとした歩調で進みながら、変わりきってしまった街を馬上から見下ろす。

客から密かにもらった小銭で、できたての饅頭を食べた茶屋。
いつも酔っぱらった男達がたむろしていたガラの悪い酒屋。
美しい花をつける木々を売っていた植木屋には、こっそり忍び込んでその緑を愛でたこともある。

その、面影さえない。

すべてが焼け落ちてしまっていた。

しばらくその予想を越えた街の光景に愕然としていた安寿だったが、ふと、視界に見慣れた後ろ姿が映り、ハッと目を見開いた。


『黒門で』


そう、ここで落ち合う約束をした、親友。
無事でいる。
絶対に。
そう信じていた、その後ろ姿。



「銀河………ッ!!」

安寿は思わず身を乗り出していた。

「………おっと」

馬から落ちそうになるその身体を間髪入れず背後から王のたくましい腕が抱きとめる。


馬上からの声に、その後ろ姿が振り返った。

腰までの長い髪。
小柄な体つき。

しかし。

振り向いたその顔は、安寿の見知った親友の者ではなかった。

「あ……」

違った………。
安寿では無かった………。

振り返った子どもは、安寿や銀河よりもほんの少し幼いようだった。
しばらく不思議そうな顔で馬上の安寿をみていたが、その背後に見える門からぞくぞくと入ってくる隊列におびえたように逃げ出して行ってしまった。

先ほどまでの銀河との再会の期待さえ、消え失せて行く。

「いきなりなんだ。危ないだろうが」
「…………も、申し訳ありません。友達に似たこがいたので」

そう言って、安寿はこどもの走り去ったほうを見やった。
肩を落とし落胆する安寿のそんな様子を見つめ、王は何やら察したらしい。

「………なんだ。もしかしてお前の友達とやらは商売仲間のことか」

安寿は頷いた。

「同じ店のこで………」
「俺はてっきり」
「え?」
「………いや」

安寿は振り返って、言葉の続きを待ったが、それっきり王は口を噤んでしまった。


「アスラ国、国王の修羅様でございますか」

気がつくと、前方から走りよってくる数人の人影が現れた。
梵天の前を警護する兵が警戒体勢を作り、王は馬を止めた。

王の前に駆け寄ってきたのは見覚えのある役人だった。
この街で一番地位があり権力のある人物だ。
時々お忍びで安寿たちのいる店へと遊びによることがあったので顔を覚えていて、器量の悪い女房を相手にするより、男でも顔のいい者を相手にしたほうがマシだと酒に飲まれながらよくこぼしていた。

役人は自らの紹介と、王に対しての労いと感謝の言葉を述べ、

「お迎えの御用意を致しましたので、どうぞこちらへ」

と王を官舎のある方向へと誘ってみせた。
王は逆らう事なく、役人達に導かれるままその後に従った。

体裁を取り繕うためだけの会見を行った後、安寿達は比較的被害の少なかったらしい、官舎の一部屋に案内された。
王達が来るまでは、さっきの役人たちが使っていたのだろう。
生活の匂いが残っていた。

「粗末な部屋でお気に召さないかもしれませぬが、御辛抱願います」

滞在中はここで寝起きをしろ、ということらしい。
粗末な部屋といえど、安寿たちが店で与えられていた部屋にくらべれば、充分なものだ。
今部屋の中には、王と安寿、そして顔見知りの役人しかいない。
戒は外で走り回っているらしく、その姿は街についた時から見えないでいた。
安寿はそっと息をつきつつ、顔を覆っていた布を外しにかかった。
すると、興味深そうにこちらを見つめている役人と目があう。

安寿だということに、気が付いたらしく、役人の目が驚愕に見開かれる。
安寿はそれに向って小さく会釈をした。

「まだ、なにか」

低い、威圧感を伴った男の声が飛ぶ。
その先にするどく光った青い瞳を捉え、役人の身体が強張りを見せた。

「い、いえッ。失礼致します!」

王の視線におびえたように、役人は脱兎のごとく部屋を出て行った。


「幕舎のほうがマシだな」

それを見届けて、王が鼻を鳴らす。

「………知り合いか?」
「え?」

聞き返すが、王は言い直すことをしなかった。
安寿はしばし考えて、さっきの役人のことだということに思い当たった。

「さっきのお役人の方でしたら、贔屓の方だったので………」
「ふん」

王は不満げに黙り込んだ。
どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
安寿が売春宿で身体を売っていたことを男は責めることはしなかったけれど、やはりいい気持ちはしないだろう。
どう言葉をかけていいのか、どういう態度をとればいいのか。
わからずに、安寿がとまどっていると。

「おい」

長椅子に寝そべった王は、自分の腿も上を叩いてみせた。
ここにこい、と言う事なのだろうか。
安寿はおずおずと男のそばに近付いた。
ためらいがちにそばに立った安寿の腕が強引に掴まれ、男の胸の上に倒れ込む形になる。

「あっ」

やすやすと安寿の身体を受け止め、武骨な大きな男の手が顎を捉え引き上げた。
真正面からぶつかりあう、視線。

「安寿」

名を呼ばれるだけで、胸がざわめくのはなぜだろう。
安寿には、わからない。

「お前は今一体誰のものだ?」

確認せずとも答えは決まっているはずの問い。

今の自分は一体『誰のもの』なのか。

「………」

「答えろ」

厚みのある手のひらが、裾から忍び込み、安寿の腿を撫で上げて行く。
ピクリと、敏感に反応をしてしまう身体を止めることができない。

「あ、あなたです………」

目の前の、金色の獅子のような王。

「そうだ、忘れるな。自分が誰のものなのか。これから先永遠に、だ」

青い瞳が、安寿を捉えて離さない。

身体だけではない。
その心まで、男のものになってしまいそうになる。
この男にすべてを囚われてしまったら、一体自分はどうなってしまうのだろう。
安寿の心はざわめく。

「弥勒!弥勒はいるか?」

戸の向こうにむかって、声を掛ける。
誰かが控えていたのか、足音が遠ざかって行く。

「お前に一刻時間をやろう。お前のいう友達とやらを探してくるがいい」
「え………」
「それでも見つからなければ、あきらめろ。わかったな」

思いもかけない男の提案に、安寿は一瞬信じられないと目を見開いたが。

銀河を探しにいける!

その嬉しさに、たちまち安寿の顔に満面の笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます……ッ!!」

安寿は深々と男に向って頭を下げた。
ほんの少しではあるが、許された自由。
自らの足で親友をさがしに行ける。
そのうれしさ。

「やけるな」

安寿の破顔の表情に、男が呟く。

え・・・?

王の漏らした言葉の意味が上手く飲み込むことができず、意味を汲み取ろうとただ男の引き込まれるような青い瞳を見つめた。

「お邪魔でしたかね」

弥勒の声に、安寿は慌てて男の上から身体を起こした。
振り返ると戸口の前に弥勒が立っていた。
声をかけられるまで、足音はおろか気配にさえ気付かなかった。
それとも目の前の男に気を取られ過ぎて気が付かなかっただけなのだろうか。
一体いつのまに・・・!!と、乱れた服のすそを急いで直す。
王はその様子をニヤニヤと笑みを浮かべて、愉快そうに見ているだけだ。
安寿は男を赤い顔で睨み付けた。

「弥勒、聞いてたか?」
「姫さんの警護とお手伝い、でよろしかったですかね?」

上出来だ、と鷹揚に頷く。
どうやら呼ばれてすぐに現れて、会話を聞いていたらしい。
見つめあっていた場面を目撃されていたのかと思うと、顔から火が出る思いだ。

「まかせたぞ」
「はいよ」

軽く答えて、片手をあげる。

「では、姫さん、行きますぜ」
「は、はい!」

「礼は今夜たっぷりと、な」

離れ際、そう笑みをふくんだ声で耳元に囁かれたが、返事はしないまま安寿は弥勒のもとへと駆け寄った。




□■□ asura 13 □■□


弥勒のあとについて、安寿は官舎を出た。

「馬より歩いたほうが、動きやすそうだな」
「………そうですね。それほど大きな街でもありませんから」
「それにしても親分の姫さんへの過保護ぶりと甘やかしっぷりには恐れいるねえ」

同意し歩き出そうとした安寿は、続けられた弥勒の言葉にその足を止めた。

「………一体、どこがですか………」

過保護だとか甘やかされているとか、安寿にはまったく身に覚えのないことだった。
それに、また『姫さん』なんて勝手に呼んで。

しみじみと口にする弥勒を、不服げにちらりと睨みあげる。

「人探しなんて俺ら下っ端にまかせときゃいいものを、姫さんたっての願いだからってそばから離したくないだろうに直々に行かせてさ。でも心配だからってざわざ警護つけて。本当は自分がついててやりたかったんだぜ、親分」

ケラケラと弥勒が笑いを漏らす。

「まあ、あの人のあのナリは目立つからな。一緒にいれば人目について行動しにくいから俺なんだろうけど」

おかげで俺は楽できるから感謝だな。という弥勒に、安寿は周囲の様子に気付く。
そういえば兵達は到着したばかりだというのに、せわしなく動いている。
弥勒には弥勒で与えられた仕事があったのだろう。
確かに自分について街中を人探しするほうが楽なのかもしれないが・・・。

しかし弥勒の解釈には頷くことはできない。
どう考えても自分は、あの金色の王にそれほど大切には思われていない。
今回のことだってきっと気紛れに違いないのだ。
弥勒をそばにつけたことも安寿が逃げ出さないように見張り役につけただけのこと。

自分は体のいい性欲処理の相手で。
あきれられたら、捨てられてしまうような存在で。

かわりになどいくらでもいるような、そんな。

「・・・あの人にとって、私はただの暇つぶしの玩具にしかすぎないんですから・・・」

だからそれは思い違いだ、と。

言いながら、胸に針でさされるような痛みを感じた。

充分わかりきっているはずのこと。

なのにどうして。

こんなに胸が痛いんだろう・・・?

「あんた、それ本気で言ってンのか?」

安寿が頷くと、弥勒は一瞬目を丸くしたあと、すぐに深いため息をついた。

「あんたは頭がいいのか悪いのか……」

呆れ気味の声が弥勒から漏れた。

「どういうことですか」

「いいか。俺は親分と付き合いはじめてもう10年以上になるが、あの人が梵天に自分以外を乗せたことなんて、過去一度もなかったぜ」

「………それは、梵天が気難しい馬だから誰も近寄れなかっただけで」

チッチッ、と舌を鳴らし人さし指が左右に振られる。

「まだあるぜ。むこうで陣張ってた時の食事…途中から味が変わったのを覚えてるか」

そういえば……と安寿は思い出す。
初めて出された食事は、苦くて濃いくて薄味になれていた安寿にはほとんど口にできない代物だった。
しかし数日後には、安寿の普段口にしていた食事の味と変わらなくなっていて………。

まさか………?

安寿はハッと弥勒を見やった。

「楊の味付けで食事を作れって命令が来てねえ。料理番もうろたえてた」

唇の端を持ち上げ、心無し得意げに弥勒が笑う。

「親分が誰かの為になにかする、なんぞ俺は今まで一度たりとも見たことがねえ。そこまでされてなんで気付かないかね。俺はそのほうが不思議でしょうがねえよ」

「そ、そんな………」

「だ、か、ら。前々からゆってるだろ。親分はアンタにメロメロなんだ、って」

たちまち頬を染めていく安寿の様子を弥勒はおもしろがっているようだった。

嘘。

嘘だ。

もし、弥勒の言う通りだとすれば。

・・・自分はあの王にとって特別な存在になってしまうではないか?

にわかには信じられない思いで、安寿は弥勒の言葉を、そして過去の記憶の断片を頭の中で反芻する。

いつも強引で傲慢で我侭で。
まるで玩具で遊ぶかのように安寿を扱って。

でも−−−−・・・。

時折見せる無邪気な少年のような顔。

自分の頬を優しくすべる指先。

そして、口付けのあと、自分を見つめる深く青い澱みのない瞳。

『お前は俺のものだ』と。

『俺だけを受け入れろ』と、自分に言った。

それは、どうして?
一体なにを思って?

王の言動の意味など、今まで考えようともしなかったことに、安寿は気付く。



「おっと、こんな無駄話してる場合じゃねえな。お友達を探す時間がなくなっちまう」

行くぜ、と促され安寿はハッと我に返った。
小さく頭を振り気を取り直すと、弥勒のあとについて歩き出す。

今は銀河。
銀河を捜す事だけを考えるのだ。
許された時間はほんの少ししかないのだから。

「とりあえず、店に戻ってみます。もしかしたら、そこにいるのかもしれない」
「了解」
2人は足を南へと向けた。


店へはそれほど時間もかけずに辿り着いた。
弥勒は街の地図が大方頭の中に入っているらしく、安寿の案内もほとんど不要だった。
なによりも衝撃的だったのが、やはり街の惨状の酷さだった。
馬に乗せられてみた時よりも、地上に立って見渡す時のほうが遥かによくわかる。

ほんの、ほんの少し前のことのはずだ。
この店への道を銀河と並んで歩いたのは。

家屋が連なり、人が行き交い、笑い声、怒鳴り声、食べ物の匂い。
目をつぶればすぐにでも思い出せそうなのに、今目の前に広がるのはその光景とはまったくかけ離れたものばかりだ。
まばらな人からは活気どころか生気さえも失われ、ほとんど声さえ発しない。
漂ってくるのは、焼けこげた不快な匂いだけだ。
こんな中で、銀河は無事でいるのだろうか。

一体、何処にいるんだ・・・銀河。

不安にかられ、安寿の足の歩調も早くなる。

角を曲がってまっすぐ。
そうすれば店が、見えてくるはずだった。

しかし、あるはずの店はこつ然とその姿を消していた。

見上げるほどの高さがあったはずの店。
それが、黒く焼けこげた柱だけを残して、すべてが崩れ落ちていた。

「・・・・」

安寿は声もなく、目の前に広がる光景を見つめた。

「・・・そんな・・・」

立ちつくす安寿の隣で弥勒が気の毒そうな表情を作る。

「嘘でしょう・・・?」

今まで歩んできた道のりの惨状を見て、それなりの覚悟をしていたはずだった。
しかし、いざ目の前にするとそのあまりの酷さに顔を覆い、否定したくなる。
こんなのは嘘だ、と。
悪い夢なのではないか、と。

よく散歩から帰ってくると、3階の窓から銀河が自分に向って手を振っていた。
入り口では奉行人が帚を掃き、楼閣の中からは仲間たちの声が聞こえていた。
夜になれば、格子に灯が灯り、仲間たちがその中に立ち、客を誘い−−−−。

まるで幻のように浮かんでは消える情景。

こんな所から逃げ出したい、と何度となく思ったこともある。
けれど、 辛いこともあれば、数えきれない程の楽しいこともあった場所なのだ。
まさか、それがこんな風になくなってしまうなんて・・・。

熱いものが喉元から込み上げてきそうになって、安寿は焼跡から目をそらした。

すると、その先。
項垂れて座り込んでいる身慣れた姿がふと、目に入る。

あれは・・・!!

「親方さま!」

声をあげ、そばへと駆け寄る。
その声に、頭を垂れていた男はハッと顔をあげ、安寿の姿を認めるとその目を大きく見開いた。

「あんじゅ……?!安寿か?!」

ヨロヨロと立ち上がり、安寿の元へとおぼつかない足取りで近付いてくる。

「お前、無事だったのか………!」
「はい!親方さまも御無事でよかった・・・・!」

肩を引き寄せられながら、安寿は再会の喜びに笑った。
ようやく見知った親しい人間に出会うことができ、安寿の胸にみるみる安堵感が広がっていく。

久方ぶりに目にする店主の顔は、頬がこけ、憔悴しきっていた。
記憶の中で常に綺麗に整えられていた顎髭さえ、伸び放題といった状態だ。
店主の命ともいえる店がこんな状態になってしまったのだから、当然だろう。

「親方さま、大丈夫ですか?」
「ああ・・・それより、一体今までどうしてたんだ」
「………それは」

どう説明してよいのかわからず、安寿は窺うように背後の弥勒を見やった。
ありのままを話せば随分ややこしいことになりそうだったので、簡潔に説明をすることにする。

「危ないところをこの方たちに助けていただいて………それでしばらくの間お世話になっていました」

「そうか………」

安寿の言葉を疑う様子もなく、店主も弥勒に目を向け、小さく頭を下げた。

「お前だけでも無事でよかった」

「私だけ………?」


その言葉に、安寿は眉をひそめた。

・・・そうだ。

一緒に働いていた店子のみんなは?
周囲を見渡しても、店主の姿以外誰も見当たらない。

一体何処に?
そして、銀河は・・・?!


「親方さま!銀河、銀河は?!」

安寿の問いに、店主は力なく首を横にふるだけだ。

「胡人のやつらに連れていかれちまった。みんな………みんな」

「そんな………」

安寿は愕然とした。
身体から一瞬にして力が奪われて行く。

さらわれた・・・?

みんな、みんな。

胡人たちに。

銀河。

銀河も・・・・!!?


「どうして」

「理由はわからない」

なぜ………?

安寿の問いに店主も首を振るだけだ。

「しかし、そうとしか考えられない。街の屍体にうちの店のこのものは一人もなかったんだ」
「本当ですか!」
「ああ………」

では、銀河も連れ去られた可能性が高いということか。
再び希望の光が胸に灯る。

安寿は弥勒を振り返った。
視線があう。

「とりあえず、居所は掴めたってことだな」

弥勒の言葉に、安寿は頷いた。

胡人たちにつれ去られた、銀河。
そして、店のみんな。

無事でいるだろうか。
元気でいるだろうか。

どうすればいい?
どうすれば、再び会うことができる?

様々な思いが、安寿の胸を渦巻く。
そんな安寿を落ち着けるように、弥勒が小さく背を叩いた。

「ひとまず、親分に報告だ」
「・・・はい」

促され、弥勒と共に身を翻そうとした安寿の腕が掴まれ、引き止められた。

「安寿。どこへ行くつもりだ」
「あ………」

振り返り、その腕の主、店主の険しい顔に安寿は息を飲んだ。

−−−−そうだった。

安寿はようやく我に返った。

そして、思い出す。
いくら現在あの王の元に身を置いていようと、安寿はこの店主の元で働く、ただの娼夫で。
いまだ、この店主の『モノ』なのだということを。

店主は安寿の腕を掴んだまま離そうとしない。
生き残ったただ一人の商売道具なのだ。
そうやすやすと手放す訳はない。

今の安寿の置かれた状況を、どう上手く説明すればいいのだろう。
安寿当人でさえ、いまだ信じられないというのに、きっと信じてはもらえないに違いない。

とまどう安寿の隣で、面倒臭そうなため息が弥勒から吐き出された。

「………まあとりあえず、親分のとこに一緒に来てもらうしなねえみてえだな」

首筋をかきながら、弥勒が言った。




□■□ asura 14 □■□


店主はいまだ修羅王たち一行の到着を知らず、街の中心にむけて騒々しい雰囲気になるにしたがい、ようやくその異変に気付いたようだった。

「一体、なんだ………?」

周囲を見渡しながら、この街に置かれた警備兵とは違う兵たちがせわしなく行き交う様子に、店主がつぶやく。
それに弥勒が振り返りおどけた調子で答えてみせた。

「俺達はアスラ国ってとこのモンでな。ちょいと胡人のやつらをこらしめにやってきたのさ」

「はあ・・・」


弥勒の説明をわかっているのかいないのか、店主は気の抜けた返事を返し、キョロキョロと不安げに周囲に目をやる。
今の店主からは、いつもの売春宿の親方としての威厳はまったく感じらない。
以前はその存在に畏怖さえ覚えていたというのに。
胡人の襲来により店は焼け落ち、商売品でもある店子たちさえもつれ去られ、 よほど精神的にも肉体的にもこたえているのだろう。
慣れない外界からの訪問者に他の街の民たちも怯えている様子だった。
それも当然だ。
ただでさえ自国以外の国とはほぼ遮断された状況で、異国の人間を目にする機会などほとんどなかった上に 胡人の襲撃の跡もいまだ癒えぬ所に、馬に乗った見慣れぬ異国の兵士たちの集団がやってきたのだ。
一体これからなにが起きようとしているのか。
不安になって当たり前だった。

「安寿、私達は一体どこに向かってるんだ?」

「俺達の親分………とと、国王様のところだぜ」

「国王………?」

安寿の変わりに返答すると、首をかしげる店主に弥勒は一つ頷いてみせた。

「この国では皇帝とでもいうんだったか?まあ、それと同じようなモンだ」

「皇帝と同じ………?!そ、そんな方のところに何故………!」

驚く店主に、弥勒は楽し気に口の端を持ち上げた。

「おやじさん、実はあんたンとこのこのお姫さんをうちの王様が気に入っちまったらしくてね。そばから離したくないンだと」

「は・・・?」

「弥勒さん!!」

安寿は慌てて声を上げ、その先を遮った。
一体なにを言い出すのか。
まったく、この人は、自分などをからかって一体なにが楽しいのだろう。
声を荒げても、弥勒はなに喰わぬ顔で肩をすくめるだけだ。

「安寿・・・それは本当なのか?」

「・・・」

問われ、安寿は返答に困り黙り込む。
あたらずも遠からずな弥勒の言葉だったが、ここで頷くには気が引けた。
弥勒の先程の言葉−−『親分はアンタにメロメロ』だかなんだか−−を肯定するように感じられて。

「まあ、そういうわけだから、うちの親分と会って話つけてやってくれや」

「はあ……」

気軽に言い、話を打ち切ると、ポンポンと馴れ馴れしく店主の肩をたたく。
店主のいまだ不可解そうな視線が追いかけてきたが、安寿はただ曖昧に笑うしかなかった。

そうこうしているうちに目の前に官舎が見えて来た。
近くにいた兵から王の居場所を聞き、安寿たちは初めに通された部屋とは別の部屋へとむかった。

「親分、ただいま帰りましたー」

弥勒に続いて安寿たちも部屋の中へと進んだ。
どうやら平素は会議などに使われている部屋らしい。
そこには王の他に戒の姿もあり、安寿の身体は心無し強張った。
突き刺さるような戒の鋭い視線を感じる。

「なんだ、随分と早かったな」

「まあ……色々ありましてねえ」

席から立ち上がりやってきた修羅王は安寿に向き直ると、その隣に立ち尽くす店主を交互に見やった。

「この者がお前の探していた『友達』とやらか?」

警戒心をあらわにする王に、安寿は首を振る。

「いえ・・・この方は私が身を置いていた店の店主様です」

安寿の言葉に、修羅王は器用に右眉だけをあげてみせた。
店主は今まで目にしたことのない王の容姿に驚いていたようだったが、安寿の紹介を受け、「翠楼閣店主の儀詠と申します」と名乗り、王に向って深々と頭を下げた。

「弥勒様、とおっしゃいましたか。あの方からお聞き致しました。この安寿を気に入っていただけたのだとか……」

王は否定することもなく、チラリと弥勒に目をやった。
その先では部下が悪びれる様子もなく笑っている。

………本当に、あの人は。

安寿はため息さえつきそうになった。

「しかし、王様は御存じではないと思われますが、この安寿は当店で最も大切な店子でありまして……店も焼け落ちた今となっては私の命の次に大切な者。そうたやすくお譲りするというわけには・・・」

店主が王に対してなにを望んでいるのか、安寿にはわかった。
自分の立場はわきまえているつもりだが、しかし、やはり目の前で自分が売り買いされるのにはやるせなくなる。
自分は一人の人間である前に、誰かの『所有物』であることを思い知らされる。

安寿はたまらなくなって、うつむいた。

ここで、王が「金など払う価値はない」と言えば………。

自分はこの店主のもとで、再び身体を売る事になるのだ。
今まではそれで生きてこれたのだし、王の元にいても相手が王一人だというだけで、決して自分の立場が変わったわけではなかった。
どちらにしても、なにも変わらない………はずなのに。
安寿は王の返答を聞く事が怖く、不安でたまらない自分に気付く。

「………わかった。望みの額を言え」

低い王の声。
安寿はハッと顔を上げてしまっていた。

歓喜している自分。
安堵している自分。
どうしてなのだろう。

わからないまま、安寿はそばに立つ王を見上げる。

「では、これほど」
「!」

袖の下から店主は王にむかって5本の指を開いてみせていた。
思いもかけない金額を提示した店主に、安寿は目を見開いた。

5百元。
それだけあれば売春宿をもう一度、建て直すことができるだろう。
その上、以前よりも贅沢な装飾を施す事もできるに違いない。

ただの娼夫を身請けさせるには常識を外れている金額だ。
自分などにそれほどの価値があるなど、安寿には到底思えなかった。


「ふん。そんなものでいいのか」

「は?」
「今用意させる、待っていろ」

そう言い、修羅王は呆気にとられている安寿の肩を引き寄せた。

「王様、なにか誤解をされておられるようで………」

店主が慌てた様子で王へと取りすがる。

そうだ。
きっと王は金額を誤解しているのだ。
引き寄せられながら、安寿も店主と同じことを思い狼狽えた。
しかし、修羅王はサラリと言ってのけた。

「なぜだ。5千でいいのだろう?」

「千………!!」

次に目を剥いたのは店主だ。
続ける言葉もなく、ただただ唖然と黄金色の髪を持つ王を凝視している。
確かに桁を誤解していた。
安寿たちの頭にある金額の10倍を王は払うと言っていたのだ。

5千もあれば、店を一度どころか2度も3度も建て直すことができるだろう。
過度な贅沢さえしなければ、裕福に一生をおくれる程の金額だ。

「戒。悪いが、あれを取ってきてくれ」

修羅王は振り返り、後ろに控えていた戒に指示を出した。
先程から黙っていた戒だったが、ようやく口を開く。

「王。このような下賤の輩にそれほどの価値があるとは思えませんが」

「戒」

即座に王の咎める鋭い声が飛ぶ。

「………御意」

しぶしぶといった感で、戒は部屋を出ていった。

その時、戒が自分に視線を送ってきたのを、安寿は見逃さなかった。
侮蔑に憎悪。
悪意に満ちた、戒の眼差し。
そして鋭く尖った槍のような言葉。

『下賤の輩』。

確かにそうかもしれないが……。
胸が痛むのは止められなかった。

けれど戒の言うことはもっともだった。
それほどの価値が自分にあるとは思えない。
一介の娼夫に過ぎない自分に。
変わりなどいくらでもいるような自分に。
どうして、自分などにそんな大金をつむことができるのだろう?
そうまでして、どうして………?

戻ってきた戒の手には布袋につつまれた人間の拳大の大きさのものがあった。

「あいにく、この国の貨幣をそれほど持ち合わせていなくてな」

王は店主に手渡すように首をしゃくって戒に指示をだした。
店主はおずおずといった様子で、それを受け取る。

「開けて確認してくれ」

「は、はい」

店主は慌てて、布をはいだ。
現われたそれに安寿も、店主も目を奪われる。

「俺の国でとれたものだ。この国で5千以上の価値はあるだろう」

それは金の固まりだった。
初めて目にする黄金の光りに、ただただ圧倒され驚愕するしかない。

「交渉はこれで成立か?」

コクコクと言葉なく店主が頷く。
王は満足げに笑うと、いまだ呆然としている安寿の身体を引き寄せた。

「あ………ッ!」

厚く固いその胸の中へと抱き込まれ、顔を上げさせられる。

「これで晴れてお前は俺だけのものになったってことだな」

至近距離にある王の顔が更に近付いてくる。

「ん………ッ!」

人前だ、と抗う隙もなく、店主の、そして戒の目の前で口付けが降りてきた。
まるで獲物をとらえた獅子のように、深く深くまでむさぼられる。
舌を絡めとられ吸われ、そこから身体中に火をつけられたように熱が広がっていく。

………この王にとって、自分にそんな価値があるのか。

問いかけは激しい熱に呑まれ、消えて行った。




□■□ asura 15 □■□


唇を解放された時には、もう息も絶え絶えの状態で王の腕に抱きとめられていた。
足にうまく力がはいらず、頭の奥までジンとした痺れが残っている。
官能に支配され、ぼんやりとした瞳に王の顔がうつった。
その顔は満足気でもあり楽し気でもあり………。

「ここで先を続けるか?」

笑いさえ含んだ男の声色に、安寿は身体をまかせたまま腕の中、ゆるゆると左右に首を振った。

………冗談じゃない。

そう怒鳴りたかったが、声が出なかった。

また男の喉が上下して低い笑い声が漏れる。

「それじゃあ、部屋で大人しく待っていろ。俺もすぐに行く」

耳元で囁かれ、安寿は身体を震わせた。
火のついた身体は男の声にさえも敏感に反応してしまう。

………駄目、駄目だ。

これでは男の思うがまま。
しっかりしなければ。

自らを叱咤し、安寿はなけなしの力を振り絞って男から身体を離した。

よろけそうになりながら、部屋の出口を目指す。
人前で口付けを受けた恥ずかしさのあまり、顔があげられない。
うつむいた視界の中、それでも自分にむけられた視線を感じ、安寿は羞恥に憤死しそうだった。
弥勒はきっとニヤニヤと笑みを浮かべているのだろう。
店主はきっと驚きに目を剥いているはずだ。
そして、戒は。

想像しなくとも突き刺さるような禍々しい視線は一番強く安寿を射ていた。
安寿はその視線から逃れるようにして、一礼すると、足早に部屋を後にした。

どうにか元いた部屋に戻り、扉を閉めると、安寿は床にへたりこんだ。
壁に背を預け、男に与えられた熱を冷まそうと、深く大きく息をつく。

王に言いたいこと、聞きたいことは沢山あった。
でもあの口付けにすべては呑まれてしまっていた。
いつもそうだ。
あの男の口付けは自分を狂わせる。
頭の中が真っ白になって………余計なことはなにも考えられなくなる。
こんな風にあの男に惑わされるまま、なにも考える事なく、安穏とそばにいることができたらどんなに楽だろうか。
しかし、安寿は考えずにはいられなかった。
あきればすぐに捨ててしまえる玩具のような自分に、あの金塊に見合うような価値があるとは到底思えない。
………そんな自分に。

そばにいろという。
お前は俺のものだという。

………どうして?

王の真意が安寿には読み取れない。
あの王は一体自分をどう思っているのだろう?

そして。

そして………自分は?
自分はあの男を、あの金色の獅子のような男を、一体どう思っている………?
いつかは簡単に捨てられるだろうと分かっているのに、それでも。
あの男のそばにいたい、と。
そう思うのはどうして………?

男とのことは、いつも分からないことばかりだ。
己の気持ちさえも、分からなくなる。

混乱した頭を落ち着けようと、安寿はゆっくりと瞳を閉じた。



どのくらい意識をとばしていたのか。
どうやらそのまま寝入ってしまっていたらしい。
気付けば安寿は寝台の上に身体を横たえていた。

うっすらと目を開くと、窓からは煌々と月明かりがさしていた。
部屋はその明りと枕元に灯された橙色の灯り以外は薄い闇に覆われている。
その月光りを浴びるようにして、立っている男が一人。
まだ覚醒していない意識の中で、安寿はその光景を綺麗だ、と思った。
静かな月の光りが、男の全身を照らしている。
金色の柔らかな髪は月光を反射し、きらきらと銀色に光ってさえ見える。
まるで光りに覆われたその姿に、安寿は目を、そして心を奪われた。
太陽の元でだけではない。
月の下でも、この王は眩いほどに光り、輝きをはなっている。
これほどに美しい人間を、安寿は知らない。

………まるで夢のような人。

魅入られたように男を見つめる安寿の視線に気付いたのか、男の顔がこちらをむいた。

「………目が覚めたか」

安寿の意識が戻ったことを確認し、男はゆっくりと安寿のいる寝台へと近付いてきた。
安寿は慌てて身体を起こす。
その上には見覚えのある柄の上袍がかけられていた。
王のものだった。

「床なんぞで眠りこけるな。倒れたのかと思うだろう」

「………すみません」

わざわざ手をわずらわせたことを責めているのではなく、安寿の身体を気遣っているのだということが、その口調から伝わってくる。
安寿を寝台まで運び、自らの着物をかけてくれたのは王なのだろう。

「なにか飲むか」

王は安寿のそばまでやってくると、そのまま寝台へと腰をおろした。
手が伸びてきて、ふわりと寝乱れた髪の毛が整えられる。
何気ない、でも優しい仕種。
自分などにはもったいない、とさえ思う。

安寿は首を振ると、薄明かりの中でも青さを失わない王の目を見つめた。

「どうして………?私などにあのような金額を」

安寿にはわからなかった。
どうしても、この王にとって自分はあれだけの価値があるとは思えないのだ。
ただの娼夫にあれほどの大金に見合うものを払って、 一体なんの得がある?
男の口から、その答えを聞きたかった。

「どうして、だと?そんなことは決まっているだろう」

くだらない問いかけだ、というように男は鼻で笑った。

「お前は俺のものだからだ」

言い切った男の瞳はまっすぐに安寿を捉えていた。
それ以外の理由などない、とその目は語っていた。

「お前は俺に誓ったはずだ。俺だけのものになる、と。俺のそばから離れぬと」

そうだろう?と否定を許さない言葉。
忘れられるわけがなかった。
口付けで誓わされた、王との約束。
安寿は頷き、王に要求されるまま自ら口付けを交わしたのだ。

「だから、俺はその通りにしただけだ。あの程度でお前を俺のものにできるのならば安いもの。………まあ人間に価値をつけるなど間違っているがな」

それだけ?
………それだけの、ために?
あれだけの大金を払ったというのだろうか。
男の言葉は到底信じられないものだった。

「でも……ッ」

なおも言いつのろうとする安寿に、王は小さく息をついたかと思うと、いきなり口の端をあげ、にやりと笑った。

「それほどまで気にするのなら、お前は俺にその身体で奉仕すればいい。………おっと、そういえば、今日の礼もまだもらっていなかったな?」

「………!!」

あっという間に寝台に身体を押し戻され、真上から男が楽しそうに見下ろしてくる。

「ま、待って下さい………ッ。話はまだ………」

身体全体を押さえ付けられ、男の下からなんとか逃れようともがく。
昼間の『礼』さえ蒸し返され、これからどんな展開になるのかは身に染みてわかっている。
安寿の態度に男は不服そうに眉をしかめてみせた。

「なんだ?だいたいのことは弥勒から報告を受けているぞ。お前の友達とやらが胡人に攫われたということもな」

安寿はぴたりと抵抗を止めた。

「わざわざ手をかけて攫っていったのには理由があるはずだ。いくら野蛮な奴らでもそうそう簡単に殺しはしないだろう。待っていろ、近いうちに奴らを討つ。その時にお前の友達とやらも探し出してやる」
「………本当ですか………」

どうやって銀河を探し出せばいいのか、思い付かずにいた安寿にとって、それはまるで救いの言葉だった。

「ああ、胡人征伐の目的が増えただけだのことだ。だからお前はもうなにもせずに大人しくしていろ。いいな」

言い聞かせるような口調。
安寿は頷く前に、疑問を口にしていた。

「でも、どうして………胡人たちを討つのですか?」

王にとって胡人を征伐することがなんの得になるのか、安寿にはわからずにいた。
この国だけではなく、胡人は王の国−−−アスラ国−−−にまで害を与えているのだろうか。
わざわざ胡人征伐のためだけに、兵を率い、遠い国からやってきただけとは、どうしても思えなかった。

安寿の問いに、王は少し押し黙ったあと、口を開いた。

「………征伐はこの国に侵入するための口実だ。この国にとっては、手を焼いていた奴らをただ陣をはる街を俺達に提供するだけで一掃することができるのだから、こんなに巧い話はない」

確かに、王の言う通りだった。
今まで楊は胡人に対して防衛策を練るだけで、征伐をしようとはしなかった。
それはこの国の気質が臆病で閉鎖的なことに原因があるのだろう。
自国を防衛するだけに精一杯で国の外にまで兵を出し、敵を攻めるなどということは一切していなかった。
だから、胡人の襲来がたえることはなかったのだ。

話ながら、王の眼光が鋭いものへと変化したのを安寿は見逃さなかった。

………あの目だ、と安寿は思った。

時々、王が覗かせる獣を狙う獅子のような鋭い光を放つ眼。
視線をそらすことさえできない緊張感が安寿を襲う。

「………俺はこの国を乗っ取るつもりだ。今回のことはその手始めにすぎん」

「……………!!」

男の身体の下。
安寿は身体を強張らせた。

「お前の国は、もう駄目だ。あの愚鈍な皇帝が治めている限りこの国はいずれ滅びるだろう。まわりの国がこぞって侵略を始めるその前に俺はこの国を俺のものにする。ゆっくりとだが……確実に、な」

恐ろしいことを口にしながらも王は不敵に笑っていた。

「俺は俺の国を………アスラを大国にしなければならない。そのためにもこの国を俺のものにする」

………ああ。

この獅子に食べられるのだ。

安寿は、そう思った。

自分も。
そして楊の国も。
すべて。

この金の獅子に逆らうことなど、できはしない。

恐怖すら感じるというのに、魅入られたかのように、安寿は男から目が離せないでいた。

王はふと、双眸を緩めた。

「………俺の国のことを聞きたいか?」

鋭いばかりの眼光は一瞬にしてなりをひそめ、いつもの様子に戻った王に安寿もゆっくりと息をついた。

見た事もない、国。
目の前の男が住まう国。
そこには一体どんな風景が広がっているのか。
空の色はどんなで、空気はどんな匂いがするのだろう。
そこで暮らす人々は、みな王と同じような容姿をしているのだろうか。
金色の髪の色に、褐色の肌、青い瞳。
この王が生を受け、育った国を知りたいと思った。

「………わかった。話してやろう」

頷く安寿に、王は穏やかに笑み、話始めた。

「俺の国は南にある。この国からは随分離れた位置だ。領土はあまり大きくははないが………」

自国以外についてまったく知識のない安寿は、王の口から語られるアスラの国の様子にひどく興味を惹かれた。
そうして真剣に王の話に耳を傾けていたのだが………。

そのうち、王の手が不埒な動きを見せ始めた。
安寿は慌てて、自分の着物の裾をはだけようとするその手をつかまえた。

「なんだ」

「なんだ、ではないでしょう………?人が真剣に話を聞いているというのに。ちゃんと真面目にお話ください」

安寿がねめつけると、心外だ、という顔をしておどけてみせる。

「なにをいう。ちゃんと話しているだろう………?」

クスクスと男が笑う。

「これのどこが『ちゃんと』なんですか………ッ、ンッ」

捉えた手とは反対の手で、敏感な胸元を探られ、思わず声が上がる。

「続けてやるから、ちゃんと聞いていろよ」

男は楽し気に笑いながら、耳元で囁いた。





□■□ asura 16 □■□


………あたたかい。

安寿は頬に、身体に、感じるぬくもりにすりよった。

まどろみの中、小さく規則的な音が耳に響く。
安寿はそれにゆっくりと耳をかたむける。

一体なんの音だろう。
ひどく心が休まるような。

ずっと聞いていたいと思わせる……この音は。

いまだ覚醒しない耳に優しく届く、その音の正体を確かめる為、安寿は閉じていた目蓋をそろりと持ち上げた。
まず映ったのはあきらかに自分とは違う色をした人間の肌だ。
それが目の前にひろがっている。

………褐色の肌。

指先に触れるその肌はまるで鋼のような固ささえ感じられるが、温かさがある。
どうやら音は、軽く上下しているそこから届いているらしかった。

………この音は、一体誰の………。

安寿は更に視線を先にあげた。

その先には−−−−。

……しゅら、おう……?

見覚えのある男の顔を認識し、そこでようやく安寿は、王の胸に頭を預ける形で眠っている自分に気が付いた。

「…………ッ!!!」

一気に眠気がさめる思いで、安寿は勢い良く身体を起こした。
心地よいとさえ思えた音の正体は、修羅王の鼓動の音だったのだ。

例え寝ぼけていたからとはいえ、男のぬくもりと鼓動に身を任せ、心地よいと思っていた自分が安寿はたまらなく恥ずかしかった。
みるみるうちに頬が朱に染まって行く。
王が見ていなくてよかった、と安寿は心底安堵した。
いつものように先に起きた王に今の反応を見せていれば、間違いなくからかわれていただろうから。

動悸のおさまらない胸をおさえながら、いまだ瞳を閉じたままの王の顔に目をやる。
安寿が起きた気配にも気付いていないのか、身じろぎひとつしない。

静かに呼吸を繰り返す男の顔を無言で眺めているうちに、安寿はとあることに気が付いた。

こんな風に眠っている王の姿を目にするのは初めてだということに。
ほぼ毎日毎晩のように男の寝所を共にしているが、夜、身体をあわせれば安寿のほうが先に意識をなくしてしまうし、朝は朝で男の悪戯な手によって起こされるというのが当たり前のようになっていた。
男は必ず安寿よりも後に眠り、安寿よりも先に起きている。
男が眠っている姿など一度も見た事がなかった。

もの珍しい姿に、安寿は目を離すことができず眠る王の顔をマジマジと見つめてしまっていた。
無精髭は伸び放題だが、この男にはひどく似合っていた。
あれだけの兵達を一つに束ね統率していれば、疲れが浮かんでいてもおかしくはないはずだが、眠る男の顔には疲労の影は一つも浮かんでいなかった。
寝台の上に散らばる黄金の髪。
まるで飴色の糸のようなそれは、思わず手をのばしたくなるほどの美しさだ。
距離を縮めれば、伏せられた睫さえ、金色だということがわかる。
まつげの一本一本をこうして見つめることができるほど、じっくりと男の顔を眺めたことがあっただろうか。
いつも、男の言葉に、態度に、翻弄されてばかりでまともに男の顔を直視できないでいる自分。
顔をあわせれば、いつだってからかわれ男のいいようにされ、それに抗うことしかできない。
同性として見愡れるほどの美しさと雄々しさを持ち合わせた男の姿をまっすぐに見つめることができなくて、つい目をそらしてしまうのだ。
ひっそりと目を奪われていることを知られるのが、恥ずかしくて−−−。

「………ん」

小さな声が漏れ、男の目蓋が震えた。
かと思うと、ゆっくりと目蓋が開かれ、晴れ渡る空のような青い瞳を覗く。
何度かまだ眠そうにまばたきを繰り返したあと、視線は安寿へと向けられた。

「なんだ………もう朝か」
「え、ええ………」

安寿は悟られないように、近つきすぎていた身体を男からゆっくりと遠ざけた。
男は特に安寿の様子を気にする風でもなく身体を起こした。

「寝過ごしたな」

男は寝乱れた髪に手を差し込みながら、寝台から足を下ろした。
安寿の目の前に男の広い背中が広がる。
たくましい男の背に自然目が引き寄せられてしまう。

「さすがに冷えてきたな」

呟きながら床に落ちていた自分の上がけを手に取り、裸の肩にはおった。
視線をさえぎられ、安寿は釘付けになっていた自分に気付き、すぐさま視線をそらした。

「お前も服を着ろ。風邪をひく」

昨夜己の手で脱がした安寿の着物も拾い上げ、安寿にむかって放る。

「は、い………」

おずおずとそれを引き寄せながら、立ち上がった男をちらりと見上げると、

「なんだ?まだ裸でいたいのか?」

振り返った男にたちまちからかわれてしまう。

「ちっ、違います!!」

慌てて安寿が着物を手にすると、男の手が伸びてきて安寿の手からそれを奪い取ってしまった。

「寝過ごしついでだ」

「………ッ」

男は笑いながら、安寿の首元に顔を埋めてくる。
首筋に舌を這わされ、その感覚に身体はすぐさま反応をしてしまう。
昨晩の情事を思い出しそうになり、安寿はギュッと目を閉じた。
くすぶっていた残り火がこれ以上大きくならないように。


「おうい、親分。起きてらっしゃいますかー」

と、閉められた戸の向こうから呼び掛ける弥勒の声がした。

「チッ。俺の部下は間の悪い奴らばかりだな」

舌打ちし、男は渋々と安寿から身体を離した。
安寿がホッと息をついていると、頭から着物を放りなげられる。

「はやく着ろ。俺以外の人間にその姿を見られたいか?」

………自分から服を奪っておいて。

あんまりな言い種に腹をたてながら、安寿は着物を手早く身につけていった。
それを見届けてから王は弥勒の待つ戸口へと向かって歩いていく。

「………なんだ」

「おはようさんです。朝飯、持ってきやした」

弥勒の片手には湯気のたつ食事ののった盆があった。

「ああ………」

王の不機嫌を隠さない声に、弥勒はなにかを察したらしい。

「あ、もしかしてお邪魔しちまいましたかね?」

「………」

王は肯定するでも否定するでもなかったが、弥勒は勝手に肯定と解釈し、話を続ける。

「そりゃ、すいませんでした。俺だって邪魔してえわけじゃねえんだけどさ。朝飯もってくついでに、そろそろ戒のアニキがやってくるって知らせようと思ってね」

「………それを早く言え」

王は弥勒の手から食事ののった盆を奪い取ると、部屋の真ん中にそなえつけられた卓の上に乱暴に置き、安寿を呼び寄せた。



王と共に食事をとっていると間もなくして、弥勒の言った通り戒が姿を見せた。

「失礼致します」

拱手し敬礼の意を示す戒に王は頭をあげるよう仕種で示した。

「すまんな、戒。つい寝過ごしちまった」

「いえ。それよりお話がございます」

「話せ」

「では、お人払いを」

部屋の中には、修羅王と戒、そして安寿しかいない。
戒の視線が王の隣にいる安寿を射る。
安寿の存在が邪魔だと、その眼は言っていた。
耐えきれず、安寿はうつむく。
あいかわらず戒の視線は苦手だった。
安寿の存在すべてを疎外し、蔑む眼に恐怖さえ感じる。

「人払い?………ああ、こいつのことか。構うな、続けろ」

戒の言葉が指す人間が安寿ということに気付いた王だったが、そのまま話を続けるように戒を促した。

「しかし、王」

「あの、私は外に………」

立ち上がろうとした安寿の腕は、王の手によって掴まれた。

「お前はここに座っていろ」

「………」

大人しく座るまで、掴んだ腕を離さないという態度を王は示していた。
逆らうこともできず、安寿はしようがなく浮かせた腰を元に戻す。

「俺達の話を聞いていたところで、一体こいつになにができるというんだ。それともお前はこいつが密偵だとでも言うのか?」

「その可能性もないとはいえません。何度も申し上げておりますが、このような下賤の者をお側に置かれては………」

「戒」

鋭い声だった。
すべてを威圧するかのような。

「俺がそういった発言を厭うことをお前は重々承知しているはずだが」

「………」

まるで蛇に睨まれた蛙のように、戒は身動きひとつとれないでいるようだった。
無言のまま王から目をそらさない。
それは傍にいる安寿とて同様だった。
張り詰めた緊張感。
息をすることさえ困難に感じられる雰囲気の中、 身体が自然に強張ってしまう。


「いいか、戒。こいつは俺のものだ。これから先、こいつについてお前が口を出す事は許さん。いいな」

高らかに宣言するように王は言い放った。
それは君主による絶対的な命令だった。
主に従う家来としては、頭を垂れ、それに従うほかはない。

「わかったなら、話を続けろ」

「………はっ。申し訳ございませんでした」

それから先、戒は安寿について言及することはなかった。
けれど、王との話を終え去り際、一瞬だけ自分にむけられた眼を安寿は見逃さなかった。

安寿を射殺すかのような視線。
まるで鋭い刃物のような。
その眼だけで、安寿は殺されるのではないかと思った。

………恐い。

背筋をゾクリと冷たいものが這い上がる。
どんなに振り払っても、戒の憎悪の眼はいつまでも安寿を追ってくるような気がした。



窓からは昨夜のように白く輝く月の光が射しこんでいる。
冬の冷えた夜気に身をすくませながら、安寿は窓外にひろがる夜空を見上げていた。

………こんな風にゆっくりと夜の空を眺めたのは随分久しぶりだ。

王の元にいるようになってからは部屋の中に閉じこもりきりで空を眺める余裕などなかったし、店にいた時も夜になれば客の相手ばかりで、ゆっくりと星を見上げる暇など皆無に等しかった。

けれど………。
一月の間に数度もらえる身体を休める日、部屋の窓を開け眺めたことがあった。
そうだ………あの時、隣には銀河の姿があった。
珍しく2人の休みが重なって、小さな窓からずっとあきることなく星や月を眺め、話をした。

『俺の名前は星の河からつけられたんだぜ』

すごいだろー、とおどけて自慢げに話していた銀河。
銀河との思い出は楽しいことばかりだ。

見上げれば、漆黒にひろがる闇のなか、銀色に光る星の河。

………銀河。

いつも笑顔を絶やさない親友の顔が脳裏に浮かぶ。

無事でいるだろうか。
無事に再会することができるだろうか。

自分にできることはなにもないのだということが、安寿はひどく歯がゆかった。
ただこうして無事を祈る事しか−−−−−。

「なにを見ている?」

扉の開く音と共に現われた男の声に、安寿は背後をゆっくりと振り返った。
確かめる間でもなく、その先には夜目にも映える王の姿あった。

「………星を、見ていました」

「寒くないのか」

「いえ………」

近寄ってきた男は、まるで条件反射のように安寿にむかって手を伸ばしてきた。
安寿も抵抗することなく、引き寄せられるまま男に身体を預ける。
抗ったところで、男の愉しみを増やすだけだと分かっているからだ。
気付かないうちに随分長い間夜気に身体をさらしていたらしい。
男の体温がひどく心地よいものに感じた。
男もそれを感じ取ったのだろう。

「肌も冷たくなっているな。暖めてやろうか?」

耳元で囁き、安寿を捉えた手がふらちな動きをし始める。
胸元をくつろげられそうになり、安寿は慌てて王の手の侵入を阻止しようとする。

「しゅ、修羅王………ッ」

「なんだ?」

「どうしてあなたは、そう………っ。昨夜だってあんなに………ッ」

したじゃないか、と続けようとした言葉は、王によって遮られた。

「明日からしばらくお前を抱けないからな」

「え………?」

予想だにしなかった答えに、目を見開き男を見上げた。
そんな安寿の様子も王にとっては意外なものであったらしい。

「なんだお前、俺達の話を聞いていなかったのか」

安寿は首を小さく振った。
戒の存在に気をとられすぎて、王達がなにを話していたのかちっとも頭に入ってこなかったのだ。

「まあいい。明日から俺は皇帝に会う為、楊の首都へ向かう」

「首都へ………?」

皇帝のすまう都。
国のはずれに住む安寿にとって一度も目にしたことのない未知の場所だった。
王はそこで皇帝に謁見するのだという。
一国民でしかない安寿にとっては想像すらできないことだ。

「お前も連れていきたいところだが、少々強行手段での旅になるからな。 この街は戒にまかせて、弥勒とあと数人を連れて行く」

戒。

その名前が王の口から飛び出しただけで、安寿の身体は強張った。

「………心配か?」

安寿の瞳が不安に揺れるのを王は見逃さなかったようだ。
今日の戒とのやりとりを安寿が気にしているのを分かっているのだろう。
ただでさえ今までの安寿に対する戒の態度は目に余るものがあったのだ。

「………あいつは俺以上に俺の周囲に過敏になってしまっているだけだ。今まで何度か危なっかしい事があったからな」

聞き流すことのできない言葉に、安寿は男を見上げた。

「まあ、色々とな………。一国の主になるにはそれだけの危険があるのは当り前のことだ」

王は言葉を濁したが、命を狙われたこともあったということなのだろう。

「あいつにはよく言い含めておいた。お前も大人しくここで待っていろ、いいな」

………返事の変わりに、安寿は男の胸に、そっと額をおしつけた。
必然的に身体も密着し、男に抱きつく形になる。

………抱き締めたいと思った。

自分よりもひと回りは大きい体躯をした男だけれど。
自分のすべてで包み込むことができれば、と。

なぜかはわからない。
けれど、安寿はそう………思い、身体は自然に動いてしまっていたのだ。

「………どうか、お気をつけて」

「………今日はえらく素直だな」

男が喉を鳴らして笑っているのが、触れている部分から振動として伝わってくる。

せっかく人が心配しているというのに、そんな言い方……。
心配した自分が馬鹿みたいだ、と身体を離そうとしたが、いつのまにか背中にまわっていた男の腕によって更に引き寄せられてしまう。

「お前のほうこそ気をつけろ。俺がいない間身体が寂しがって鳴かぬようにな」

「………!」

「そうだ、鳴くヒマもないほど今晩のうちにお前の身体を満たしておくか」

「だから、あなたなどうしてそう………ッ!」

男の胸に手をつき、腕の中から逃れようと安寿はもがいた。

「こら、暴れるな」

男は笑いながら、なんなく安寿の身体を押さえ付け唇をあわせてくる。
胸に小さなひっかかりを感じながら、 深くなる口付けを受け入れる。

王も弥勒もいない………

いるのは−−−−

あの男だけ。

憎悪さえ含んだ男の鋭い眼をふいに思い出し、安寿は心中、首を振って打ち消す。
微かな不安を残し、その夜は熱く濃密に溶けていった。




□■□ asura 17 □■□


王の不在の日々が始まった。

すぐに戻ってくると言っていたが、国の外れにあるこの街から皇帝の住まう首都まではどんなに馬をとばし急いでも半月。
往復すれば一月を要する距離がある。
その一月もの間、安寿は一人きりで王の帰還を待つのだ。
安寿は修羅王と弥勒以外の人間とはほとんど会話を交わしたことさえない。
ただ一人、面識のある人間はいるけれど−−−−その戒は自分を嫌い、憎んでさえ、いるのだ。
安寿を守ってくれる人間など誰一人としていない状況。
いつもからかいながらも、安寿を抱き締めてくる修羅王も、他愛のない会話の相手をしてくれる弥勒もいない。
ただ一つ救いがあるとすれば、ここが見知った街だということだろう。
例えば、もしこれが数日前まで陣をはっていた見知らぬ土地であれば、安寿は心細さに震えていたかもしれない。
あるいは無理にでも王と共にいることを望んだかもしれない。
しかし、ここは幼い時から過ごした街だ。
胡人たちの放った火によってその大部分が焼け落ちてしまったとはいえ、見覚えのある風景がそばにある。 それだけが唯一安寿の心の支えとなっていた。

王が弥勒と数人の部下とともに梵天の背に乗り、街を発った一日目。
夜通し精を搾り取られた安寿は見送りさえもできない状況だった。
身体を起こすのさえも億劫で、部屋を出て行く王の後ろ姿をただ見送るしかできなかった。

『いいこにしていろ』

と頬に意外なほどに優しい口付けを残して、王は旅立っていった。
まるで子どもに対するような態度だったが、安寿は黙って受け入れた。
反抗する気力も体力もなかったこともある。
その日は一日寝台の上で過ごし、終わった。
二日目、三日目、と日々は過ぎ行きていったが、不思議なことに一日が終わるのが以前より酷く長いものに感じられた。
独りきりで、特になにもすることがないからだろうか。
ただ窓の外に広がる風景を眺めるだけ。
決まった時間に食事が差し入れられるのみで、それ以外人と接することはない。
今日もぼうっと窓の外を眺めていた安寿だったが、ふいに思いついた。
久しぶりに街に出てみたい、と。

妙な別れ方をしてしまった店主にも会って、あの夜の話を詳しく聞きたい。
このまま部屋にいても暇を弄ぶだけだ。
安寿は思いつくまま、すぐに行動に移した。
時刻は正午をまわろうとしている。
朝の食事についてきた饅頭のような−−王に聞いたところ『パン』という名称らしい−−を手近な布にくるんで外出する支度をした。
この国では珍しい食べ物だ。
まわりは固いのに中はしっとりと柔らかい不思議な食べ物。
きっと店主も珍しがってくれるだろう。
室内にいればそれほどでもないが、外はきっと冬の冷気が満ち始めているだろうと思い、王が残していった衣服を着物の上に羽織った。
微かに王の匂いがして、一瞬胸がしめつけられるように苦しくなった気がしたが、気のせいだと頭を振って打ち消した。
心にぽっかりと隙間があいてしまったような感覚が数日前−−王が不在になって−−からずっと続いている。
しかし、安寿は何度もその思いを否定した。
認めたくなくて。

王が。

あの男の姿がいなくなって。
どうしてこんなにも頼り無く、心細くさえ感じるのか。

そんな心にぽっかりとあいた穴のような気持ちの正体を認めたくなくて。

部屋の外を覗き見ればそこには誰もおらず、安寿は思いのほか簡単に廊下を出、そして官舎を後にすることができた。
王に言い付けられたのかはしらないが、いつもならば常に兵が一人部屋の外にいて安寿の行動をみはっているのだ。
恐らく安寿が余計な行動に出ないようにするためだろう。
ここ数日部屋の中で大人しくしていたせいか番をする兵も気を抜いていたのかもしれない。
折しも時刻は昼飯時だ。
もしかすると昼食をとりにでも行ったのだろう。
抜け出すには絶好の機会だった。

先日店主に会った時に居場所は聞いていたので、安寿は店主が身を寄せているという宿屋へとむかった。
ところどころ焼け落ちてはいたが 他の店よりも比較的損壊が少なく、店主のように店を焼失した人間たちが多く身を落ち着けているらしかった。

「おお、安寿」

「親方さま」

店主は笑い顔で安寿を迎えてくれた。
顔色も随分よくなったようで、安心する。

「外出などして大丈夫なのか?」

そんな店主の言葉を安寿は曖昧に笑って誤魔化す。

安寿はまず数日前の失礼を詫びた。
人前で王の口付けを受け、羞恥のあまりロクな挨拶もしないままその場を辞してしまったのだ。
店主に話したいことも沢山あったのに、その時間さえなかった。

「私もお前に会いたいと思っていたところだ。ちょうどよかった」

そう言いながら、店主は茶を煎れてくれた。
卓に向かいあわせに座り、安寿はさっそく温かい茶椀に手をのばす。
ほんのりと甘味のある茶は常に店に常備されていたもので、安寿も毎日のように飲んでいたものだ。

「お前のほうは私に何の用があったんだ?」

「・・・教えていただきたいのです、あの夜のことを」

思えば安寿は何も知らない。
逃げ出す間もなく、弥勒達に連れられ街を出てしまったから。
知っているのは、胡人の奇声、店のみんなの悲鳴、そして遠くで赤く燃えていた街。
目に焼き付いて離れない、信じられない光景だけだ。

「・・・話すほどのこともない」

この街の現状がすべて現している、ということなのだろう。
店主は表情を苦々しいものへと変えた。
とつとつと店主の口から語られるあの日の情景に安寿は黙って耳を傾ける。

故人たちの放った火は一気に街中へと広がっていった。
所用で店をあけていた店主は自らの店からあがる火の手に驚いて店へと急いだのだ。
しかし途中で胡人たちの姿を発見し、身を隠し守るのに必死で店へ戻ることはできなかった。
だからあの時店子たちがどうなってしまったのかはしらないのだという。

「店にいるお前たちに申し訳ないと思いながらも、足がすくんでしまって・・」

「親方さま・・・」

後悔に苛まれているのか、店主は両手で顔を覆ってしまった。
安寿はそっと手を伸ばし、店主の腕へと触れた。
恐怖に心身ともに打ち勝つことは難しい。
安寿はそのことを身を持って知っている。

・・・だから、あの時。
銀河と共に逃げ出すことができなかったのだから。

「銀河とはお互い無事逃げおおせたら黒門で落ち合う約束をしていたのです。でも銀河の姿はこの街にはもうない・・・屍体もない・・・」

「銀河だけではない。店子たち全員だ」

導きだされる答えは一つだ。

「胡人に攫われたと思うのが正しいのだろうな」

店主の言葉に、やはり、と安寿は再度確信する。
銀河たちは、あの襲来の時胡人たちに攫われてしまったのだ。

・・・しかし。
なぜ?と謎は残る。
胡人たちの突然の襲撃。
それは翠楼閣の店子たちを攫って行く為だったのか?
そうまでして店子たちを攫って行く理由は一体・・・?

安寿には到底わからない。
そして、なにをすることもできない。

ただ、ひたすらにみんなの。
そして銀河の安否を、今は祈るしかなかった。


「随分と長居をしてしまいました」

気がつけば随分と長い間店主と話こんでしまっていた。
小さな窓の外では少しづつ日が落ち始めていた。
安寿が部屋から姿を消したことをそろそろ気付かれるかもしれない。
気付かれる前に官舎へと戻らなければ。

「今日はこれで失礼することにします」

安寿は上着を羽織り、暇を告げた。

「安寿」

呼ばれ振り返ると、店主は立ち上がり安寿のそばへと寄ってきた。

「・・・これを」

手の平に握らされたもの。
それは、小石ほどの金のかけらだった。

「親方さま・・・?」

意図がわからず、安寿は雇い主を見上げる。
これは恐らく修羅王が安寿を見請けした時に金銭のかわりに出された金塊の一部だろう。
それを、どうして?

「今までお前はよく働いてくれた。その礼だ」

「・・・そんな・・・。なにを言うのですか、これは親方さまのもの。いただくわけには」

押し返そうとする安寿の手ごと店主は両手で握りしめた。

「これから先、お前の身になにが起こるかわからない。身分の高い人間というのは気まぐれなものだ。いつお前もあの修羅王とやらに・・・」

言葉を濁してしまったが、その先は言わずともわかった。

「その時は、これを使って私のところへ・・・店に戻ってこい」


いつかは必ず訪れるであろう時。
修羅王に飽きられ、この身を捨てられる時。

その時のために。
店主は安寿に『帰る場所』を与えてくれているのだ。

「なにかの足しにはなる・・・いいから、とっておけ」

「・・・ありがとうございます」

手の平に握りしめると、安寿は店主に深く頭を下げた。

十を少し過ぎた幼いこどもの頃からこの店主に育てられてきた。
娼夫としてのあり方。
言葉の使い方から、仕種、たち振るまい。
そして閨での性技まで。
幼い安寿には生きて行く為とはいえ、それを酷く辛い事で、何度も店主に厳しく怒鳴られたこともある。
商品であるため、手を上げられることはなかったけれど、店主に憎しみに近い感情を抱いたこともあった。
けれど。
安寿はそのおかげで強くなれた。
自分を磨くことを覚え、向上心を持ち、店の顔と言われるまでになった。
今の安寿があるのも、目の前にいる店主のおかげだった。

溢れそうになる涙を安寿は必死で押し殺した。

人前で泣く事は許されない。

そんな店主の教えを破らないように。





□■□ asura 18 □■□


安寿は帰路を急いでいた。
初冬に入ったせいで1日の日暮れは早い。
すでに日は落ちかけており、あたりは橙に染まり始めている。
暗闇になる前の空気が安寿を包み、安寿は歩調を速めた。
囲われ者のような自分が姿を消したところでそう騒ぎたてられることもないだろうが、用心するにこしたことはない。
なるべく気付かれないように官舎の敷地内へと戻ることができればいいのだが・・・。

官舎の前には見張りの兵が二人立っていた。
王の不在で気が抜けているのか、緊張感もなく言葉を交わし下品にも思える笑い声をあげている。
さて、どうするか。
正面きって帰るわけにはいかない・・・と、とまどい立ち尽くしているうちに兵の一人と目が合ってしまった。
安寿は瞬間、「しまった」と思った。
危惧した通り兵たちはニヤニヤと笑みを浮かべながら、安寿のほうへと近付いて来る。

「べっぴんさん、一体どこにいっておった?見張り番の奴が部屋がもぬけの殻だと、あわを喰って捜しておったぞ」

「・・・」

「これが修羅王様の男妾か」

触れてこようと伸ばされた腕から後ずさった。
その背がなにかにぶつかる。
振り向けば、いつのまに背後にまわっていたのか、三人目の兵の姿があった。
安寿の肩はその兵によってがっちりと身動きがとれぬよう掴まれてしまう。

「おう、女子のように甘い匂いがするな」

クンと兵の鼻先が安寿の耳元で鳴った。
安寿の身体をざわりと悪寒がはしり肌が毛羽立った。

「随分と王に寵愛されてるとの話だからな。毎晩毎晩可愛がられて甘い声で鳴くのだとよ。見張り番の者が申しておったわ」

下卑た笑いをともなったその台詞に、かっと安寿の頬が瞬く間に朱に染まった。
王との情事の様子を聴かれた挙げ句、それが兵達の間で話の種になっているとは。
あの自分とは思えぬはしたない声を他人に聴かれていたなど、羞恥の極みだ。
安寿は色がなくなるまで唇を噛み締めた。

ここに王がいれば、『傷をつけるな』と言って唇を優しく撫でてくれるだろう。

しかし、今ここに、この街にあの王はいないのだ。
安寿を救けてくれる人間は、誰も、誰も、ここにはいない。

「夜の相手がいなくて寂しくはないか」

「おれたちが相手をしてやろう」

涎を垂らさんばかりのにやけた顔つきで兵達は安寿に手を伸ばし近付いてくる。

「やめ・・・ッ」

無駄とは分かっていても逃げる為に身を捩らずにはいられなかった。


「・・・なにをしている」

威圧的な声が頭上から響いた。

「しょ、将軍・・・!」

兵達が言葉を怯えに震わせたその相手は−−−−。


人を見下す、 冷たい目。
まるで鋭く尖った氷の刃のような。

「戒、どの・・・」

安寿はその名を呟く。

石階段の一番上、凛とした美丈夫の姿があった。
鎧はつけておらず帯剣しただけの格好だったが、隙ひとつない雰囲気をその身に纏っていた。
戒は安寿を一瞥することもなく、兵達に向かって言い放つ。

「さっさと持ち場へ戻れ」

「は、はッ!」

まるで蜘蛛の子を散らすようにして、兵達はいなくなった。

それを見届けてから、戒が安寿へと侮蔑のこもった視線を向けて来た。

「・・・貴様もだ。一体なにをしている。部屋から出るなと王から言われなかったか」

「・・・」

言い訳などできるわけがなかった。
兵がいないことをいいことに無断で部屋を出たのは安寿だ。
何も答えない安寿を見て、戒はさらに続けた。

「それとも・・・」

クッと嘲るような笑みが口元に浮かぶ。

「もう男を欲しがって男漁りか」

屈辱に目がくらみそうだった。

どうして。
どうしてここまでこの男に自分は蔑まれなければならないのか。
どうしてこれほどまで辱めの言葉を受けなければならないのか。

私が、娼夫だから?

それだけではないような気がした。
戒が自分を蔑み、憎む理由は。

「そんなに身体が寂しければ、私が相手をしてやろう」

男は嘲笑って、簡単に安寿の腕を捉えた。
戒の口から飛び出したとは信じられない台詞に、安寿は瞬きさえ忘れた。

「な、なにを・・・」

掴まれた腕に痛いほどの力を込められる。
抵抗など無駄だった。


まるで磔られた罪人のように、安寿はその身体を寝台にぬいとめられていた。
あと一息でも力をいれればたやすく骨が折れてしまいそうなほどの力で、両の手首は頭上で一まとめに押さえ付けられている。

「男の身体など抱いてなにが楽しいのか私にはまったく分からぬが・・・」

「・・・ならば!!」

抱かなければいい。

どうしてこんな愚行にでるのか、安寿は理解できないまま頭上の男をただひたすら睨み上げた。

「王の不在の間に貴様などなにがしかの罪を負わせて斬り捨ててやろうかと思っておったが、それよりもよい方法を思いついた。・・・私が貴様を抱いたと知れば、王はどうするだろうな?」

くくっ、と楽し気に戒は笑う。

「他人の手垢がついたとなれば、すぐに貴様への関心も薄れよう」

戒には絶対的な自信があるのだ。
罰せられるのは自分ではなく、安寿のほうだと。
いくら夜の相手をさせられ、少しばかり心を交わしたことがあるといえど、修羅王とはまだ出会ってからふたつきにも満たない。
比べ、戒は随分と前から、もしかすると幼い頃から、修羅王の側に居続けているのだろう。

・・・切り捨てられるのはどちらかなど、明白だった。

「貴様は邪魔だ。いずれあの方は本国へと戻りしかるべき女性を妻とし、国を繁栄させていかねばならぬのに、男妾などに現をぬかしている場合ではない。・・・だから、貴様には早々に消えてもらわねば困る」

「ッ!!」

引きちぎられるのではないかと思う程の勢いで肌から着物がはぎとられた。

「あ・・・ッ」

その拍子に、先刻店主から渡された金塊の欠片が転がり落ちて行く。

「部屋を抜け出した理由はこれか」

戒の指がそれを拾い上げた。
指の間できらりと輝きを放つそれが安寿にとって『金』ではなく、店主からの自分への『思い』の証であることなど戒は知る訳もない。

「やはり卑しい身分の者よ。どうだ、金が欲しければ私が用意してやろう。それで王が帰るまでに姿を消せ」

安寿は首を振らなかった。
以前の自分ならば頷いていたかもしれない。
自由の身になって銀河を捜しにだっていけるのだ。

・・・でも今は違う。
あの男の側に。
あの金色の獅子のような王の側にいたい。

王がそれを許してくれる間は−−−−−−−

その想いの正体を知るのはまだ怖いが、それが、安寿にとってゆずることのできない想いだった。

「・・・ふん、大人しく頷いておけばいいものを」

頑な安寿の態度に、面白くなさそうに戒は呟いた。

「私は王ほど優しくはないぞ。覚悟しておけ」

裸に剥かれ、なんの前触れもなく後ろを開かされる。
襲いくる衝撃に安寿は唇を噛み締め、悲鳴を耐えた。





□■□ asura 19 □■□


嵐のような暴虐の時間が過ぎ去るのを安寿はただひたすら声を殺して耐え続けた。

身体を解放され、気がついた時にはもう戒の姿はなくなっていた。
つめていた息をようやく吐き出す。
途端に身体が震え始めた。

慣れたことのはずだ。
男と身体を合わせる、それを生業としてきた。

・・・だから、大丈夫。
こんなこと、なんでもないことのはずだ。

そう自分に言い聞かせ、震える手で着物を手繰り寄せる。

「・・ッう」

それだけで、身体に痛烈な痛みがはしり安寿は呻いた。
男に抱かれ慣れたはずの身体が悲鳴をあげていた。
今まで幾度も男達に身をまかせてきた。
同じ男に抱かれることに嫌悪感がなかったわけではないが、生きて行く為にしようがなく、身体を開く必要があった。
でもそこには安寿の意思があった。
自らが生きて行く為に、一晩男に身体を差し出すという意思が。

しかし、これは違う。

安寿は全身で戒を拒絶していた。
自らの仕える君主から安寿を引き離すためだけに、戒は安寿を犯したのだ。
あの男は安寿を犯しながら、顔色ひとつかえはしなかった。
あれは性交などではない。
安寿を貶め嬲るためだけの−−−ただの暴力だ。


うつむいた安寿の視界に、寝具の上、点々と赤い色が目にはいる。
血だ。
男を受け入れた場所が傷付き、痛みを訴えている。
着物を引き寄せたその手首には、強く握られたせいで、くっきりと手の痕がついていた。
それらが乱暴を受けたという現実を生々しく安寿に思い知らせる。

・・・修羅王。

助けを求めるように、安寿は心の中でその名を呟く。
届くわけがない。
わかってはいたが、そうせずにはいられなかった。
思い浮かぶのは、あの神々しいまでに眩しい王の姿だ。

「う・・・・・ッ」

嗚咽が喉をわった。
それはあとからあとから込み上げてきて、やがて泣き声へと変わっていった。


悪夢のような愚行はそれだけでは終わらなかった。
傷の癒えぬ内に、安寿は再び戒に手をかけられた。
繰り返し、繰り返し。
安寿が根をあげ逃げ出すのを待っているかのように。
それでも安寿は逃げ出せずにいた。
耐え難い時間を必死で歯を食いしばって耐えた。
王がこの街からいなくなってもうすぐ一月。
このまま王の帰還を待ったところで、どうなるかは目に見えていたが、どうしても。

・・・どうしても、あの王に会いたくて。

その想いだけが、今の安寿を支えていた。

男の身体が離れていき、安寿は嫌悪感に肌を震わせた。
寝台の上、抵抗できないように安寿の両の腕はひとまとめに布でくくりつけられており、 悲鳴を耐えていたせいでその薄い唇には血が滲んでいる。
もう下半身の感覚はなくなりつつあった。
絶え間ない痛みに麻痺しはじめたのかもしれない。

乱れた衣服を整えながら、戒が口を開いた。

「今朝早馬がついてな。明日にでも王たちは帰還するそうだ」

「・・・・・!」

安寿は黙って男を見上げた。
男の顔は楽しそうに歪んでいる。

「さて私の匂いの残るその身体を見て、王はどうするかな」

戒の手が安寿の細首へと伸ばされる。
その先にちり、と痛みを感じ安寿はハッとした。
それはさきほどまでの情交の間に、戒に歯をたてられた位置だったからだ。
安寿が痛みに顔をしかめるのにもかまわず、強く噛まれた。
きっと目にわかるほどの傷になっているのだろう。
これが王に見つかれば−−−−−

不安と恐怖を煽る戒の口ぶりに、安寿はたまらず思いを言葉にしてしまっていた。

「どうして・・・?」

ずっと、わからないでいた。
どうして、ここまでしてこの男は自分を修羅王から離そうとするのだろう。
どうして、この男はこれほどまで自分を憎むのだろう。
修羅王の進むべき未来を邪魔しているからだ、と戒は言ったが、放っておけば、いつかは飽きて捨てるかもしれない。王にとって安寿はそんな存在のはずだ。

『王も物好きな』

『せいぜい可愛がってもらうがいい。いつまで続くかは、わからんが、な』

以前から戒とてそう口にしていたではないか。
それなのに、どうして?
どうして、こんな−−−−−

「どうして、だと?愚問の極みだな。私は貴様の存在が忌わしくてしようがないだけだ。男の身でありながら同じ男に抱かれ悦ぶなど」

吐き捨てたと同時に、首に触れていた戒の両手に力がこもった。

「ぐ・・・ッ」

呼吸を妨げられ、安寿は苦しさにうめく。
霞がかった視界の先にある男の眼に、底深い憎悪の炎が見える。


「どうして王は貴様のような人間を選んだ?女ならまだしも、どうして貴様のような・・・」

まるで独白のような戒の言葉に、安寿はいつも自分に向けられるあの憎悪の眼差しの理由を、ようやく理解した。

戒の自分へと向けられた憎悪の正体は、男にもかかわらず王に抱かれる自分への嫉妬−−−−

この男は。

−−−−−−好きなのだ。

あの王のことが。
臣下としてだけではない。
一人の人間として。
一人の男として。

だから。
だから、この男は。

これほどまでに自分を憎むのだ。
その存在を許せないほど。
殺したい、と思うほど。

そして同時に、安寿はあの王のそばにいたいと願い、捨てられることを恐れる。その想いの正体をようやく認めることにした。

私も、そうなのだ。
私も、この男と同じように、あの王を−−−−−

声をききたい。
顔を見ていたい。
名前を呼び、呼ばれたい。

そばにいたい。

そう思う理由は、一つしかない。
ずっと逃げていただけだ。
気付いていたのに気付かないふりをしていた。
その想いを認めるのが怖くて。
認めれば、本当にあの王から離れられなくなりそうで−−−−

しかし、今更気付いたところでどうなるというのか。
戒の思惑通り、安寿は王に捨てられる。
誰にも触れさせるなと言われたその身体に、王ではない男の刻印を刻み込まれた。
王は許しはしないだろう。
すべては手遅れだ。
戒の思惑通り、安寿は王に捨てられる。

ならば、このまま−−−−− いっそ。

安寿はまぶたを閉じた。

このまま戒の手で命を断たれてもいいのかもしれない・・・。

安寿は全身の力を抜いた。
それだけで随分と身体が楽になった気がした。

抵抗すらしなくなった安寿に気付き、戒はようやく我に返ったらしい。
首にまきついていた手から力がふっと抜けた。

「・・・ここで貴様を息の根を止めてしまうのもいいが・・・王の手によって切り捨てられる貴様を見るのもまた一興」

そう言って首筋から手を離され、呼吸を許された安寿は一気に咳き込んだ。
残酷で、冷酷な男だ。
自らの手からではなく、あくまで王に安寿を切り捨てさせようとしている。

涙で潤んだ視界から男が消えていくのを、安寿は呆然と見送った。


王たちが街へと戻ってきたのは、次の日の夕刻まぢかだった。
外から聞こえる声が騒がしい。
安寿が部屋の窓から身を乗り出すと、その先には馬に乗った集団が見えた。
王の姿はすぐに目に飛び込んできた。
黄金色をした髪の色は目立つから遠目でもすぐにわかる。
それだけで、安寿の心臓は高鳴った。

・・・会いたい。

その反面、会いたくない。会えない、と思う。

安寿は首筋をそっとなぞった。
気付かれない訳がない、噛み痕。
傷付いた身体。
こんな汚れきった自分を王に見られたくないとすら思う。
そして見られれば−−−−−もう自分は、あの王のそばにはいられないのだ。
たまらなく胸が苦しかった。
・・・気付かなければよかった。
あの王への想いなど。
安寿は身体を縮こまらせ、涙を耐えた。

出迎える間もなく、きき慣れた足音が廊下に響いた。
どきり、と安寿の胸が軋む。
安寿は戸口を振り返った。
すぐに部屋の扉が開き、金色の髪に、褐色の肌、そして男らしい筋肉を身に纏った男が姿を見せた。
男は安寿の姿を認めると、たちまち破顔してみせた。

「いいこにしていたか」

言葉が、出なかった。
どれだけ、この姿を見たいと願っただろう。
どれだけ、この男の名を呼んだだろう。
安寿は涙さえこぼしそうだった。
たえきれず、うつむく。

「・・・どうした。顔色がすぐれんな」

近付いてきた男が心配そうに覗き込んでくるのに、安寿は首を振ってなんでもない、と応えた。

「お帰りなさいませ・・・道中御無事でなによりでした」

「ああ。さすがに疲れた・・・ほら、お前に土産だ。二胡という楽器らしいな。弾けるか?」

片手に持っていた上品な布にくるまれたその楽器は店にいた頃何度か客の前で弾いたことがある。
娼夫のたしなみとして、店主から習わされたことがあるのだ。

「・・・あまり上手くはありませんが」

「そうか。あとから弾いてみせてくれ」

安寿が頷くのをまたずに、男の腕が安寿の身体を引き寄せた。

「・・・とりあえず今は楽器よりもお前をつま弾いて鳴かせることにしようか」

抗う間もなく唇をふさがれる。
肉厚の唇が安寿のそれを吸い、深くあわさったかと思うと、侵入してきた舌に歯列をこじあけられる。
すくうようにして舌を絡めとられ、唾液をすすられる。

「ん、く・・・ッ」

与えられた男の唾液は甘くすら感じられた。

しかし、着物のあわせから忍び込んできた男の指を感じ取ったとき、安寿は身を捩ってしまっていた。
唇から逃れるように顔をそむけ、男の胸に手をつき間をとる。

「どうした?一月も放っておいてすねてるのか?」

からかうような口調で、うつむく安寿の顎を引き上げ、再び口付けをせまろうとしてくる。
安寿はそれからも逃れようと身体を捩らせた。

「嫌に今日は抵抗するな・・・一体どうしたと・・・」

王の動きがふいに止まった。

「・・・なんだ、これは」

こわばった修羅王の声が頭上から落ちて来た。
安寿は抗うのを止めた。

−−−−−気付かれた。

着物の襟が乱れた隙間から覗く傷痕に、王の視線を痛い程感じ、身体が強張る。

「誰につけられた・・・答えろ、安寿」

終わりだ、と安寿はうなだれた。
答えることにはためらいがあった。

「答えろ」

一層低くなった声にははっきりと怒りが混じっていた。
安寿はようやく答えを口にした。

「・・・戒どのに」

「・・・!!」

その答えに、王は目を見開いた。
予想だにしなかった答えなのだろう。
まさか、いつも側にいて自分が寵愛するものの存在を知っている戒が安寿に手を出すとは。
それは裏切りにも等しい行為だ。

『他人の手垢がついたとなれば、すぐに貴様への関心も薄れよう』

戒の言葉が安寿の脳裏に甦る。
だから戒は自分を抱いたのだ。
修羅王に自分を捨てさせるために。
安寿が邪魔な存在だから。
罰せられるのは自分ではなく安寿なのだと、知りつくした上で。

「奴と・・・戒と寝たのか」

安寿は目をそらすことなく、まっすぐに修羅王の顔を見据えた。
それはひどく勇気がいった。

「だとすれば・・・どうしますか・・・」

昨夜戒によってつけられた歯をたてられた痕。
このまま身体を開かされれば、その事実はあきらかになるだろう。
安寿が望んだことではないにしろ、他の男に抱かれたのだ。

王以外の人間に。

王は自分を許しはしないだろう。
元々いつ捨てられてもおかしくない性玩具だったのだ。
修羅王が戒より自分をとることなどありえない。
自分などよりずっと昔からこの二人は共にいたのだろう。
安寿には相容れない絆がこの二人の間には存在する。
選ばれるのは、戒だ。

・・・これでいい。

自分は捨てられ、戒はいつも通りこれからも修羅王のそばで彼を守り想っていくのだ。

最後にこうして顔を見れた。
声が聞けた。
口付けを交わす事ができた。

・・・それだけで。

「・・・ッ戒を呼べ!いますぐだ!!」

安寿は断罪を待つ罪人のようにうなだれながら、王の怒声を聞いた。






□■□ asura 20 □■□


ただ、沈黙だけが支配していた。

背後からでも感じられる程、王からは怒りのオーラが発されていて、いったいどんな表情をしているのか、安寿には確かめることさえできなかった。

・・・恐くて。

目の前にはただ絶望がひろがるだけ。
処刑を待つ罪人とはこんな気分なのだろうか、と安寿はうなだれるしかない。
呼吸すら忘れてしまいそうなほど緊迫した空気の中、ほどなくして部屋の扉の前に人の気配がした。

「入れ」

いつもより低くさえ感じる王の声にさえ、安寿は怯えた。

「失礼致します」

まるで仮面をつけているかのような無表情さで戒が姿を現した。
しかし、王に捨てられる自分を目の前にして、内心嘲笑っているのかもしれない。
安寿にはどうしてもそう感じられてしまい、思わず目をそらしてしまっていた。

拱手する間も与えず、王が口を開いた。

「呼ばれた理由はわかっているな」

その場の空気が更に張り詰めるのを安寿はその肌で感じた。
王は怒っていた。
しかし、その怒りの矛先は、安寿だけではなく、戒にも向けられている。

「お前、こいつを抱いたのか」

戒は答えない。
さすがの戒も王の剣幕にひるんでしまっているようだった。

「答えろ、戒。なぜ、抱いた。こいつがお前を誘惑したか?それともお前がこいつを抱きたかったのか?」

「・・・御冗談を」

「どちらにしろ、戒、俺はお前に言ったはずだ。こいつに何事も起きぬよう見張っていろ、と。こいつになにかあった場合はお前に全責任をとらせると、俺はそう言ったな?」

確認をとるように王が言う。
安寿にはまったく初耳だった。
旅に出る前に、まさか王がそんな命令を下していたとは。

「しかし、お前はこいつに傷をつけ、俺の命令に背いた」

戒がハッと顔を上げた。
信じられない、といった表情で王を見上げている。

「・・・覚悟はできているだろうな」

王の手が腰にある剣にかかった。
あ、と思う間もなくすらりと剣がきらめいたかと思うと、戒にむかって振り上げられる。
安寿は瞬きすら忘れてその瞬間を見た。

斬られてしまう、と思った。
戒が。

戒が!

しかし、振り降ろされた剣は、戒の首元でピタリと静止した。
戒は微動だにしていなかった。
ただ、まっすぐに王を見上げている。
下手に逃げようと身じろぎひとつでもしていれば、戒の首は間違いなく落とされていただろう。
王の言葉が続く。

「いいか。二度とこいつにお前が触れることは許さん」

剣を鞘におさめ、王は柄から手を離した。

「ニ度目はないぞ。覚えておけ」

「・・・御意」

「さがれ」

深々と頭を下げ、戒は部屋を出ていった。
その目に、いつもの鋭い光は宿っていなかった。
安寿は信じられない思いで、それを見た。
罰せられるのは、自分のはずで、戒ではなかったはずだ。
戒もそれを分かっていて、安寿を犯した。
しかし、今目の前で起こったことは−−−−到底思惑からはずれていた。
王が罰したのは戒。
その首を斬ろうとさえした。

・・・なぜ?


戒が姿を消し、部屋の扉が閉じたのを合図に、王は安寿の耳にも届くほどのため息をつき、寝台へと深く腰を降ろした。
張り詰めた空気が一瞬にして弛んだが、それでも安寿はただ黙ってその王の姿を見つめ、所在なく立ち尽くしていた。


「安寿。こっちへこい」

「・・・」

王の声には、まだ剣呑さが含まれていた。

そうだ。
王は激怒している。
戒だけではなく、安寿にも。
次は、次こそ自分の番なのだ。

呼ばれ、おずおずと安寿は進み出た。
覚悟はできている。
あの戒にでさえ、剣をふるったのだ。
自分は一体どんな風に罰せられるのだろう。
恐怖に身体がすくみそうだった。

すぐに腕が伸びてきて引き寄せられる。
ちょうど安寿の腹部あたりに顔を埋め、呟くように王が言った。

「・・・やはりお前も共に連れていけばよかった」

「王・・・?」

「そうすればこんなことには・・・くそッ ・・・!まさか奴がこんな暴挙に出るとはさすがに計算外だった」

らしくなく取り乱した様子に、安寿のほうがとまどってしまう。
王の反応は安寿の予想していたものとは随分と違っていた。
酷い言葉で罵られ、捨てられ、最悪その手で斬られる覚悟さえしていたのに。
もう触れるのさえ耐えられない、と。そう思われていると思ったのに。 王の手の平はしがみつくようにして、安寿の腰にまわされている。

「私が戒どのを誘惑したと・・・思われないのですか・・・」

そう誤解されてもいい状況のはずだ。
信用のできる部下と、拾った娼夫。
信じるに値するのはどちらか、その答えは明白なはずだ。
けれど王は、寝たのではなく犯されたのだと真実を見てきたかのように安寿を責めない。

「お前にあいつを誘惑などできるものか。あれは筋金入りの潔癖だぞ。女も抱けない、・・・かといって男を相手にすることもできない、可哀想な奴だ。・・・昔っから俺を、俺だけを盲目的に見過ぎているせいでな」

その言葉に反応した安寿の揺れた体を合図に王はゆっくりと顔を上げた。

「大方おまえを無理矢理にでも抱いて俺以外の人間に手をつけられたと愛想をつかさせるつもりだったんだろう。あいつは俺とお前を引き離そうとしていたからな。・・・あいにくだが、俺はお前を手放す気はない」

言い切った王の瞳は、一月前となんら変わらない−ー−まるで澄み渡る空の青の色をしていた。
嘘偽りが潜んでいるようにはまったく見えない。

「だから・・・俺はあいつに応えてやることはできない・・・この先もずっとだ」

王は、知っていたのだ。
戒の気持ちに、想いに。
知っていて、戒に剣をふるった。
それが一体どういうことか。

男らしい節くれだった指が伸ばされて、安寿の頬をなぞった。

「いいか。おまえも二度と俺以外の人間にその身体を触れさせるな。おまえに触れてもいいのは・・・抱いてもいいのは・・・この俺だけだ」

絶対的な口調で下される、それは目眩がしそうなほど甘美で魅力的な命令だった。
しかし簡単に頷くには躊躇いがありすぎて、安寿は目を伏せた。

・・・どうして?

安寿にはわからない。
果たして自分にそんな価値があるのか。
王の側にいても何の役にも立たない。男であるくせに非力で、戒や弥勒のように王を守ることもできず、己の身体を差し出すしかできないというのに。

「私は・・・私は、今まで戒どのだけではない・・・多くの男達に抱かれてきました」

「だから、なんだ」

−−−−そんな自分が、側にいてもいいのだろうか。

この輝く獅子のような王の側に自分がいることは許されないことのように思える。
王の側に相応しいのは、戒のように美も勇も智もなにもかもを兼ね備えた人間のはずだ。
自分など−−−−到底叶わない。

「あなたには私などよりももっと相応しい方がいらっしゃるはずです」

「それは俺が決めることだ」


違う、違う。
選ばれるは、自分ではなく戒のはずだ。

「私は・・・私は・・・」

「安寿」

なおも言いつのろうとする安寿をとがめるように、名を呼ぶ。

「俺が好きなのだろう?」

ひゅ、と安寿は息を飲んだ。

一体いつから気付いていたというのだろうか。
安寿自身ですら認めるのに随分と時間と勇気がかかった想いを、酷く簡単に王はさらりと口にした。
自らの考えなどみじんも疑っていないような自信に満ちた修羅王の言葉に、安寿は目を見開く。

安寿が自覚するよりずっと以前から、王は知っていたというのだろうか。

見上げてくる修羅王の双眸とかちあう。

「ならば何も不安がることなどない。一生俺のそばにいろ」

安寿はもう、なにも声にならなかった。

まるで魔法のようだ。
その言葉だけで安寿の心は満たされ軽くなっていく。

ポタリと雫が王の頬に落ちた。

そばにいろという。
誰でもない、想いを寄せるただ一人の相手が。
眩しいほどの金色の王が、許してくれた。

だから、そのそばにいてもいいのだ。
こんな汚れた身体でも。

「はい・・・ッ」

頷きながら、涙が止まらなかった。
慰めるように大きな腕が安寿を抱き寄せる。
張り詰めていたものが、ゆっくりと解きほぐされていく。
安寿は一月ぶりの男のぬくもりにただじっと身体をまかせた。




第2部終わり。





□■□ 第2部・オマケ □■□


「・・・さて」

安寿の涙が乾くのを見計らったかのようにして、王が声を上げた。

「部下に裏切られ、俺も酷く傷付いているのだがな」

「・・・」

「安寿、俺を可哀想だと思うか」

王の表情はすっかりいつも通り、安寿をからかう時のそれに戻っている。

「ならば、俺を慰めてみろ」

楽し気に笑う修羅王の意図を汲み取った安寿は、気付かれない様に小さくため息をついて、寝台に腰掛けた修羅王の足の間ひざまづいた。
旅装のままの前をくつろげ、まだ力をもたない男のそれに手を添える。
口での奉仕は今まで何度も求められ、強要されたこともあった。
安寿は必死でそれに舌を這わすのだが、その度にくすぐったいと言って笑われるのがオチだった。

「本当にお前の上の口はなにをしてもへたくそだな・・・下の口のほうがもっと上手く俺を食べてくれるぞ」

上手く口内に飲み込むことができず咽せる安寿に、男はからかいの言葉を投げてくる。

「余計な舌技はいらん。お前がされて気持ちのいいようにしてみろ」

安寿は言う通り、王にされる時を必死に頭に思い描きなが舌を動かし始めた。
安寿は男の舌で自分を舐められる自分だけが追い立てられていくのがとても恥ずかしく嫌だった。
男の舌が自分の恥部を舐め上げているのかと思うと、それだけで憤死しそうで。
店で働いていた頃は自らが奉仕するほうで、自分だけが追い立てられることなどなかったからだ。
王の舌は巧みに動く。
どうして知っているのか、と思う程巧みに安寿の急所をついてくる。
舌で鈴口を舐められ、軽く歯をたてられ、口腔へと迎えられる。
安寿は必死になって舌を指を動かした。

「・・・そうか。お前はそうされるのがいいのか」

いいことを知った、と王が笑う。

−−−−騙された。
王の思惑に気付き、 たちまち頬が朱で染まっていく。
王はその様子を楽し気に眺めたあと、安寿の頬を優しい手付きで撫でた。

「その口で飲んでみるか?」

首を振ることもできず、安寿は黙って口での愛撫を続けた。
いつのまにか、安寿は夢中になって、男のそれに舌を這わせていた。
いいところをかすめたのか、王が小さく声を漏らす。
それだけで、安寿の身体にぞくりとなにかが走った。
戒に無理矢理犯された時は、触れられただけで悪寒が走っていたというのに、不思議だ。
今は、王の声を聞くだけで。
その身体に触れるだけで、たちまち身体の芯が熱く火照ってくる。
官能の火が灯されてしまう。
むせかえりそうなほど男の匂いにつつまれ、安寿は男の精を飲み込んだ。
安寿の喉がこくりと鳴った。

「は・・・」

男のものから口を離し、大きく息をつぐ。

「いいこだ」

まるで子供にするように頭を撫でられた。
霞みがかったような頭の中、安寿はそれすら心地よく感じられてしまう。

「ほら、来い」

安寿は軽々と抱き上げられ、王の膝にまたがる格好になった。

「軽くなったな・・・俺がいなければメシもロクに食えぬのか」

からかいに反論しようと開いた口がたちまち男のそれに塞がれてしまう。

「ん・・・ッ」

まるでむさぼるような口付け。
舌が絡みあい、そこからにじむようにして溢れ出すお互いの唾液をあますことなく吸い上げられる。
粘膜と粘膜が触れあい、肌と肌が触れあい、身体をつなげなくとも一つになれるのだと安寿は思う。
唇が離れ、あえかな息をつく合間に男の舌は頬をなぞり、耳のねぶり、そして首筋を這って行く。
そこでふと愛撫が途絶え、安寿は我に返った。
そこには−−−−戒につけられた痕があったから、だ。

「まったく・・・こんなもんつけられやがって」

苦々しく吐き捨て、王の舌は浄めるようにそこを這った。
ぬめりとした感触に、肌がぞくりと毛羽だつ。
まるで対抗心を燃やしてでもいるかのように、王は安寿の肌のそこかしこを強く吸い、紅い痕を残していく。
安寿は決してそれが嫌ではなく、されるがまま、王の愛撫に身体をまかせた。
胸の尖りを舌で、指で転がされ甘い声があがってしまう。
身に纏っていた着物はすっかりはだけられ、胸元も太腿もあらわになっている。
片手で安寿の身体を支えながら、もう片方の手が着物をすそを捲りあげ、安寿の秘所へとのばされた。

「・・・ッ」

たちまち痛みがはしり、安寿は顔をしかめた。
なぞるように、男の指がそこに触れる。

「随分傷付いているな。あとで俺が手当てしてやろう」

男はすぐにそこから手を離した。

「お前のここに入るのは傷を癒してからだな・・・その時はお前が気を失ってもやめてやれぬかもしれんぞ。覚悟しておけ」

男が笑う。

いつもなら、あきれるはずのその言葉もなぜか安寿の胸に染みた。

−−−それでもいい。

安寿は男の首にしがみついた。

・・・離さないで。
離さないで、ずっと。
そばにおいて。

贅沢な願いを胸に安寿は自ら王へと口付けた。


































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